>>798
>SVOでもSOVでも、どちらでもないと言っている。
>そのような解釈は間違った翻訳を招く。

ほう、これは非常に珍しい考え方・解釈の持ち主だよ。
んじゃ、どう捉えているの?

>でも、しっくりこない個所を指摘してものらりくらりと話を
。かわしたり、あさっての返答をされれば面倒になって放置されるだけ。

どこがしっくりこないか、そこを詳しく頼む。

>「である」とか「が好き」なんかが省略されているよね。
>「我が輩は猫」はあなたとしてはSVCとなって
>具合がいいのだろうけど
>これは省略だ。だから日本語として中途半端な感じがするでしょ。

>>792ではこう書いていたよね。

>>「我が輩は猫」と単独で言われたら[i am cat]しかない。

>「我が輩は猫である」な。[i am cat]しかないことはない。
>状況によって「I like cat」になったりする。
>それは日本語の構造がSVOで表せないからだ。

「我が輩は猫」の文章に勝手に「である」を付け加えて
「我が輩は猫である」にしたのは俺じゃ無いぞw

だから俺が
「我が輩は猫」と「我が輩は猫である」
とは違うと指摘したんだ。

>もう少し付け足すと「が」は密着性が高く「の」は低い時に使われている。
>古典的表現で所有を表す「が」は現代表現で所有を表す「の」で
>置き換えても不自然にならない。

古典的表現でも現役だよ。
「君が代、我が家、わが闘争、我が母校…」
いっぱい有る。古典的かどうかは無関係だ。さらに
「逃げるが勝ち、ビールが美味い、明日が山…」
比較的最近でもよく使われているのもある。

これらの「が」に、一律に「の」を当てはめると、意味が変わる。
「逃げるが勝ち ≠ 逃げるの勝ち」
「ビールが美味い ≠ ビールの美味い」
「明日が山 ≠ 明日の山」

これじゃおかしいから、一律に機械的に置き換えるならば
「が=持つ」だよと言っているんだよ。

「逃げるが勝ち = 逃げる 持つ 勝ち = SVO」
「ビールが美味い = ビール 持つ 美味い =SVC」
「明日が山 = 明日 持つ 山 = SVO」

こう置き換えると、意味が通る。
その結果として、非古典的表現でも、古典的表現でも
「日本語はSVC、SVO」だと主張している。
日本語はSOVじゃない、「日本語はSVC、SVO」なんだよ。