「残酷な話ですが、今日僕の話を聞きにきてくれた皆さんの中で、今後クリエイターとして成功するのは1人か2人です」

「自分が成功しているなんて、全然思っていません」。ジャーナリストであると同時に、メディア・アクティビストという一般には耳慣れない肩書きで活動する津田大介は、デジタルハリウッドの主催で開催されている連続講義『EAT creative program』において、多数のクリエイター志望者を前にして、上記のように自分のことを表現した。

もちろん、彼が成功者であることは客観的に見れば明らか。Twitterで130万人以上のフォロワーを抱え、Twitterの実況中継には「tsudaる」という名詞が与えられた。早稲田大学文学学術院教授として教壇に立ち、数々のテレビや講演会にも引っ張りだこ。いったい、なぜそんな彼が「成功」していないと言うのだろうか?

もともと、ライターとして出発した津田大介が注目され始めたのは、30代を過ぎた10年ほど前から。「遅咲き」という言葉で自らの活動を振り返るが、津田は、そんな「遅咲き」ならではの経験を若い頃に積み上げてきたという。

津田:僕は20代の頃に、ライターとして堀江貴文さんをはじめとするたくさんの「スゴい人」に会い取材を行ってきました。それは、自分にとってコンプレックスにもなりましたが、そんな経験のおかげで「自分はスゴい」と勘違いせずにいられたんです。「スゴい」人々と話をしながら自分の凡庸さを痛感することで、自分の立ち位置を知り、自分ができることは何かを考えるようになったんです。

普通、クリエイターは、凡人にはできないような並外れた才能を持っていると考えられているし、実際に「天才」としか形容しようがない人間も数多い。デジタルハリウッドのようなクリエイティブ系の学校に足を運ぶ人々は、多かれ少なかれ自分に対して可能性を感じていることだろう。

しかし、そんなクリエイター志望の100人あまりを前にした津田は「残酷ですが」と前置きしながら、「この中で、クリエイターとして成功するのは1人か2人です」と断言した。その言葉はただの挑発ではなく、数多くの「本物」たちに接してきた津田だからこそ言える「事実」。クリエイターとして生計をたて、世間を驚かせるような活動を展開できるのは、ほんの一握りの才能なのだ。

「凡人」である津田が、クリエイターとして戦っていくために必要だったこととは?

では、「天才」と呼ばれなかった「凡人」たちは、そんな現実に直面したときにどうすればいいのだろうか? 津田は、若者たちにとって耳の痛い事実を突きつけながらも、同時に、テクノロジーの発達が「凡人」の活動を後押ししていると語る。

津田:雑誌を出版しようと思ったら数百万円かかっていたコストも、ブログを使えば0円。音楽の録音も、かつてはスタジオを借りてエンジニアを雇い、莫大なコストをかけていたものが、ProToolsのおかげで数十万で作れるようになった。今、技術の発達によって試行錯誤のコストは劇的に下がっています。そんな時代にあって、凡人がクリエイターとして戦っていくために必要なことは「常に自分を変えること」「得意なジャンルを組み合わせること」「チーム戦で戦うこと」、そして「スゴい人の肥やしになること」です。

「凡人」である津田もまた、これまで数々の試行錯誤を積み重ねてきた。ITライターからジャーナリストに転身し、メディア・アクティビストを名乗るなど「常に自分を変え」、ITと音楽、ITと政治といった「得意なジャンルを組み合わせ」、元雑誌編集者の大山卓也らとともに株式会社ナターシャを設立し「チーム戦で戦」ってきた。そして、その結果得たのが「スゴい人の肥やしになる」という立場だった。

津田:僕の場合は、思想家の東浩紀さんと付き合う中で、こちらの持っている情報を差し出したり、人を紹介することによって、彼の思想や著書に多少は影響を与えているかもしれないと感じたことがありました。自分の持っている情報が、別の人が生み出した素晴らしい作品に0.5%でも影響を与えられていたらすごいことじゃありません?

また、クリエイターの中にはモノを作ることしか考えられず、コミュニケーションが下手な人も多いですよね。そんなクリエイターの意図を理解し、適切に伝えるのがクリエイターの周囲にいるプロデューサーや編集者の役割。そして、そういった役割を果たすのに秀でているのが、クリエイターの気持ちをわかる「元クリエイター」「クリエイター経験者」なんです。クリエイターとしての活動はパッとしなくても、他の人を支える才能や、支えていく過程で自分なりのやり方に気づいてことで開花することもあるんですよ。

以下ソース
https://www.cinra.net/report/201707-tsudadaisuke