すり抜け派の言い分が正しく、社会的にも理解が得られるなら、
「道路の左端を自動二輪、原付、軽車両の通行帯とし、車両等は左折する場合を除きこの間隔を可能な限り空けること」
が明文化されるかもしれない。(というか、昭和39年まではそうだった)

それには当然、統計的にその方が安全であることを証明しなければならないし、社会的にも「もっともだ」という理解がなければならない。
だから、同じバイク乗りでも眉を顰めるような強引なすり抜けは自重しよう。

では、どういったやり方なら理解が得られるか個別の行為について考えよう。

そういった議論ができたら良いですね。