常連-1氏
大躍進政策が虐殺でない。本当か?
大躍進政策は、チベットでも行われた。しかし餓死者は続出し、
1989年の中国社会科学院の調査では、飢饉で死亡した数は
1,500万人とされる。この他、人口統計学者のジュディス・バ
ニスターは、3,000万人と推計している
パンチェン・ラマ10世の諌言
パンチェン・ラマは1962年5月18日に、チベット政府首班の地位を
周恩来首相に譲る。中国統一戦線部部長リー・ウェイハンは、3カ月
間諌言を受けて改善を実行しようとしたが、同1962年8月、毛沢東は
中止を指示し、リーはパンチェン・ラマとの結託を批判され、パンチ
ェン・ラマも自己批判を命じられ翌1963年、ラサで50日間の闘争集
会に掛けられたあと、北京に送還された。なお1960年に法学者国際
委員会報告書は、チベットにおいてジェノサイド(民族絶滅を意図
する大虐殺)があった明らかな証拠があると発表しており、七万言
上書はこの見解を裏付けるものとなった。この七万言上書について
周恩来は「事実ではない」と答えている。
パンチェン・ラマ10世は文化大革命の際に紅衛兵に拘束されて196
8年から1978年まで10年間投獄され、出獄後も1982年まで北京で
軟禁された。パンチェン・ラマ10世は1989年の演説で「チベットは
過去30年間、その発展のために記録した進歩よりも大きな代価を支
払った。二度と繰り返してはならない一つの過ち」と自説を述べた。
これは中共政府の用意した原稿を無視した演説であった。その発言
のわずか5日後、パンチェン・ラマ10世は死去した。中華人民共和国
政府は死因を心筋梗塞と発表したが、チベット亡命政府や西側のチベ
ット独立運動家などは暗殺説を主張した。