関西電力「高浜事件」は「NIMBY」から「KIMBY」への変質が原因
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◆「逃げ足の速いエリート」の狡さ

元助役は、仕事を求めてというよりも、「関電と立地地域の絆を深める」「関電により原発へのコミットを深めさせる」という意図があったと読み解くべきだろう。
つまり、会長、社長はじめ関電幹部に原発マネーを還流させることで、地元と同列の立場、“原発運命共同体”に引きずり込もうと狙ったのではないか。

「金品を返却しようとすると森山氏は激高した」(八木会長)というのは、森山元助役からみれば、「同じ釜の飯を食った仲間」と同じように、「同じ原発マネーで潤った仲間」になることを拒否されたと感じたからではないか。

元助役はそこに、「逃げ足の速いエリート」の狡さを感じ取ったのかもしれない。

関電は、動かせる原発は徹底的に動かし、発電コストを下げる一方、立地地域が望む老朽原発のリプレースなど、将来についてはコミットしていないからだ。

客観的に見れば、関電は電力小売り自由化の激しい競争を原発再稼働によるコスト競争力で勝ち抜き、新規参入者が激しい料金競争によって経営破綻し、淘汰されていけば、再び既存の電力会社の時代が戻って来るという大戦略を抱いているように見える。


実際、英国で始まった欧州の電力自由化は、いったん既存の電力会社が分割され、新規参入も相次いだ後、激しい価格競争による消耗戦を経て、統合・集約の大きな波が訪れ、結果的に大手の寡占度がかえって高まる結果となった。

そうした大手電力会社の大戦略、長期構想のなかでは、高浜町も福井県も片隅にしか置かれていないだろう。

「既存の原発は自分たちが競争に勝ち抜くために使えるだけ使って、その後はフェイドアウト」という関電の本音を地元は感じ取った、少なくとも森山氏は気づいたのではないか。

関電は故人の森山元助役を特異な人物と描いてみせ、高浜事件はその特異な人物によって引き起こされた“特殊ケース”として片付けようとしているように見える。
反論もできない故人を誹謗中傷し、すべての責任を押しつける関電の姿勢には大きな疑問が残る。