総督府は土地所有者の調査を実施し、所有者のいない土地は接収して東洋拓殖に買い取らせ、日本人移住者や朝鮮人有力者に分配した。
総督府が接収した農地は全耕作地の3.26%ほどである[84]。李朝末期の朝鮮は道路、農地、山、河川、港湾などが荒廃しており、民衆は官吏・地主・両班に高利貸(トンノリ)による収奪を受けていた。
そのため日本が朝鮮の農地にて、水防工事や水利工事をし、金融組合もつくったことで、農民は安い金利で融資を受けることができるようになり、朝鮮人農民に多大な利益をもたらすようになった。
また、水利組合の設立により安心して農耕ができるようになった[85]。大地主である朝鮮人は、生産性が上がり日本へ米を輸出できるようになったことで多額の利益を得ていた。
その代表的な人物がサムスングループの創始者である李秉浮ナある。彼は慶尚南道の大地主の次男として生まれ、米の輸出で得た多額の資金を元手に1938年に大邱にて三星商事を設立し、これがのちのサムスングループに発展していった[86]。

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【チョン悲報】チョン自慢のサムチョンですら日本統治の産物だった【ニッテイ残滓】 Part3
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