【悲報】日本学術会議、60年前の会員からも存在意義に疑問を持たれていた
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※筆者はギリシャ哲学の権威で、1957年から6年間学術会議会員を務めた。

私の経験と意見 ──ふたたび学術会議会員に選出されて (田中美知太郎)
1960年1月「学術月報」より(『戦後四十年の発言』に所収)
 学術会議というものに、まだわたしはさっぱりなじめないのである。第四期の新会員と
なってから三年間、毎回の総会に出席し、学問思想の自由委員会というところへは、い
つも出席するわけにはいかなかったが、その何回かの委員会に出席したというのが、
わたしの経験のほとんど全部である。わたしは一種の経験派なので、この経験もわたし
自身には、いろいろおもしろく思えるのであるが、しかし委員会の仕事や総会の議事な
どを、それほど重要な意味があるものとは思わなかった。わたしはいろいろな人物の動
きに観察的な興味をもったけれども、それ以外に特別の理論的興味の刺激を受けるよ
うなことはなかった。学術会議などという名前にもかかわらず、あまり学問的ではないよ
うに思ったことさえ少なくない。
(中略)
 委員会については、あまりよく知らない。わたしの所属した委員会は、いわゆる同好の
士の集りで、結構おしゃべりを楽しんでいる分には、おもしろい委員会だったと言えるか
も知れない。しかし実際の仕事については、どれだけの意味があるのか、わたしは正直
のところ懐疑的である。
 このほか外から見たところでは、同一傾向の人たちばかり集っている委員会の存在
や、同じ人が方々の委員会で重要な地位を占めていたりするのも、少しおもしろくないよ
うに思う。この種の重複は制限すべきであり、ひろくいろいろな人に参与してもらう方が
よいのではないかと思う。そして学術会議の会員を何度もやるということさえ、ある意味
では問題だと思っている。
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