某所より

>河野太郎は、1985年21歳で米国ジョージタウン大学を卒業、帰国し富士ゼロックスへ入社。
>国際事業部に配属され、1991年富士ゼロックスアジアパシフィック設立に関わる。
>1993年30歳時に父親の河野洋平(当時官房長)による「河野談話」が発表され、長男の勤務先と
>いうことから、富士ゼロックスにまで抗議が殺到。外宣車などが他の社員の業務に支障を来すため、
>自主退職。会社は正面玄関に、太郎が退職した旨の張り紙を出す。
>当時、結婚を考えていた女性とも別れ、現在まで未婚。
>その後は、河野家が大株主の日本端子へ2年ほど勤務。1996年の第41回衆議院議員総選挙に
>神奈川15区から立候補し、当選。


(´;ω;`)ブワッ