チベット亡命政府は、中華人民共和国が建国した1949年に同時に開始されたチベット併合以来、チベット侵攻やカム反乱「鎮圧」、また「民主改革」の名の下の弾圧、
中国全土で5,000万人が犠牲になったといわれる大躍進政策、また文化大革命などを経て、1979年頃までにチベット全域で“中華人民共和国によるチベット人大虐殺”が行われたとしている[1]。
なお、2000年代に入ってからも様々な弾圧が続いている(後述)。

酒井信彦は、ガンデンポタン(チベット亡命政府)や西側諸国政府[要出典]による調査の結果、
チベット動乱前後の中国によるチベット侵攻および併合政策の過程で、チベット全域で120万人にのぼる犠牲者が出た[2]としている。この犠牲者のなかには、自殺者や行方不明者も含まれるという。
チベット亡命政府や国際司法裁判所の『チベットと中華人民共和国』報告[3]、医師ジョン・アーカリーとブレーク・カーによる『チベットにおける拷問と投獄の報告』[3]、アムネスティの『中国における拷問』(1992年)、
国連人権委員会の『チベットにおける真実』[3]などが、中国政府の恐怖政治を告発したが、中国は、これらの主張を強く否定している。ICJは1997年にも、中国によるチベットへの抑圧が激化していると報告している[3]。

1953年におけるチベット公式の国勢調査では中央チベットの人口は127万人と記録されており、
中国政府の主張にしたがう学者はこれを根拠として虐殺被害者「120万」という数字の信憑性を疑問視するが[4]、
しかし、上記の通り、チベット亡命政府の採る犠牲者120万人という数は、ガンデンポタンが統治していた中央チベットだけではなく、アムド、カムをも含んだチベット全域の数字である。
また、チベット地域の人口は600万人といわれるため[5]、総人口の5分の1が虐殺または行方不明となっている。

1950〜1976年の間の犠牲者数は、次のように推定されている[6][3]。
173,221人のチベット人が、刑務所もしくは強制収容所で死亡。
156,758人が処刑死。
342,970人が餓死。
432,705人が戦闘もしくは暴動中に死亡。
92,731人が拷問死。
9,002人が自殺。

以上、合計120万7387人[3]。ここには1980年代以降の犠牲者数は含まれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E5%95%8F%E9%A1%8C