何故この国が自虐風味の自己卑下ばかりが幅を利かすのかということは時々考える。
戦後サヨクと親和性が高いのは確かだが、それ以前にはなかったかというとそうでもない。
思うに波風が立たないことを至上命題とし、あえてリスクを背負うことを嫌う精神風土のまま
近代を迎えてしまったことと関係があるのかもしれない。
日本を批判する側も擁護する側も、自分が叩かれる可能性を引き受けていない点では変わりはない。
責任という言葉がただの政敵叩きのツールと化し、
主体意識が不在のまま自分をかさ増しするためだけの守旧派攻撃もこの国の一つの伝統かもしれない。