路子(ろし Lu zi 紀元前565年−紀元前549年)は春秋時代の中国の思想家、政治家。

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芸術を極めることが堯舜より周初に連なる君子の道であると説き、芸術家の始祖として諸子百家の一をなした。
杏(きょう)の望月公(ぼうげつこう)に重用されたが、望月公が自室に閉じこもり3日3晩を六博(すごろくのようなものと伝えられる)に興じた際、
これを諌めたことから怒りを買い、車裂きの刑に処された。
死に際して、「我が死屍を以って芸術となる。幸い甚だ至れり。善き哉、善き哉。(路子の体がアートとなるのです。ベリーハッピーがカミングです。よいぞよいぞ)」と言い遺したという。

民間伝承では、北方の胡族の出身で、本名は弥痴呼(みちこ)であったといい、現在も民族の英雄として祭祀が続けられている。
また、中国政府の少数民族優遇政策もあり、研究再評価が進んでいるが、今のところ文献や出土史料から出自を証明するものは見つかっていない。

一説によれば、処刑は車裂きではなく釜茹でであり、望月公の愛妾、葉禮那(えれな)によって肉が百官に振る舞われたという。