>>850
「クラクフのヤン・ゼーン研究所は、自分たちが間違った分析方法をしていることを十分承知のうえでニッコーサイトのデータを公表したんですよ。
1991年、ヤン・ゼーン研究所から分析結果が漏洩して、リビジョニスト(歴史修正主義者)の手に入り、その後、彼らの雑誌に公表された。
もともと、漏洩したデータ自体そのものは、ヤン・ゼーン研究所自身の手で1990年に公表されるはずだった。
しかし、研究所はそのデータを封印した」
 「その封印したデータが漏洩したと… そういうことですか?」
 「その通りです」
 「なぜヤン・ゼーン研究所は最初のデータを封印したのでしょうか?」
 「それはデータを見れば簡単にわかることです。
ヤン・ゼーン研究所が「殺人ガス室」から採取した5つのサンプルのうち1つだけに、ごく少量のシアン残余物が検出され(0.024 mg/kg)、それ以外のサンプルには、まったく検出されなかった。
一方、害虫駆除室からのサンプルには、20倍も高い数値までもが検出された(0.036-0.588 mg/kg)。