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報復しない無力は<善良さ>に、びくついた卑劣さは<謙虚>に変えられ、憎悪をいだく相手にたいする屈従は〈従順〉(つまり、彼らの曰くでは、この屈従を命ずる者にたいする従順―――この者を彼らは神と呼んでいるのですが)に変えられます。弱者の退嬰ぶり、弱者にたっぷりそなわった怯懦そのもの、戸口でのその立ちん坊ぶり、その仕方なしの待ちぼうけぶり、それがここでは<忍耐>という美名で呼ばれます。それはまた徳そのものともいわれるらしいのです。それに<復讐できない>が<復讐したくない>の意味におそらく宥恕という意味にすらなっています(「彼らはその為すところを知らざればなり―――ひとりわれらのみ彼らの為すところを知るなり!)。それにまた、「敵に対する愛」についても話しています―――しかも汗だくでやっています。」
戦いに臨んでかくも毅然たる態度を持している人には、おそらくは何人たりとも手を触れないのがつねで、むしろ人々が追跡する手輩は、ひたすら逃げ去る者たちなのだ。
June.16 2011
Posted by kkk
善悪の彼岸 − フリードリヒ・ニーチェ
・ただひとりの人間にたいする愛は、野蛮というものだ。
なぜならそれは、そのほかのすべての人間を犠牲にしてなされるものだからだ。
神にたいする愛とても同断である。
・女は魅惑することを―――忘れるようになるにつれて、憎むようになる。
・復讐と恋愛にかけては、女性は男性よりも野蛮である。
・愛からなされることは、いつも善悪の彼岸におこる。
・ひとは相手を軽視しているかぎり、憎むことはない。
相手を同等もしくは一段すぎれたものと認めたときにはじめて憎む。
・結局のところ、ひとは自分の欲望を愛しているのであって、
欲望されたそのものを愛しているのではない。
・高貴な種類の人間は、自分が価値の決定者であると感ずる。
彼は他人から是認されることなど必要としない。
「私に害あるものは、それ自体害である。」と彼は、
およそ事物にはじめて、栄誉を授ける者は自分だと心得ている。
彼は価値創造者である。
