> フランスでは、ベートーヴェンの緊張感あふれる第5交響曲(C長調の爆発的な終楽章を持つ)は「運命交響曲」ではなく「勝利の歌」と呼ばれています。

これは交響曲第三番が『とある英雄のための』という副題が付いているからだろう。エロイカ、英雄交響曲。


こういう雑学しか知らん人間はまったく音楽の感性が無いわ

ベートーヴェンがブチギレた理由/「交響曲第3番《英雄》」|シモンズ
https://note.com/modern_roses96/n/ne5a4569ee109

私はクラシックファンとしては珍しく(?)、交響曲というジャンルをそこまで好んでいるわけではありません。そんな私の大好きな数少ない交響曲のひとつが、ベートーヴェンの「交響曲第3番」です。

この曲は日本では《英雄》という通称で親しまれていますが、海外ではイタリア語で「エロイカ(eroica)」と呼ぶのが主流です。これは男性名詞を形容する「eroico(英雄的な)」という単語が、女性名詞である「sinfonia(交響曲)」を修飾するために変化したものだそうです。

したがってこの曲は、直訳すると「sinfonia eroica(英雄的な交響曲)」であり、英雄そのものを表した標題音楽ではありません。

「交響曲第3番」はあらゆる意味で、それまでの交響曲とは一線を画すものでした。

ベートーヴェン以前、すなわちハイドンやモーツァルトの時代における交響曲とは、いわゆる「ウィーン古典派」形式のもので、演奏時間はせいぜい20分から30分です。

ところがこの曲はそれらに比べて非常に長く、演奏家によっては全曲で50分を超える大曲となっています。

また、第2楽章には「葬送行進曲」というタイトルが付けられており、第3楽章は伝統的なメヌエットではなくスケルツォ、第4楽章は規模の大きい変奏曲となっています。すべてにおいて、それまでの交響曲とは異なっているのです。

ベートーヴェン自身は「ウィーン古典派」のカテゴリーに属する作曲家ですが、彼は自らこの殻を打ち破り、斬新な発想にもとづいた交響曲を作曲することで、のちに続くロマン派音楽への道筋をつくったのです。
2.「英雄」とは誰のことか
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ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821)

「交響曲第3番」は、当時のフランス革命で、共和国政府の打倒をめざすヨーロッパ諸国の連合軍と戦うナポレオン・ボナパルトを讃えるために作曲されたといいます。

祖国の敵であるはずのナポレオンに心酔していたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)は、その偉大さを音楽で表現し、尊敬するナポレオンに献呈しようとしたのです。

ところが、この曲の完成後間もなく、ナポレオンが皇帝に即位したというニュースが飛び込んできました。これに失望したベートーヴェンは、怒りのあまり楽譜の表紙に書かれたナポレオンへの献辞をペンでかき消します。そしてその上に「ある英雄の思い出のために」と記し、曲名を「sinfonia eroica」としました。

この「英雄」が誰のことを指しているのかはわかりません。ナポレオンのことかもしれませんし、そうでないかもしれない。まったく別の人物のことではないかという説もあるようです。

私の考えを述べると、作曲の過程でベートーヴェンの頭の中にあったのはやはりナポレオンではないかと思います。しかし皇帝になった時点で、ナポレオンはベートーヴェンの思い描く「英雄」ではなくなってしまいました。

そこでベートーヴェンは、かつて自分が尊敬していた(今はもういない)ナポレオンの姿を、曲の中に閉じ込めたのではないでしょうか。宿主を失った「英雄」はベートーヴェンの「思い出」とともに、音楽の世界でのみ生きているのです。