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史観、言語、国語、文字、字、文、風土、史学、詩学、思想、哲学、国家、宗教、宗教学、歴史と史学と史観
日本国民の意識の差異に於ける甚だしい差異をどこに求かを示すのはそう容易なものでもあるまい。
時代如何に関わらず人が生きるということは即ち、闘いと調和と共存共栄のものであるとは至極言うまでも無いことであるし、歴史を振り返れば闘争の無い時代は無いと言えるだろう。
弛緩しきった時代と緊迫した時代とそして闘争と堕落の繰返しであることはこれは理の源を辿ることもない普通のことである。

盛んに世間で主張される声には一切耳を傾けぬ私は長い間、人びとの行動とその様式をぢっと阿呆か狂気か叉は俳優か役者、道化師、所謂芸能人の如くに生きてきた。

少しずつわかるようになったのはここ最近のような気がする。
一切の思想や主義など抜きにしてここは落ち着いて綴らなければならないだろう。

平源の闘争から戊辰戦争、無血なんとかいう明治維新とか国家転覆行為、然しながら、よくよく考えてみれば、どこの誰だどう言おうと何処で何が誤りであったとか問うのはあまり意味の無いことのように思える。
最もいけないことは自分の基準、即ち指標、価値観で物事を云々することである。礼節を欠くこと、そして行儀知らずは恥であり、模倣は従属であることは言うまでもないであろう。

何の為に生まれてきたのか。そんなものはどうでもいいけれども、悩む人びとは多いかもしれないし、死ぬのは恐いという人も中にはいる。生きていることに悲観して自死だの言われているけれど、多くは絶望や一時の狂気錯乱、そして最も多いと思われるのが怨恨や自尊心からの自死である。