>>948
こんなに値段がするとは思わんかったわ

ポットミルってこんなに値段するのか

ようさん出たわね
こんなに最終的には値段がなるのか…

家のジイは甘え過ぎだと思うわ
バアの家の事業に税務署職員に厭気が差して、全部を擲って『小僧さ』という身分階級になってまで一生懸命になって自分の商店を持つ事に尽力したげな。

まあ、こういうことはね、此方の田舎の人間は苦労話にも思わんのだわね、普通のことだと思って、ふうんで終わる話。叉は自分の家特有の文化だったのかもしれない。

商店を持ってオレがいる間はいつも春になると燕が巣を作ってくれた。蛍光灯の上だった。商店の入り口の前にある小さな蛍光灯にカバーのしてあるよくあるやつだ。


ここで話は前に述べた事に戻すとする。LED照明に関してのこと。光害(ひかりがい)というものがある。
識っている人は識っているし、知らない人は特段興味が無いと思うのでここには書かない。


LED証明に燕が巣作りをしたことがあることをアタシは見たことが一度も無い。
LED照明は大嫌いである。これは前々からアタシを守してくださっている5ちゃんねる掲示板の先輩がたならば理解しておられると思うのでクドいと思われたらいけませんのでここまでにします。
谷崎潤一郎さんの『陰翳礼讃』は、『春琴抄』についで見事な書き物です。耽美主義だとか美とか言われておりますが、別に普通の事を物語、つまり今風に言えばドラマにしているだけのことで普通に思います。
これを耽美的だのどうだの言う人は文学を知らないと思う。無学、無知だとまでは私は言いませんが本を知らない人だとは言わせてもらいたい。そうして書物の大切さを今まであったように語り続ける事には何らかの意味があることを酌み取ってくれる人も中にはおられるようだ。
いや、私の勘違いや思い込みや錯覚や妄想かもしれない。しかしアタシがどう考えていようが全体が良くなっていくならばそれで結構なことではないか。
希望を忘れぬこと、夢を持つこと、そうして人間の想像力の素晴らしさ。

創造ばかり言われていますが、想像の方はあまり聞かない世の中です。

想像の世界ならば何でもなれるということを私たちは忘れているのではないだろうか。
現実だの夢だの言ったところで所詮人間五十年から百年、せいぜ七十か八十、早い人は早いし遅い人は遅い。
それだけの違いは取るに足らない単位の時間ではなあるまいか。
無論、時間は大事である。
しかし、それより何よりも大切な事を私たちは時折忘れてしまう、こういうことを胸に刻むことは大切に思います。
私は誰にも威張りたくない。誰にも威張った事もない。喧嘩するときは別だ。威張りはしないが、斃しに本気で行く。怒ったらの場合。誰でもそうだ。怒ればそうなる。

いんえいらいさん【陰翳礼讃】
谷崎潤一郎の随筆。「経済往来」誌の昭和8年(1933)12月号と翌昭和9年(1934)1月号に掲載。薄暗い明かりに象徴される日本の伝統美を論じる。

デジタル大辞泉 (C) SHOGAKUKAN Inc.1995 1998 2012 2021

ごんか娘の理論
ごんか娘かく語りき
エスパー魔美かく語りき


Die Theorie der Gonka-Tochter
Gonka Musume no kakari katakana
Esper Mami erzählt ihre Geschichte