>>968 少し話を飛躍するが、大凡、委託先事業者の決まり事、取り決め、要は入札の際の契約内容はどの程度にまで法律は当然のこと、
市の条例などを包括的、そして統合した上で契約を締結しているのか私には疑問に思われる。
よくよく、子ども向きの国語若しくは社会のような阿呆でも書ける、市民の意見を唯形式的に条例の範囲内で駄々草に、
乱雑に出鱈目な非営利団体NPO法人が利を貪る構図がナディアパークから既に街全体に向け完成しているではないか。
今まで黙っていたが、そろそろ口を開け声を出しても良い頃合いに自分は思う。
あれは意味を為さぬ悪徳の暴力団が関わっているとも言い切れるような兎に角、人様に対し何だと驚くような対応をしてくるのであるが、
私はそれ自身に関しての抗議や批判を説こうとしているのではない。
更に一段、一段、と最下部でどのような構造になっているが故にこのような事がこの頃各種の窓口で乱暴な電話応対をする(思うにあれは健全で良識ある道徳心のある
'消費生活相談員'という資格、免許緒が近頃登場したことを私は知っている。そこから話すべきであろうか。いずれにせよ。書かねばならぬ事柄故此処に綴るのであるが、
今私は誠に不愉快な思いで意識もボンヤリとするくらいに心臓の動悸を感じ呼吸も荒くなってきている。
忍従すればする程、問題の解決は遠のく事を僕は此処に書く。
一度、屈辱的な扱いをされ、それを忍従して堪えるようになると、その荒々しい行為は留まること無く他の市民に対しても継続されることは帰納法なものの考え方で進めて行けばわかる事だ。
私が理解していることを現場の職員に納得させるのは兎に角骨の折れる作業であり、言い方が悪いかもしれぬが、
外道畜生類の類いまで市は重要な教育、養育、障害者福祉、高齢者福祉、様々な部門にわかれているが、
年度明けだからといってあそこまで不慣れで何も知らぬ人間を現場に置くのは子どもをおいて国内の問題、
そうして内閣府の環境省の大臣が熱心に継続して会見してうる動画を私は定期的に敢えて情報を追うことなく観察するようにしている。
理由は毎日継続して同じ人物の会見、出来レースの会見であるのは解るが、それであれば、
テロップで「この記者会見は予め報道機関にそれぞれ質問の内容を前以て記載させ大臣なり官房の方が目を通しそれに対しての所謂、」
)
また教育委員会への賄賂問題と似たような問題が必ず出てくる筈であり、
私の書いた文書を委託先事業者の素人が書いたかのように独立行政法人国民生活センターに
報告なり名古屋スポーツ市民局へ報告が上がっている可能性は大きい
以前も同様の出来事があったことを僕は忘れない。愛する何よりも大切な書籍、図鑑などを扱う中央図書館のあれは協議委員会への面接であった。あれは僕は神経に行い中の様子を知りたいが故に応募した何度か選考という仕組みや原理、要は選考の原理は多数決も無意味さに近いものであるのか、それとも市の方針に基づい公正でこの後少なくとも三十年先の未来、つまり多くの上役の職員の方の死後の世代、後世の為に如何なる中央図書館を運営維持するのかを決定付けるものでり、
多くの愚鈍な職員のようにその場その年度その時々の気紛れや苦情を畏れるだのライオンズクラブだのユニオンだの不審に市民からは映る何かしら市と馴れ合いをしている接近している団体の存在。
それも僕は不満だ。
到るまで普遍的に読み継がれる書物というのは人類の犯してきた。。。
不満になる理由さえおそらくいこれを読む職員、僕は今、怒りで文章が作成出来ないくらいに大きな予算を僕の出した活字離れし久しい世代へのいざというときの命を救う予防や対策に繋がる謂わば守りではなく武器や利器としたグーテンベルク以降の時代を決定付けた、活版印刷による出版技術の発展進歩と共に歩んできた人類共通の偉大な魂による血と汗と涙と数多くの妨害や抑圧外部からbの暴力であったり、時にはアウシュビッツやアンネの日記のごとく悲劇の元に生まれた魂の記録など、ナザレのイエスから現代に
何故ならば、文書を発見したときの正規職員の反応が衝撃的な声を失う場面があり、声を震わせ、これの返還要求は出来ないと関わりを持ちたくない事例のような反応を彼女は電話越しにしてるのに気付く。
審議会は私に小論文を書かせるだけ書かせて市民の命(これは自分のことではなくこの住居に住む住人をさしている)