悪徳の栄え − マルキ・ド・サド
・激しい情欲に動かされない人間は、凡庸な存在でしかないだろう。
偉大な人間を生むことができるのは、偉大な情欲のみであろう。
人間は情熱的であることをやめるや、たちまち鈍物になってしまう。
・法律によって人間を善良ならしめようなどと考えるのは、よしたがいい。
法律によるかぎり、人間はますます狡猾、ますます悪辣になるばかりであって、けっして善良になどはならないのだ・・・
・人間を支配するには、神の口を借りて語らねばならぬ。そうすれば人間は服従する。
・一般に罪と呼ばれているものは、すべて偶然的であれ計画的であれ、人間が法律と呼んでいるものに対する形式的な違反である。
・要するに良心の呵責というのは、この最初心に萌した衝動の純粋な結果なのであって、習慣のみがこれを破壊することができる、われわれはかかる感情を断乎として克服すべく努力せねばならない。
・法律はうんときびしくしなければいけない。異端糾問所の支配している国のみが幸福な統治国なのだ。それのみが君主への絶対服従を実現しうる。
政治の支配力を強くするには宗教の支配力を強くするのが、いちばんの早道だ。王笏の権威は香炉の権威に依存している。
・国家の真の政治、したがって、市民を堕落させうるようなあらゆる手段を、何百倍にもふやすことなのだ。
多くの見世物、豪奢な贅沢、無数の居酒屋、淫売屋、砲塔の罪の全面的許可、これこそ人間を柔順にするための確実な手段なのだ。
・人間社会の慣習なんてものは、殆どいつも、あまねく社会の成員の許可なしに広められてしまうものなので、
多くの場合あたしたちの憎悪の的であり・・・世の良識とは相容れぬものよ。
馬鹿馬鹿しい世間の慣習は、唯々諾々とそれに従おうとする阿呆な人の眼にしか現実性をもたず、
叡智と理性の眼にはただ軽蔑の対象でしかないものよ・・・
・原因のない結果にはないんだから、結果がああたしをおびやかすとき、まず第一の配慮は、直ちに原因までさかのぼってみるということね。
・美徳は人間の恒常的な道徳ではまったくなくて、単に社会生活が人間に尊重することを強いた、不自然な犠牲的感情でしかないことも明らかである。
