けだし、我々明治の青年が、まったくその父兄の手によって造りだされた明治新社会の完成のために有用な人物となるべく教育されてきた間に、
べつに青年自体の権利を認識し、自発的に自己を主張し始めたのは、
誰も知るごとく、日清戦争の結果によって国民全体がその国民的自覚の勃興を示してから間もなくの事であった。

すでに自然主義運動の先蹤として一部の間に認められているごとく、樗牛の個人主義がすなわちその第一声であった。

(そうしてその際においても、我々はまだかの既成強権に対して第二者たる意識を持ちえなかった。樗牛は後年彼の友人が自然主義と国家的観念との間に妥協を試みたごとく、その日蓮論の中に彼の主義対既成強権の圧制結婚を企てている)

 樗牛の個人主義の破滅の原因は、かの思想それ自身の中にあったことはいうまでもない。

すなわち彼には、人間の偉大に関する伝習的迷信がきわめて多量に含まれていたとともに、
いっさいの「既成」と青年との間の関係に対する理解がはるかに局限的
(日露戦争以前における日本人の精神的活動があらゆる方面において局限的であったごとく)であった。

そうしてその思想が魔語のごとく(彼がニイチェを評した言葉を借りていえば)
当時の青年を動かしたにもかかわらず、彼が未来の一設計者たるニイチェから分れて、
その迷信の偶像を日蓮という過去の人間に発見した時、
「未来の権利」たる青年の心は、彼の永眠を待つまでもなく、早くすでに彼を離れ始めたのである。



石川啄木 時代閉塞の現状 (強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)
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現代への批判
石川啄木先生を恋慕する詩文好きからの唐突なる便り 「矢張り日蓮宗でした」