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『権利のための闘争』 ルドルフ・フォン・イェーリング著

権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である。
自己の生存を主張することは、生きとし生けるものの最高の法則である。
この法則は、あらゆる生きものの自己保存本能として示されている。
しかし、人間にとっては、肉体的な生存ばかりでなく、倫理的なるものとして生存することも重要であり、そのための条件の一つが権利を主張することなのである。
人間は、自己の倫理的生存条件を権利というかたちで保持し、守るのであって、権利をもたねい人間は獣に成り下がってしまう。*だからこそ、ローマ人は、抽象的な法の観点からは理屈どおりに、奴隷を家畜と同列に置いたのだ。したがって、権利を主張することは倫理的自己保存の義務であり、権利主張を全体として放棄すること(それは今日ではむろん不可能だが、かつては可能であった)は倫理的自殺〔権利能力=法的人格をみずから抹殺すること〕である。また、法というものは個々の法制度の総体にほかならず、一つひとつの法制度は――所有権も婚姻も、契約も名誉も――それぞれ人間存在にとっての物理的もしくは倫理的な生存条件となっているのだから、そうした生存条件の一つだけを放棄することも、権利の全体〔権利能力〕を放棄することと同様に、法の立場からして認められないのである。むろん、他人がこうした条件の一つを攻撃することはありうるのであって、その攻撃をはね返すことは権利主体の義務である。けだし、これらの生存条件が権利によって抽象的に保障されているだけでは不十分であって、権利主体がそれを具体的に主張することが必要なのだから。
この主張のきっかけを与えるのが、他人の恣意による侵害だ、ということになる。

20代後半の文学青年がぼやく戯れ言

無意味で無駄で無意義な労働と、それで得ることのできる僅かな賃金などで、時間という最も大切で価値のあるものを奪われてはいけない。
無意味な労働の為に生まれてきたのではないという事を強く自覚すること。
自分自身と家族の生命と尊厳と価値観、倫理観を守るためには、権利を強く主張して行動すること。つまり何らかのアクションを起こさなければ現状は何も変わらないだけでなく悪化していく一方である。それを我々は打破しなければならない。それが自分自身と大切な家族を守るための最も確実な手段である。そして、それが窮極的には我々一般国民全体の利益となるのである。

「自ら虫けらになった者は、踏み潰されても文句は言えない」
イマヌエル・カント