>>548
> イェーリング式権利のための闘争

「権利の生涯とは闘争なのだ - 民族の、国家権力の、階級の、そして個人の闘争である。

実際、権利は衝突の表現としてのみ意味を持っており、人類が自らを飼いならそうとする努力の顕れなのだ。

残念なことに、権利は権力・不正に対し、今日の理性的な世界ではあまり用いられることのなく、不快で卑しまれるであろう方法で対抗しようとした。

というのも、権利が社会闘争を真に解決しようとしたことは、今までにただの一度もなかったのだ。

それよりも、権利が目指したのは、ただ単に、最終的な決定が下されるまでの間、どのように争われるべきであるかを規則に定め、それらの闘争を穏やかなものにすることであったのである。」


権利は、単なる思想ではなく、生き生きとした力なのである。
だからこそ、片手に権利を量るための秤を持つ正義の女神は、もう一方の手で権利を貫くための剣を握っているのだ。
秤を伴わない剣は裸の実力を、剣を伴わない秤は権利の無力を意味する。

Wikipediaの引用文はヘタクソな箇所だなあ