スマホを使うと頭も精神も神経も体も身体器官の全ての箇所がタワケになるのは事実であり現実的問題でもあるが、
そうした一切の救いやささやかな幸福や歓びさえ享受することの出来ぬものが果たして神アプリと言われる所以は何処にあるのだろうか
神と言ってもその神は一神教であろうか唯一神であろうか多神教の神々であろうか
それとも単にアニミズムやフェティシズムの産物としての神という概念であろうか
私には甚だ疑問である

『神アプリ』という概念の出処とデマゴギーと世論操作に関する論考が必要だが、人々は最早思考や思索する能力はおろか、考察や勘考する研究や探究心も喪失してしまった
これが神アプリという概念の玩具がもたらした現状社会の観察結果である総決算でもある

しかし、まだまだ研究に終わりが来る日はやってこない
こうしたことが言えるのではなかろうか
そうした『神アプリ』という概念が果たしてこれから先もまだ日本(唯一神アプリという概念のある国)で生きていくことが出来るのかも一つの疑問である
ガラパゴス化社会やガラパゴス化国家とも言われて揶揄され自虐までされている国家において人々がここまで夢中になり、
異口同音に神アプリという幻想を追い求めている様はまるでナルキッソスの水仙へと変わっていく場面とエコーが残響だけになっていく場面と重なるのである
こうした時代は幾度無く繰り返されてきたが多くの悲劇作家が警告を発してきたものである