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平成11年 1999.9.23 P8 「歴史ファイル 中部の20世紀」
 
「JOAR、こちらは中部日本放送、1090キロサイクルでお送りします。みなさん、おはようございます」
1951年9月1日午前6時30分、民間放送の夜明けを告げる声がラジオから響いた。
大阪・新日本放送(現・毎日放送)に先んじること5時間30分。
中部日本放送(CBC)が日本の民間ラジオ放送第一声を放つ栄誉を担った瞬間だ。
「官営」のNHKラジオから25年余り遅れて、
宇井昇アナウンサー(79) (新宿区)の「民間の声」は、
東海地方だけでなく、東京、大阪にも届いた。

当時、民放予備免許を受けていたのは16社。
うち、準備が進んでいた2社が先陣を切った。
「8月27日だったかな。うちと新日本(現 MBS )の放送部長同士が電話で、
『できたら同時にやりましょう』と話し合った。
ところが、新日本(現 MBS )の部長が、
『うちは準備が遅れているから無理です』と。
期せずして放送開始の第一号になった。」と
当時、鈴木重治CBC放送部長の下で働いていた
井沢慶一・元CBC常務(75)は経緯を語る。
 
しかし、準備不足はCBCとて同じ。
井沢元常務は「連日の徹夜続きでひげは伸び放題。
それでも、放送開始の前日になっても1週間の番組表は、
半分以上で録音が間に合わず、真っ白だった。」と
綱渡りの日々を振り返る。