現職の自民党の衆議院議員御法川信英の父親で、自民党の衆議院議員で福田派の

県会議員あがりの御法川英文(みのりかわ ひでふみ・故人)は

冷夏で南アジアのタイから外国産米を輸入せざるを得なくなった新進党連立政権下の日本政府のとき

1993年には秋田県農協政治連盟の集会に要請されて出席して

JA秋田中央会の全部の役職員の前と、秋田県内に80名はいたJAの組合長理事たちの

前で演壇に登壇して、演題の前の固定された銀色の音声がスピーカーから大きく出るマイクの前で

「この間、細川総理を見かけました。まるで蛇のような(まなぐ・方言で目のこと)をした細川さんの顔にわだしはオロどいてしまいました〜〜・・・」と

面白おかしい漫談のような政治演説をした会場に他部署応援ということで自分(T)も会場で見て聴いた。


演説が面白ければ秋田県農協政治連盟でも笑いが起こせたのが御法川秀文(みのりかわ ひでふみ・故人)氏だった。


英文氏の長男の御法川信英氏が、JA秋田中央会と無関係で選挙情報も資金も潜水艦でもいただいてはいないといのは
大曲商工会を内堀にし中央会を外堀にしたい策を持っているからで
元プロ野球選手で中華そば屋のホームラン王と秋田労働基準局に圧力をかけていた真相が
外務大から伝わる何かがおこてしまって、御法川家は信英が株式会社秋田銀行の正行員だった2年間を
隠しに隠して、いつの間にか都内の大投資銀行で世銀の委員の全共連(千代田区平河町・ひらかわちょう)に
自由に出入りしようとする蛮行をとろうとしたが、門番に開門を断られた。

顔パスは無理だよ、県会議員程度だ、御法川一族の博文と信英、この兄弟は血縁者ではなく韓国人の養子縁組だ。