平成4年当時で秋田県秋田市の八橋南(やばせみなみ)の「秋田県JAビル」の5階の秋田県農協中央会の事務室での雑談。
会長秘書の田中敏勝(たなか としかつ)が、いきなり秋田県農協中央会の農政広報部長に転籍の人事契約をして、
2階級の給与級アップを会長からしてもらうという強引な昇進人事があってから
1年後の年次のことだ。
佐藤実(本名さとうみのる)が農政広報部の次長兼農政課長事務取扱の当時で、
会長秘書の田中敏勝が農政広報部の部長として指示したりとりあえずの意見を言ったり命令したりしてきたことに対して
部長のまま席に座っていればいいはずが部下に指示したりし始めたことに対しての
陰口(かげぐち)の雑談を農政広報部の次長で当時47歳の佐藤実(本名さとうみのる)から
経営監査課の所属の正職員だった私(btbtw)は次の通り「秋田県JAビル」の5階の廊下で聞かされた。
  佐藤実:「(田中敏勝よ肩書きが農政広報部の部長になったといたって)いきなり、ぽっ、と来て何が分かる」と言い捨てた。
田中敏勝は会長秘書の審査役から考査役を超えて、いきなり44歳で「職能資格が審議役」の農政広報部の部長に転籍となったのであった。
新入職員から2年の勤続年数で、知っていたから会長秘書の田中敏勝に関わることは仕事をバカバカしくするので、
「職業組織人」として職務より人事権者の会長に、いかに取り入るかという中央会で」当時、34〜36歳代の男の正職員で農協監査士たち」に流行した処世に関わったら
「職業組織人」としてはダメになると解かっていた。