>>524 の続き。

1990年4月2日(月曜日)からの2003年3月31日までのJA秋田中央会の役職員の男女の
価値観についてだ。

・頭がいいとJA組織以外から評価される秋田県外のブランドを欲しがるんだよ。つまり東京都千代田区に本部がある全農と
千代田区に本部がある全共連と霞が関の農林水産省などでは「新しい職業知識としてJA秋田中央会職員らが
私人として手を伸ばし関わろうとすること」としては嫌なんだという中央会職員の志向があるんだよ。

※JA全中の新人は新人研修で秋田県内の某農協で体験実習を1か月滞在して受け、
千代田区の大手町の本部の農政課に勤務して農林水産省の若い官僚を訪問する正式業務が
屈辱だとすぐ転職していったことを私(t)は新人正職員のとき知っていたからブランドからは除く。


・JA秋田中央会の職場では、農協監査士は1次試験前の準備で「協同組合論の試験勉強をしなければならない」のだから
営農(担い手対策室)・農政広報(地域政策部)・総務企画課の課長だった「非」農協監査士の正職員の人間たちは
「協同組合」について語る立場として認められてきていないのだが、
「農協法と複式簿記」には無知だが「協同組合論」なら研修も受講したことが無いが理解していると権威ぶった役職員が
いたはずだ。
つまり農協監査士という国家資格のブランドをJA秋田中央会に勤務していながら保有していない屈辱の集団の1人でいたくないという
言動と行動はわりとよくあった。

・JA秋田中央会の会長と役職員にとって【秋田県特別職】のブランドに関わろうとする裏の目的は
「歴史的に引き継ぎされてきた農水大臣より農業以外の世界に影響力を持ちたい1個人としておつきあいさせてもらいたいというブランド」
だというくらいに狙ってきている。

・血筋と名字もブランドとしてJA秋田中央会は2005年から全役職員が江戸幕府の徳川方の武家を気どり始めたはずだ。




パク・ヘギョル