JA全農の秋田県本部長を6か月だけしかさせてもらえなかった小玉陽三は辞令で

JA秋田中央会からJA全農への出向を解かれJA秋田中央会に戻され、

秋田市仁井田のJA秋田県教育研修所の1階の小部屋に机を置かれて就業規則に定めた定年の

60歳を超えても雇用が継続され63歳までいた。

JA組織と無関係になった2005年の小玉陽三は、地元の秋田県山本郡三種町(みたねちょう)の
町役場の広報誌に小玉陽三の血族のルーツを紹介していた。
内容は次の通りだった。


「小玉家とは、戦国時代に天下統一を果たした織田信長が本能寺の変で明智光秀に暗殺されましたが、

織田信長の弟が生き残り、東北地方に逃げ、秋田県山本郡三種町(琴丘地区)の天瀬川の小高い丘」に

住みついたんです。織田信長の弟とは『天童』であり、三種町の天瀬川に代々住む小玉一族は『天童が持っていた名刀』を

家宝として代々受け継いでいます。」

秋田県の「三種町役場」の広報誌には尾張の織田信長の弟の『天童』の持っていた名刀が写真でも載せられていた。


※小玉陽三は国立東京農工大の農学部卒であるが都内の府中市に校舎があって
「(東京都の)府中(ふちゅう・府中市)で学生時代は競馬はやらなかったなー。競馬自体やったことないんだよ。」と言っていたのが1996年。