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>>286
・7行目を訂正します。
(誤)JA秋田中央会の野球部の連取 (正)JA秋田中央会の野球部の練習 JA秋田中央会の美女の中村裕佳子(なかむら ゆかこ)さんが、平成3年に自己都合退職した。
元.監査人T:「裕佳子先輩、なんで辞めちゃうの、せっかく一緒の仕事に慣れたのに・・・」
裕佳子:「わたし、やりたいことが見つかったの!」
元.監査人T:「辞めてどこの会社に勤めるの?」
裕佳子:「今は言えない・・・」
・この場面に鈴木重忠さんはいなかった。いなかったからこそ本音で話し合えた。
※裕佳子さんは豚肉が食べれなくて「中村ブタ子」というニックネームをつけられていた。 >>289
JA秋田中央会にいた美女の中村裕佳子さんは「正職員」であった。
自分にJA秋田中央会を辞めると打ち明けたときはまだ32才であった。
平成3年の7月の2人きりの秋田支所での普通の会話のワンシーンである。
鈴木重忠は、その当時、農林中央金庫秋田支店(旧JA秋田信連の秋田支所)の正職員の
佐々木千恵子さんから、”宮沢りえ”のヌード写真集「Santa Fe(サンタフェ)」を
貸し借りする間柄で、中央会の秋田支所では仕事もせず浮いた存在であった。
中村裕佳子さんも鈴木重忠さんを「チューさん」と呼んでいたが、人生のまさか、
参事にまでなろうとは誰も予想できなかったに違いない。
いい仕事をたくさんすると出世しない中央会に裕佳子さんも嫌気が差したのだろう。
自分も同意見である。 JA秋田中央会の由利支所はつまらないのが平成4年。
支所長は武藤俊美さん、営農農政担当は鈴木剛さん、経営監査合併担当は伊藤真澄さん、生活指導担当は伊藤修子さん。
たとえJA秋田5連会長の佐藤秀一(故人・勲2等叙勲)がJA矢島町の代表理事組合長で由利支所に出入りする出世コースだとしても、
そして権力者の【JA大内町】の代表理事組合長の【佐藤昭一】さまが出入りする由利支所であろうとも
つまらない地域であったことは伊藤真澄監査人(当時も秋田市在住)も言葉の端に漏らしていた。
東海林斉さんも由利支所の営農農政担当としてプライド高く歯のかみ合わせも悪く、肌も白く、下あごを出していた時期もあった。 >>291
・3行目を訂正します。
(誤)伊藤修子 (正)伊東修子 JA秋田中央会の参事の鈴木重忠さんは恋多き男であった。
例えば、平成3年には、JA秋田厚生連の北秋田中央病院の臨時職員と
恋に落ちていた(体格は170センチ位で現在は鈴木重忠夫人である)。
平成3年のJA秋田中央会の秋田支所時代は鈴木重忠(33才)、農林中央金庫秋田支店(元JA秋田信連の秋田支所)の
マドンナで当時24才の佐々木千恵子さん(由利本荘市生まれ)とヌード写真集をいつの間にか貸し借りする
間柄になっていた。この関係を「恋愛」と呼ぶべきか、スレンダーな美形の由利女と愛と平成の色男、と支所長連中が言っていたとかいないとか。 JA秋田中央会の参事の鈴木重忠さんの国立岩手大学農学部在籍時代のゼミの研究が
「二重トンネル工法」であったことを、なぜ、なぜ自分が知っているか。
それは平成3年の秋田県秋田市にある秋田キャッスルホテルでの鈴木重忠さんの
結婚式の披露宴で、自分が後輩として事務局的なお手伝いをしていたときのこと。
鈴木重忠さんはホテルの披露宴の場で大学の同級生3人と会談していた。
友人A:「久しぶり、どうやって嫁をつかまえたんだ?出来ちゃった婚じゃない。」
チューさん:「いやー、”二重トンネル工法”。俺たちゼミで仲間だったじゃないか。」
※元.監査人Tである自分は立ち聞きしてしまったが、このゼミの友人なる3人は、
チューさんとあまり親しい友人ではなかったとお見受けした次第。
●この披露宴のエピソードには続きがある。
(つづく) (鈴木重忠参事の披露宴のエピソードのつづき)。
平成3年にJA秋田中央会の平職員で秋田支所の農業技師として在籍していた
鈴木重忠さんは、恋人の妊娠を知り、どうやって結婚式場の確保をしようかと
急いでいた、が、しかし、式場の確保の不慣れさから、結婚式と披露宴の準備は
トラブル続きであった。
そんななか秋田県秋田市のある秋田キャッスルホテルの会場を手配した紳士がいた。
JA全共連秋田県本部(旧JA秋田共済)の当時の秋田支所長の山谷公一(やまや こういち)さんである。
※山谷公一・・・二ツ井町の町議会議員を1期つとめあげた紳士。
●このエピソードはまだ続きがある。
(つづく) >>295
・9行目を訂正します。
(誤)旧JA秋田共済 (正)旧JA秋田共済連 (鈴木重忠参事の披露宴のエピソードのラスト)
JA秋田中央会の正職員である鈴木重忠は、秋田キャッスルホテルの披露宴の
会場の高砂で、腹一杯になるくらいの酒を飲まされていた。
鈴木重忠の「夢十夜」ならば第二夜なのかもしれない。
結婚して、鈴木重忠は自家用車を買い替えた。
トヨタの水色のコロナの中古車をカーディーラーから60万円で平成3年に購入した。
家庭人として生きる覚悟をJA秋田中央会の秋田支所で生き様を後輩の
監査人のTに見せつけていた。
(エピソードは終わり。) JA秋田中央会の経営監査部経営監査課のノートパソコンが3機が業務に活用
されていた。平成4事業年度にJA秋田中央会の事業予算で購入したマシンだ。
それが平成6事業年度には、JA秋田中央会の経営監査部経営監査課から消えて
無くなっていた。総務部総務課の正職員の長谷部まゆみさんの内部監査の
固定資産の実査で見つかった不祥事であった。長谷部まゆみさんは元.JA全中の
職員であり、仕事はきっちりする人であった。
この内部監査のあと、「家に間違って持って行っていました」と言って、JA秋田
中央会の総務部長に自首して、人事処分を免れようとした監査人の氏名をオープンに
すべき時期が来た。
JA秋田中央会の鈴木総務部長に、「自首」してきた「窃盗犯」は、「佐藤孝喜」さんである。
自分もその場面を見ていたし経営監査課に所属していたので「中央会のビルゲイツって女心も盗んだけどノートパソコンも盗むんだね」、との
感想をもった。
※佐藤孝喜(さとう こうき)の住所・・・秋田県秋田市広面字鍋沼76の9(一戸建て)。
※佐藤孝喜の学歴:秋田県立横手高校卒、早稲田大学教育学部に入学し、政経学部の政治学科に転科して卒業。
※佐藤孝喜の奥様も早稲田大学教育学部卒の小学校教諭で働く地方公務員である。 JA秋田中央会の正職員の佐藤孝喜さんは秋田県横手市平鹿町に農家のせがれとして
生を受けたが、稲作農業の担い手としての農業後継者として生きることを拒んだ。
平成6年にJA秋田中央会の経営監査部経営監査課でこのような会話があった。
監査人T:「孝喜さんは横手市平鹿町から通勤しないんですか?農家の後を
継がないんですか?」
佐藤孝喜:「いま、そんな時代じゃねーよ。」
※以上の通りJA秋田中央会の正職員の佐藤孝喜監査人は、横手市平鹿町の
稲作農家じゃやダサいという、農家の米輸出や担い手への行政のバックアップの
時代が来ないと思っていた人物である。佐藤孝喜監査人は六法全書が読解できない
脳みそであったが今も六法全書は読めないし税務六法も読解できない頭脳派である! JA秋田中央会の決算で総務企画部長と総務企画次長兼総務企画課長が口論と
なった会計処理問題がある。
佐藤 遵次長:「部長、この経理内容じゃ中央会の決算は打てないですよ、まともに決算を打つと、どっかから金借りてこないと事業に行き詰まりがくる。」
橋弘貢部長:「おい、次長、いいから前任者と同じようにやれよ、まともに決算だ〜、ふざけるなよ。中央会とは農政運動があるからもっているんだ。」
※JA秋田中央会の高橋弘貢(たかはし ひろみつ)は企業会計原則を知らない人生であった。
※上記の内容は、平成13年3月末か4月当初の実話である! JA秋田中央会の正職員であった佐藤遵(さとう じゅん)さんは、平成8事業年度には
自分と同じく経営監査部経営監査課に所属していた。彼の当時の役職は課長補佐であった。
労働基準法の改正で「裁量労働制」が民間企業に導入可能になった法改正であった。
佐藤遵は、秋田県下のJAへの経営指導資料を作成した。
しかし、その経営指導資料は、JA長野中央会が作成した資料を佐藤遵が、
JA長野中央会に電話で頼んで自宅に郵送してもらい、表紙だけJA秋田中央会作成の
資料として「JAプリント秋田」に発注して印刷させた資料であった。
佐藤遵はJA監査人の国家資格を有し、キャリアも豊富であったが、人事労務管理については
知識の吸収や「考える力」がほとんど無かった。
佐藤遵さんは、心臓の持病を抱えていたためか、「考える力が無い」と若手監査人の
元.監査人Tは評価していた。 JA秋田中央会で平成5事業年度には経営監査部経営監査課に元.監査人Tである
自分は、「JAかづの」の大畠六郎(おおはた ろくろう)代表監事と、話し合いと
日本酒を飲みかわす場を設けてもらった事がある。
大畠六郎:「我々、JAの非常勤監事とはね、老人だし年もいってしまい、人生あがってしまった暇な人間ばかりなんだよ。暇な人間しかJAの役員は出来ないんものなんだよ。」
監査人T:「・・・そういうもんですか・・・、ご見識、賜りました。」
※JAかづのの大畠六郎代表監事と自分とのこの会談は「監査」の場ではないことを明言いたします! >>302
・1行目を訂正します。
(誤)経営監査課に (正)経営監査課に所属していた正職員の JA秋田中央会の正職員時代であった平成4事業年度にJA琴浜の組合長の
進藤勇太郎氏と組合長室でお話しした。
勇太郎:「今回の農協法改正で職員を学識経験理事として常務理事登用とある。なんとか常務理事に定年制を導入できないものか。」
元.監査人T:「農水省の模範定款例を変更する方法があります。そのための二田先生!」 藤村:「もしもし、藤村だが。」
元.監査人T:「おい、神代。あなたがJA秋田中央会の会長をやるべきだ、通勤なら新幹線で通勤すればよい。木村は全農あきたの米横長し事件のときの副会長だ、会長をやる資格はない。」
藤村:「うむ、新幹線なら秋田市まで通える」 藤村正樹に電話した時には、さらに追加して反応があった。
元.監査人T:「秋田しんせいの阿部和雄組合長と手を組んで。」
藤村:「・・・えっ・・・、なぜお前がふるさととしんせいの会長選の出来レースを知っているんだ・・・。」 JA秋田中央会の参事の鈴木重忠さんのカラオケの十八番は平成2年当時は、
チャゲ&飛鳥の「ひとり咲き♪」である。
JA秋田中央会の常務理事の鈴木剛さんのカラオケの十八番は平成6年当時は、
因幡晃の「わかってください♪」である。
JA秋田中央会の正職員だった現.JA秋田おばこの佐藤遵常勤監事のカラオケの十八番は、昔は
美川憲一の「新潟ブルース♪」である。 JA秋田中央会の平成8事業年度の正職員の互助会の海外親睦旅行で
シンガポールに渡航した。
ラッフルズホテルから、農協観光の現地添乗員のビンセントさんの粋な計らいで
自分(元.監査人T:当時は正職員)だけ一人で現地のハイヤーに乗せてもらい
イスラム街に行った。
いまではISの人たちのテロがありそうな危険地帯。イスラム教のモスクが
あった。イスラム街の現地の人の英語はイスラム訛りがあり聞き取りにくかったが
オムニバス(乗り合いバス)でオーチャードストリートまで戻ってこれた。
さて、あの光景がパナソニック製のディジタルVTRに映っているとかいないとか!! JA秋田中央会の正職員で二田孝治先生の親戚(血縁者)がいる。
佐藤眞人(さとう まさと)氏である。その学歴は、高校も大学もスポーツの
サッカーで推薦入学した低偏差値の人物。
学歴は、秋田市立商業高等学校卒、で、大学は、私立大阪商業大学のサッカー部に所属して商学部を卒業。
なぜか佐藤眞人は、中央大法学部に入学した伊藤真澄さんや早稲田大卒の佐藤孝喜にやたら
対等に絡む変人で、C型肝炎ウィルスに感染している男性である。 JA秋田中央会の正職員で全農秋田県本部に出向している高橋幸毅(たかはし こうき)先輩は、
現在は全農秋田県本部の県域営農センター部の次長として働いている。
この高橋幸毅先輩は、既婚で、平成元年度に秋田県農協中央会の秋田支所時代に、
席を並べていた女性の正職員の長谷部まゆみさん(独身)と不倫を繰り返していた。
高橋幸毅先輩のお父さんは、秋田県大仙市にあった神岡町農協の組合長理事であったため、
御曹司扱いをされ、不倫発覚後も秋田県農協中央会の菊地昴総務部長からは、
人事処分をされなかった。
学歴は、秋田県立横手高校卒、国立宇都宮大学農学部卒。(高橋幸毅夫人も宇都宮大学卒。) JA秋田中央会の正職員の高橋肇(たかはし はじめ)さんは尊大な人物ある。
JA秋田厚生連の8病院を監査した折、たいした経験もないのに次のように
JA秋田中央会内でいいふらしていた。
肇さん:「JA秋田厚生連の病院の健康診断のデータ管理なんていい加減だ、デタラメだ。」
学歴は、国立東京農業工業大学の農学部卒。
お住まいは、秋田県雄勝郡羽後町掵上です。 JA秋田中央会の正職員で既婚者である佐藤孝喜監査人は、昭和63年に同じ職場の
臨時職員(若い女性)と不倫した道徳違反で、経営監査部の経営組織課から
人事異動させられて、秋田市大町の秋田県農協中央会の左遷オフィスに
8年間も幽閉されていた現実を隠して、職場遊泳術を駆使している。
見かけは、眼鏡をかけてサラリとした髪型でインテリめいた外見の人物である。
実家は、秋田県横手市平鹿町であるも、お住まいは、秋田県広面字鍋沼の一戸建て。 JA秋田中央会の平成29年3月の人事異動の内示の総務企画部長候補の
切り札が、総務企画部次長兼務教育課長の高橋泉(たかはし いずみ)という
男の監査人であった。
学歴は、秋田県立秋田南高校卒業後に、大学浪人を1年間し、秋田大学教育学部を不合格となり、
JA全中で運営する全国農協学園で3年間を過ごした。
全国農協学園は「文部省の管轄ではなかった」ので、学歴とは言えないが、
JA中央会に就職するための予備校というか専門学校という位置づけの理解が
的を得ていた。
JA秋田中央会の歴史上、全国農協学園を出た正職員が総務の部長になったことは無い。 >>311
・6行目を訂正します。
(誤)秋田市立商業高等学校卒 (正)秋田市立秋田商業高等学校卒(通称:あきしょう) JA秋田中央会の秋田支所が廃止になったのが平成4年6月末。
そのおりにJA琴浜(現JA秋田みなみ)の代表理事組合長の進藤勇太郎氏が、
男鹿市のセイコーグランドホテルで各連合会の支所長と中央会の経営監査担当Tを
呼んで、宴席を設けた。
慰労会である。
この席にはJA秋田中央会の秋田支所の営農農政担当の鈴木重忠さんと今野支所長は
お呼ばれしなかった。 総合JAはいいが、JA秋田中央会はその存在意義を失いつつあり経団連企業に
頼った過去あり。
必ずJA秋田中央会は瓦解していく。 (騙されやすい若手監査人への提言。)
JA秋田中央会は正職員の年齢構成がいびつであり、定年間近のベテランの
監査人と若手監査人とのジェネレーションギャップが大きく、間を埋める
ミドルクラスの世代がほとんど中途退職してしまった。
課長や課長補佐になる男性正職員が皆無になってしまった。
必ずJA秋田中央会は、人事異動への不満や給与の少なさで正職員のモラルが
中島辰徳と木曽明子の関係のように加速的に崩壊していく。
若手監査人は脱出を考えもがけ、地方公務員に転職した篠木悟のように。 ※本スレッドはJA秋田中央会の正職員により組織された職員互助会の
海外慰安旅行を撮影したディジタルVTRの広告ですが、本スレッド自体の
著作権すらも売り物として販売しております。
心当たりのある組織の役員の方はぜひコンタクトされたい。 ※本スレッドは、JA秋田中央会が稲作農家が農協に出荷した際に受け取る
米代金の一部を総代会の付帯決議を根拠にかすめとり、そのお金で、
JA秋田中央会の正職員で組織する職員互助会の海外慰安旅行を一部始終
を撮影したディジタルVTRの閲覧権の販売目的の広告です。
心ある組織の役員の方はご一報のうえ落ち合う場所を決めたいと存じます。
私は、元.JAの監査人Tです。
閲覧権の販売先に、TBSテレビ、フジテレビジョン、大手広告代理店も
視野に入れており、大いにご殺到ください。 >>320と>>321 の役員の方は鈴木剛は嫌だが、木村一男ならよし。 >>320と>>321の件について米森満壽美さんにはお売りするものはありませんが、
木村一男さんになら本スレッドの著作権をお売りしたく存じ上げます。
以上 JA秋田中央会の正職員だった中島辰徳(なかじま たつのり)の謎の中途退職問題が
あった。
JA秋田中央会の臨時職員の木曽明子との不倫の写真が、インターネット上に
流されていたことを理由に、鈴木剛常務理事がクビを切ったのであった。
合成写真かもしれないぞ、鈴木剛(すずき つよし)常務理事(法律に無関心)。
秋田県JAビルの5階は孤高の箱庭のJA秋田中央会。 JA秋田中央会の正職員時代の中島辰徳と臨時職員の木曽明子の
カラー記念写真が経営指導部経営企画課のファックスで受信されて
、中島辰徳はパワーハラスメントで退職に追い込まれた。 秋田県内の総合JAの臨時総代会が、平成29年3月後半から開催される。
主たる議案は平成29事業年度の事業計画の決定である。
注目のJAあきた北央は、農林中央金庫から出向が3人も応援で任務しており、
秋田県農協中央会からは、柴田潤氏(46才)が常務理事で出向して決裁印を押印しているが、
誰が経営しても、経営破たんは免れるセーフティネットが敷かれている。
このセーフティネットには農林中央金庫の豊富な知識とJA全共連の資金援助と
比内地鶏農家の減産の犠牲によって成り立っている。 JA秋田中央会の参事の鈴木重忠氏(58才)が、定款が定める職員の理事登用制度による
学識経験常務理事への登用が見送られた。
理由は、鈴木重忠参事(58才)に「学識経験」が無いと、現.常務理事の鈴木剛氏(66才)が判断した
ためである。
会長の木村一男氏(68才)も同意した。
鈴木重忠氏は、定年退職になる60才を前に、秋田県農業公社への転籍を、前例があると、
考えたことがある。 JA秋田中央会の常務理事の鈴木剛さんは秋田県立由利高校卒。国立岩手大学教育学部卒。
JA秋田中央会の参事の鈴木重忠さんは秋田県立横手高校卒(生徒会長を務めた)。国立岩手大学農学部卒。 >>327
・4行目を訂正します。
(誤)現.常務理事の鈴木剛氏(66才) (正)現.常務理事の鈴木剛氏(67才) JA秋田中央会に嘱託として所属していた小林次郎農学博士(元.秋田県農業試験場の部長)が、
平成5年に秋田県JAビルで次のように語っていた。
小林博士:「水稲のあきたこまちは、秋田県では二ツ井町の緯度を越えて栽培するには不適格な品種である。」
※小林博士の言う通り、秋田県北ではあきたこまちは食味評価が特Aにはならなかった。 JA秋田中央会と秋田県農業試験場のOBは人事交流が平成12年頃まではあった。
秋田県農業試験場の部長や秋田県畜産試験場の場長を務め定年になった博士が、
JA秋田中央会に嘱託として雇用されていたのである。
しかし、現在はその人事交流は途絶え、JA全農秋田県本部に秋田県農業試験場のOBが
嘱託として雇用されていた。
JA秋田中央会は農業振興の部署を機構から廃止してしまってから衰退の一途をたどっている。
ひたすら国会議員との関係を深める上層部の活動に密やかに力点を移したのがきっかけであった。
JAが広域合併し、JA秋田中央会の指導機能を利用しなくなったのが大きな転換期であった。
その証左に某JAでは民間の経営コンサルタントを活用していた。
安倍政権では中央会によるJAの会計監査も廃止となる農協法改正が可決されている。
JA組織の堅牢だった県域の中央会制度は必ず馬糞の川流れとなり崩壊するであろう。 JA秋田中央会の担い手対策室のいきつけの宴会場は、秋田市山王にある
串揚げ料理の「ひかりや」であった。
理由は、ミスあきたこまちを務めた田沢さと子さんが働いているからだと
JA秋田中央会の総務企画部次長(平成13年当時)の武内則明次長が解説してくれた。
あまりに全農秋田県本部のうま味のおこぼれを貰おうとするJA秋田中央会の
担い手対策室の夜の仕事のまじめさに驚きを禁じ得なかった。 JA秋田中央会の主催する秋田県種苗交換会で、JA秋田中央会が農協法の定めによった定款に違反した不祥事がある。 JA秋田中央会は、秋田県種苗交換化を開催する資金集めとして協賛会を
つのり、出店する民間の営利業者に土地を有償で期間限定で賃貸していた。
これはヤクザのしのぎのショバ代と同じであり、非営利組織の農業協同組合中央会が
正式な事業として行っていいことではない。
JA秋田中央会は秋田県種苗交換会の開催市の土地を一時、賃借し、その土地を
協賛会に入っている民間の営利法人に有料で「また貸し」をしていたのである。
これは、公序良俗に反する行為である。
農林水産省はよく調べて、秋田地検に訴えを起こしていい事実である。
証拠は、JA秋田中央会の総務企画部に歴史的な記録が眠っているし、
去年の記録もあるはずである。 >>335
・1行目の用語を訂正します。
(誤)秋田県種苗交換化 /(正)秋田県種苗交換会 JA秋田中央会主催の種苗交換会の協賛金の原資は露天商の売り上げなど。 JA全共連秋田県本部の交通事故の対人賠償の示談代行担当の加賀谷は麻雀がうまかった。 JA秋田中央会は主催する秋田県種苗交換会で、交通事故を起こしていない
越前亨(えちぜん とおる)さんを人身傷害の交通事故を起こし死に至らしめたと
つくりごとを当時の参事の伊岡森久明がでっちあげ、パワーハラスメントで
諭旨解雇にした。
本当のことである。
※越前亨の横顔・・・国立東北大学農学部卒、趣味は硬式テニス。三浦俊彦監査人と仲が良かった。 JA全共連秋田県本部の白澤喜浩さんが、副調査役の時損保ジャパンのビルで
会ったね。
元.監査人T「いま、全共連秋田県本部では新人を採用してるんですか」
白澤喜浩:「ええ、採用はしてますが昔みたいに多くは無いです。」
※こんな会話を損保ジャパンのユニバースビル秋田でしていた。
この当時の損保ジャパンの自分の上司のリーダーは楡井清司さん。 JA全共連秋田県本部の伊藤貢くんへ。君の名刺持ってたよ。「建物生命部 建物共済課 主任 伊藤 貢」 JA全共連秋田県本部の白澤喜浩さんが副調査役のとき、自分と秋田市の損保ジャパンのユニバースビル秋田で、
迎え撃ったときのエピソードを紹介しよう。
白澤喜浩:「どうやって損保ジャパンのような大企業にJA秋田中央会の正職員が転職できたんですか?」
元.監査人T:「JA秋田5連共通監事室で自分はJA秋田共済連の嘱託の辞令も会長の佐藤秀一さんから
受けていたんですよ、平成7年に。そのときJA秋田共済連を監査したからじゃないですか、ははは。
冗談ですよ。」
※白澤喜浩さんは損保ジャパンに出入りしていた人物で、もの凄く緊張し低姿勢だった。
自分は上から見下ろす心で余裕があった。
このとき二人で応接室でお茶を飲んで名刺交換をした。 JA共済の秋田県本部の白澤喜浩主任から平成16年11月ころ、損保ジャパンの
ユニバース秋田ビルに電話での問い合わせがあった。
この電話に出たのは火災新種担当の元.監査人T(元JA秋田中央会正職員)であった。
ときは保険業法改正で損害保険会社と火災共済が重複契約した場合、法律により按分計算して、
それぞれ保険金と共済金をご契約者様に支払わなければ不当利得を生むと政府より
規制になった端境期である。
白澤喜浩:「うちの火災共済と御社の火災保険で重複している契約の按分計算した表をファックスで送りますから検算して確かめてみてもらえませんか?」
元.監査人T:「まだ改正保険業法は施行されていません!当社で検算する義務はありません。」
というやりとりがあった。
今から思うと白澤喜浩さんと同じJAビルにいたしJA秋田5連共通監事室に席を置いたこともあるし、重複契約の按分計算を監査しても良かったと思った、
共済約款も読解できていたんだし。 あれは4年前、JA秋田中央会の新会長擁立に2人の人物に、会長にならないか、と
電話で打診した人物が2人いた。
JA秋田ふるさとの木村一男組合長は、高卒であるし、キャリアが短いから駄目だと考えた。
JA秋田しんせいの阿部和雄さんに打診した理由は、東京農業大学卒だからであった。
もう一人はJA秋田おばこの藤村正樹さんに打診した理由であるが、JA神代の組合長として
独自のコメの販売ルートを切り開いたからであったし、常勤理事のキャリアも長かったからである。
元.監査人Tは、JA秋田中央会の総務企画部にいたので、会長のなる裏の方法論を見聞きしていた。
全部、本当のことである。 1行目の時代考証を訂正します。
(誤)あれは4年前 (正)あれは7年前 JA全農秋田県本部で、コメ横流しの秋田地検の立ち入りが秋田県JAビル3階に
入った最中の自分がしたことを今だから告白しよう。
JA全農秋田県本部の本部長の田村隆の秋田市土崎の自宅に電話したのであった。
元.監査人T:「私は、あたなが指揮命令している米穀部の監事監査を手伝った者だ。
田村本部長、あなたは確実に有罪だ、逮捕されると思うが自殺だけは
しないように。」
田村隆本部長:「あんた、いったい誰なんだ?」
元.監査人T:「死んだ神田庄司と気脈を通じている者だ。」
田村隆本部長:「・・・・。」
※キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁さんと自分とは農協改革への近さが違っている。
※田村隆はその電話のあとに、やっぱり逮捕された。 立石のザンパノは、平成7事業年度のJA秋田経済連の役職員名簿を持っている!
逮捕された石井俊征参事の秋田市添川の住所も電話番号も、そして逮捕された斎藤誠吾の大仙市花館上町の住所も電話番号も
分かっている。 平成7事業年度のJA秋田経済連(現JA全農秋田県本部)の監事室による上期監事監査の
慰労会を秋田経済連が宴席を設けてくれた。
秋田経済連から招待された料亭は秋田市有楽町の「料亭 山蕗(やまぶき)」であった。
宴席の上座には、松田耕一専務理事、田村隆常務理事、成田忠巳参事が座り、客座に自分が
座った。
松田専務理事:「おい、あんたのお祖父さん、小学校のT校長先生だったよね、
私のようなボンクラ相手によく付き合ってくれたものだった。」
元.監査人T:「あの〜、自分の祖父はだいぶ前に亡くなっておりまして・・・。」
松田専務理事:「まあ、もう一杯飲め、あぐらをかいて、足を楽にしてな・・・。」
※私には複数の分厚い後ろ盾があったが隠していた。例えば淡路吉亮厚生連専務理事もその一人に過ぎなかった。
私は自由民主党も民進党も近いと言えば近いし、遠いと言えば遠い関係性を今も持っている。 平成7事業年度のJA秋田経済連(現JA全農秋田県本部)の下期監事監査の
監事室による監査の慰労会は、秋田市川反の「料亭 亀清(かめせい)」で開かれた。
この「料亭 亀清」はJA秋田5連共通常任幹事の菊地聡(きくち さとし)さんの
奥さんの側である姻族が経営する料亭であり、白蕪の蒸し物が定番の料理の一品であった。
JA秋田経済連(現JA全農秋田県本部)で宴席に出席したのが、常務理事の田村隆、
参事の成田忠巳さん、企画管理部部長の奥勝也さん、企画管理部次長の田中憲秀さん
であった。
成田忠巳参事:「二人でルッコに飲みに行こうよ。」
元.監査人T:「いいですが、田中邦夫代表監事(JA増田町の代表理事組合長)は
一緒しなくていいんですか?」
成田忠巳参事:「役員のお偉いさんはいいよ、同じ職員じゃないか。気楽に飲みなおそうよ。」
元.監査人T:「・・・(田村隆常務理事より年上だからと役員をお偉いさんと言うとはね〜・・・。)分かりました、飲みなおししましょう。」
※菊地聡と田村隆(犯罪者)は職員から嫌われていた。
※石井俊征(犯罪者)はこの当時、JA秋田経済連の東京事務所(東京都荒川区西日暮里にある)の所長であった。
※俺の文章は殴り書きだがよく読めよ、メディアのみなさんと官吏の諸兄よ! 平成7事業年度には、JA秋田5連共通機構監事室と各連の代表監事と監事たちと、
東京都は虎ノ門にあった虎ノ門パストラルでJA全中主催のJA全国監事研修会で
JA全中の松旭俊作(しょうきょく しゅんさく)学識経験専務理事の講演を聞く羽目になった。
松旭専務理事:「私がJAの組合長なら農業のためにすぐ組合長を辞めてJA合併に協力します。」
元.監査人T:「(JA全中の職員上がりの役員らしいな・・・、現場を分かっていない・・・。)」
※当時のJA全中の会長は、豊田計さん(JA長野中央会の会長)でJAの広域合併を推進していた。
全国のJAの数を500にするという目標が樹立されていた時期である。
松旭専務理事の話でも分かる通り、JA全中は安倍政権によって解体されて当然の価値観を持っていた。 平成7事業年度には、JA秋田5連共通機構監事室と各連の代表監事と監事たちと、
東京都は虎ノ門にあった虎ノ門パストラル(いまは再開発で虎ノ門ヒルズになった)で
JA全中主催のJA全国監事研修会で三菱総合研究所の吹田(すいた)常務取締役の講演も聴かされてた。
吹田常務取締役:「経済のニーズをマーケティングしてこそ商品が売れる・・・云々。」
※自分は大学で経済学科を専攻していなかったので眠い後援会であった。
※日本中の監事たちは虎ノ門パストラルの会場でうたた寝をして聴いていた。 平成7事業年度にJA秋田5連共通監事室と監事たちは、JA秋田経済連(現JA全農秋田県本部)を
上期の監事監査した。
自分と石井直正監事(JA八郎潟町代表理事組合長)は米穀部を監査した。
そしたら自分に、米穀部部長の佐々木富美雄(ささき ふみお)さんがこう言った。
佐々木富美雄米穀部部長:「おい、お前は俺が相手する。」
※この通り当時27才の元.監査人Tは、JA秋田経済連(現.全農秋田県本部)の後に参事になる人物から
警戒されていた。実話である。
米穀課の主任であった斎藤靖(さいとう やすし)君では監事監査の相手は無理な時代が明らかにあった。
この斎藤靖主任は国立北海道大卒の秀才で由利本荘市にお住まいである。
「米穀部ってJA秋田信連やJA共済連と違って、クサいな、何かある」、と自分は内部統制の悪さを実感した。
※米穀部はのちに農家の【コメ横流し事件】という犯罪の中核部署であった。
監査するには1か月は欲しかった、悔いが残る監事監査の手伝いであった。 >>349
・19行目を訂正します。
(誤)石井俊征(犯罪者) (正)柳原誠一(後のコメ横流し事件当時の米穀部長) >>349
・4行目を訂正します。
(誤)常任幹事 (正)常任監事 平成7事業年度にJA秋田経済連(現JA全農秋田県本部)の畜産部酪農課を
石井直正監事(JA八郎潟町代表理事組合長)が監査するのをJA秋田5連共通監事室に
所属する自分は手伝った。
松田耕咲酪農家長:「牛乳の生乳にたまに雑菌が混入して損害賠償をするケースがある。まずないがな。」
元.監査人T:「十文字町の牛乳クーラーステーションから出荷された生乳を飲んで食中毒を起こした場合に備え、
包括的な損害賠償に対応する損害保険を契約すべきだ。
損害保険会社ならば東京海上火災保険さんと保険契約したらどうでしょう、
安心ですよ。」
松田耕咲酪農課長:「保険たって・・・、食中毒なんてめったに無いって。」
元.監査人T:「自分はこの手の監査では手を抜けないんです。」
※松田耕咲・・・井川町在住で、現在はJAあきた湖東の監事であり井川町の町会議員でもある。
実話である。 平成7年度の下期の監事監査をJA秋田5連共通監事室にいた自分は監事監査を
哲だった。ときは住専問題に揺れるJA秋田信連(現農林中央金庫秋田支店)と
JA秋田共済連(現JA共済の秋田県本部)のノンバンクの焦げ付き債権の
監査を手伝ったのであった。
オリエントリース、オリエントファイナンスなどの債権管理一覧表を精査した
のを今でも覚えている。
菊地聡JA秋田5連共通常任監事:「この投資運用判断はビジネスジャッジメントルールでは
佐藤秀一会長の責任はあいまいだな。」
嶋崎JA秋田信連常務理事:「そう堅いこと言うなよ、まあ座れ。」
元.監査人T:「・・・(常務理事と常任監事ではこうも心の余裕が違うものなのか、無力なり、菊地聡・・・。)」
※のちにJA秋田信連(農林中央金庫秋田支店)の嶋崎常務理事は、JA秋田5連副会長の斎藤秀男さんに、不正融資したことが内部から外部にリークされ、役員を辞任させられた。
学識経験理事は3期目に入ると、モラルが腐敗するのは嶋崎氏がJAグループ秋田では見本である。
菊地聡常任監事も、秋田県JAビルから追放され、JA秋田おばこの常勤監事2期を務めることになったのは有名な左遷の逸話である。
この菊地聡のJA秋田5連共通常任監事のポストを廃止したのは、JA秋田5連会長の小松正一さんであった。
※JA秋田中央会の3期目の学識経験常務理事の鈴木剛さんも不正に十分関わっているので晩節を汚して辞任させられるだろう! 平成7事業年度に農林水産省管轄の国家試験でJA全中が試験を主催している
JA監査人試験を筆記試験と口述試験を合格したのをきっかけに、このJA秋田中央会の
佐藤秀一会長の闇を監査する仕事のJA秋田5連共通監事室から人事異動で
脱出することを企てた。
当時の参事の田中敏勝さんに、お歳暮を贈ってみた、本金西武デパートから10,000円の
ブランデーをのし付きで、そして監査をやりたくて監査人試験を合格したわけではない、
と一筆添えてみた。
見事に、平成8年2月1日付の人事異動でJA5連共通職員の身分から、JA秋田中央会単体の
正職員に返り咲くことが出来た。
田中敏勝ならば人事は金で買えるのであった、これは菊地聡の教えである。
つまり菊地聡の方がJA秋田中央会の人事異動の方法をよく知っていたということであった。
田中は人事異動に関してはボントルであった。 JA秋田5連共通常任監事の菊地聡さんの秋田県JAビルのなかを「泳ぐ」という知恵は、
彼が経営監査畑のベテランで、農協の合併のきな臭い事実を握りつぶしてきたり、
弱い農協の組合長の弱点をついて世をしのいできた処世術は、まだ28才の
元.監査人Tには重すぎる内容の教えであった。
例えば菊地聡さんの口癖は「俺は総務部長を43才でなったが、参事をやっていないからな〜、
いきなり、常任監事じゃなあ〜、稲葉進(いなば すすむ)常務理事は
そんな人なんだよな〜、佐藤秀一会長は違うんだがな〜、神田庄司さんは
心臓にペースメーカーを埋めてるって話だよ。」であった。
聴いていると苦しい内容の菊地聡さんのつぶやきは、凄まじい組織のダークな闇を
自分に教えようとしていたようであった。住専問題や役員の健康状況など裏の裏をつく
菊地聡さんも自分の心に秘めておく胆力はなかったのであった。
つまり、それほどJAの代表理事組合長たちの世界は怖い裏があるのであったが、
所詮、彼らも人間である。もっとハードな世界があることを田舎百姓の長には
永遠に理解することはないであった、経団連企業の人事の世界など。 JA都道府県中央会の事業は、「まじめ」に基本を反復し技能を習得し、
濃い経験を積んだ正職員が組織として機能する仕事をすれば、「まとも」な
事業として外部から高評価を受けたかもしれない時代もあったかも。
JA秋田中央会は、会長の参事選びの人選ミスで、みんな「やる気」を失っていく歴史の
積み重ねから、その組織は脆弱化し、職場のムードもダウンしモラルハザードが
起き易い体質に変わっていってしまった。
個人技がいくら優れていても、ミカン箱のなかに一個でも腐ったミカンがあれば
全部腐っていく、JA秋田中央会はそんな腐り方をしていった、この腐臭ただよう
職場風土に慣れることは出来なかったし、JA秋田中央会は単独では何も出来ない
就職先であった。
JA秋田中央会の正職員から地方公務員に転職する先輩や後輩が多い中、自分は
株式上場が、絡む、企業に転職した、特別なコネは無かったけれど、個人技を生かすなら
株式上場が、絡む、企業に限ると思った。 平成8事業年度に秋田地区JA役職員連盟の主催で、秋田県JAビルの8階の
大会議室に講演会の講師として、新日本プロレスリングの審判部長の山本小鉄さん
を呼んだ時の講演会終了後の事務局反省会での一コマを紹介しよう。
小鉄:「うちの闘魂三銃士では武藤敬司のような体形が一番スタミナがあるんです、
橋本真也のような体形は力はあってもスタミナがないですね。」
元.監査人T:「では、蝶野正洋の体形はどうなんですか?」
小鉄:「うん、武藤とは違いますが、蝶野もいいものもってますよ(ニヤリ)。」
※山本小鉄さんは日本テレビの「ビートたけしの元気が出るテレビ」で、そのビートたけしと共演をし
いまをときめく芸能界のスターのひとりであった。
テレビ朝日の「ワールドプロレスリング」中継では、アナウンサーの古館伊知郎さんと
実況解説でその人気はブレイクしていたテレビ界のスター枠の人物であった。
※これは実話であるし、本当のことである。
※この講演会のテーマは「仕事に対するプロ意識」とさせていただき、参加者のなかには
JA秋田昭和町(現JAあきた湖東)の代表理事組合長で、のちにJA秋田5連の会長に
なられる菅原稔さんもいた。参加者でJAの役員は菅原稔さんだけであとは、
秋田地区にある16のJAの職員だけであった。 >>360
・1行目の事業年度を訂正します。
(誤)平成8事業年度 (正)平成4事業年度 JA秋田5連共通監事室に席をおくと、5連共通常任監事の菊地聡の
目つきや洞察力が怖くて、人事異動を希望する「自己申告書」はとても
書けない空気があった。だから菊地常任監事知られないようにに参事の田中にお歳暮を贈った。
これは菊地聡JA秋田5連共通常任監事が監事室を出て働きたいと念じていたからであった。
菊地聡さんは、役員の常任監事ではなく、職員のトップの参事になりかったのであった。
この菊地聡さんの怨念は凄まじいものがあった。
菊地:「おい、T君、君は人生なんてまだ先は分からないと思っているだろ、
実はな、人生なんて決まっているものなんだよ、あーっはっはっは。」
秋田市茨島のゴルフ練習場の秋田アスレチッククラブで、菊地聡さんはヨネックス製のドライバー(左利き用)で
ゴルフボールを潰すように打ち込んでいた、どうして俺が参事じゃないんだと。
ゴルフボールがドライバーとのインパクトの瞬間、焦げ臭い臭いがした、常務の稲葉と参事の田中があまりに
出来上がっていることに怒りをぶつける先が、菊地聡には無かったようであった。
怨念の秋田市茨島の秋田アスレチッククラブの打ちっぱなしでの実話である。
元.監査人Tも平職員なのにJA秋田5連共通常任監事の菊地聡さんから
嫌がらせを、いっぱい受けた。 平成7年当時、JA秋田5連共通常任監事の菊地聡さんは、年に2回だけ、
フリーの出張が出来る仕事を持っていた。
常任監事による秋田県内のJA組合長ヒアリングである。
菊地聡さんは、JA秋田かみおかの高橋敏雄代表理事組合長とのヒアリングで、
組合長の長男がJA秋田中央会の正職員(高橋幸毅氏)で働いているいことに
目をつけ、プレッシャーを高橋敏雄代表理事組合長にかけていた。
このときの昼食は特上寿司が出前でふるまわれ、生ビールがジョッキで出されたと
同行していた監事室長の小野崎芳樹さん(JA秋田共済連の正職員)が語っていた。
菊地:「おい、小野崎室長、あんたも生ビール飲めよ。」
小野崎:「私はいま常任監事の運転手ですから飲めません、秋田県警の捜査2課に捕まりますよ。」
※小野崎芳樹さんは、JA秋田共済連の自動車部長を経験していたから秋田県警の捜査2課ともつながりがあった。 平成7年当時、JA秋田5連共通常任監事の菊地聡さんは、年に2回だけ、
フリーの出張が出来る仕事を持っていた。
常任監事による秋田県内のJA組合長ヒアリングである。JA秋田かみおかの
次は、JA秋田おおもりの備前孝一代表理事組合長と会ったのであった。
同行した監事室長の小野崎芳樹さんの述懐によると、次の通りの会話がなされたという。
備前:「なぜ、JAあきた経済連の利用高配当が、公平に各JAに計算されて配当にならず、
JAかづのだけ特別に多いのか、理由を教えてほしい。」
菊地:「JAかづのの神田庄司代表理事組合長にJAあきた経済連が特別扱いしているからです。
農協法上も、法人税法上も難しいんですが、私も佐藤秀一会長から選ばれた
立場ですからなかなか言いにくい、いや、なかなか鋭い質問ですな。」
※菊地聡JA秋田5連共通常任監事は、徐々に横手市大森町のゴルフ場でプレーする
相手もいなくなり、本当の閑職となっていった。
JA秋田5連常任監事にJAの代表理事組合長が何を言っても、影響をJA秋田5連の
運営方針に影響を与えることは無いのであった。
監事とは閑事であり、ただの暇人なのである、当時の役員報酬の年額は1,160万円である。
菊地聡さんは月の役員報酬が手取りで77万円であった。
※この常任監事のヒアリングがなぜ、横手市の大森町にあるJA秋田おおもりに
彼が選んだのかは、JA秋田中央会のベテランの正職員なら想像がつくだろう。
菊地聡さんとは、不気味な性格をした人物である。 JA秋田5連共通監事室の汚い職務を見てしまった元.監査人Tは、
JA秋田中央会での監査の仕事に見切りをつけた。
そして、地方公務員試験を受験する方向ではなく、株式上場に絡む企業に脱出を考えるようになった。
株式会社リクルートが出版していた「就職四季報」を再読するようになっていった。
自分の座右の銘は、デンマークの哲学者キルケゴールの『死に至る病』と真逆の、「人生は希望をもって生きるもの」になり、
当時のJA秋田中央会の雰囲気では「個人技」が発揮できない、と確信に至ってしまった。
ついには、某企業のSPI試験を受験し、ハードルをクリアし、面接試験をクリアし、某企業の従業員となった。
SPI試験対策は図書館で、練習問題を解き続けることであった、算数の鶴亀算などから。
その前には、秋田県の半導体を使ったベンチャー企業の経理やジャフコのベンチャーキャピタルにも
興味を持っていたこともあったっけ。嗚呼、身に余るジャフコと三菱証券とあずさ監査法人の茶髪の山田奨公認会計士補
とも自分は仕事をしたのかも、いや、夏目漱石の夢十夜かも。 平成4年に、秋田県JAビルの8階大会議室に、株式会社新日本プロレスリングの
審判部長で役員の山本小鉄さんを講師に呼ぶ交渉プロセスを明らかに
するときがきた。
株式会社新日本プロレスリングの電話番号を、JA秋田中央会の秋田支所から
NTT東日本の104番で問い合わせし、(株)新日本プロレスリングに
電話をかけたのであった。
(株)新日本プロレスリングの社員の方との電話応答は次の通りである。
元.監査人T:「御社の山本小鉄さんを講演会の講師にお願いできないでしょうか。」
新日社員:「はい、山本に確認を取ります、少しお待ちください。」
元.監査人T:「(1分ほど待った)。」
新日社員:「もしもし、山本小鉄本人がなぜ、講師に俺なんだ、なぜ闘魂三銃士じゃないのか
理由を聞けと言われまして・・・。」
元.監査人T:「理由は山本小鉄さんの人格です。」
新日社員:「山本に確認します、少しお待ちください。」
元.監査人T:「はい。」
新日社員:「山本小鉄さんがOKと言っております。」
元.監査人T:「後日、文書で講師の依頼をご郵送させていただきます。
ありがとうございます。」
※ギャラの交渉の話はまた今度。私と(株)新日本プロレスリングとの交渉には
大手広告代理店でJA秋田中央会御用達の(株)博報堂は間には入っていないのであった。
運と情熱だけが、スター枠の山本小鉄さんの心を動かした秘話である。 株式会社新日本プロレスリングの山本小鉄さんの講演のギャランティは、
250,000円(源泉徴収税支払い後)である、平成4年度当時。
理由は、秋田地区JA役職員連盟の予算が、残270,000円ちょっとしか
残っていなかったため、思い切ってプロレスファンとして、そして
秋田地区の職連(しょくれん)の事務局を仕事にもした立場を利用し、
電話交渉に臨んだのであった。
25万円のギャランティで芸能人でテレビタレントでテレビ朝日の
プロレス解説者の山本小鉄さん(故人)が、OKするとは、人生のまさか、
よもや思わなかったが可能性にかけてみたのであった。
(株)新日本プロレスリングのアントニオ猪木による別団体旗上げクーデター(UWF構想)を
私が知っていたからこそ、山本小鉄さんのハートを動かすことが出来たのだ。
アントニオ猪木さんは山本小鉄さんいわく「リングの上では最高だが、リングの外では最低な人間だ」と
いう評を私が知っていたからにほかならない。
あとはたぶん、(株)新日本プロレスリングに郵送した私の依頼文書の内容が、
(株)新日本プロレスリングを動かしたのかもしれないね。 平成8年にJA秋田中央会の経営監査部経営監査課にいた元.監査人Tは、
JA井川町(現JAあきた湖東)に全面監査の監査班のメンバーとして、
監査に入った。当時の代表理事組合長は勝田誠(かつた まこと)さん。
監査の最中の休憩時間に、企画管理課長の伊藤喜巳男(いとう きみお)さんが
JA秋田共済連(現JA共済の秋田県本部)の山本修(やまもと おさむ)さんについて、次の通り切り出した。
伊藤喜巳男課長:「共済連の山本修さんて知ってるか?」
元.監査人T:「知ってます。平鹿郡雄物川町出身で秋田経済大学(現ノースアジア大)卒の人で
JA秋田中央会に7年間も出向させられていた正職員です。今は秋田市に在住しています。」
伊藤喜巳男課長:「この間、JA井川町に来てカードローンで400万円の融資を受ける手続きに
来てたんだよ。おかしいと思って。山本さんてあまりいい人じゃないな。」
元.監査人T:「JA秋田共済連(現JA共済の秋田県本部)の正職員の山本修さんが、
JA秋田市(現JA新あきた)にも行ってるのかもしれませんね。
雄物川町の里見地区生まれで秋田市在住の山本修さんがJA井川町(現JAあきた湖東)と
どんな関係があるのでしょうかね、農林水産省の通達の模範定款例では、
住所があるJAか、勤務先の近くにあるJAからかカードローンは作ってはならない
という趣旨の定めがあります。
共済連の山本修さんにカードローンを作らせては定款違反になります。」
伊藤喜巳男課長:「やっぱり。JA秋田共済連の山本修さんって、あまりいい人じゃないね。」
※これは嘘偽りのない、つくりごとではない、本当の話である。JA秋田中央会の監査で企画管理課長が腹を割っての会話であった。
この当時のJA井川町(現JAあきた湖東)の金融共済課長は、中道貞夫(なかみち さだお)さんであった。
JA秋田共済連(現JA共済の秋田県本部)の山本修さんは、秋田県南秋田郡の田舎のJAを騙してしたのかも知れない。
山本修は、しょせんノースアジア大学卒で仕事も不真面目とJA秋田中央会では評判で、あだ名は、だらしない山本(略称:だらやま)であった。 平成4年当時、JA秋田共済連(現JA共済の秋田県本部)の秋田支所にいた
木村嘉伸(きむら よしのぶ)さんとJA秋田中央会の秋田支所にいた立石のザンパノこと元.監査人Tと
次のような会話があった。
元.監査人T:「秋田地区JA役職員連盟の運動会廃止の代わりに芸能人を呼んで
講演会をやることになりましたけど、参加しませんか?」
木村嘉伸:「ガッツ石松か?」
※これも本当の話である。 平成4年当時のJA秋田共済連(現JA共済の秋田県本部)の秋田支所のメンバーを言おう。
1)支所長 山谷公一
2)支所次長 武塙正司
3)木村嘉伸
4)加藤誠一
5)斉藤祐
6)武田真喜子
この5名体制であった。
JA秋田中央会の営農農政担当とはあまり関わり合いのないオフィスの人々であったが、
経営監査合併担当で秋田地区JA役職員連盟の事務局の自分とは少し仕事をした、山谷公一支所長とだけだけど。 >>368 は本スレッドのVTRの広告と無関係な書き込みです。 平成5年度に、JA里見(現JA秋田ふるさと)にJA秋田中央会の正職員で
経営監査部経営監査課に席をおいていた自分も全面監査に入った。
当時の、JA里見の代表理事組合長は武藤栄太(むとう えいた)さんであった。
総務課の課長補佐の最上さんが、元.監査人Tに、監査中に次のように話した。
最上課長補佐:「JA秋田共済連(現JA共済の秋田県本部)の山本修さんみたいな人、
この世の中で一番いい。あははは。」
※JA秋田共済連(現JA共済の秋田県本部)の正職員の山本修さんは、平鹿町里見地区出身であったので、
JA里見では、すごい馬鹿な頭を持つ人物なのに、よく連合会で働いていけるなと評判の現ノースアジア大卒の非エリート職員であった。
※このJA里見を監査した監査班の班長は、JA秋田中央会の経営監査課長補佐の佐藤遵(現JA秋田おばこの常勤監事)さんである。 >>369
・14行目を訂正します。
(誤)雄物川町 (正)平鹿町 >>371
・10行目を訂正します。
(誤)5名体制 (正)6名体制 平成3年2月1日付で立石のザンパノこと監査人になる前の正職員Tは、秋田県農協中央会の経営監査部経営監査課から人事異動で
秋田県農協ビル1階の秋田支所に配属にされるはめになった。
そしてビル1階の秋田県農協共済連の秋田支所の斉藤祐という正職員に出会った。
T:「斉藤さんの名前の祐って、”ユウ”って読むんですか?」
斉藤祐:「ああ?俺の名前はは”サイトウ タスク”っていうんだ。」
T:「祐って書いて”タスク”って普通にない読み方のお名前ですね、珍しいですね。」
斉藤祐:「ひとつ教えておくが、JA秋田共済連の秋田支所の支所次長の
武塙正司(たけはな まさじ)はな、偉そうな態度が過ぎて
支所の外に出せない人だからマジで気をつけろよな。」
T:「チューさんにも言っておきます。」
※JA秋田共済連(現JA共済の秋田県本部)の正職員で管理職の斉藤祐は、在日韓国人である。 JA秋田中央会の経営監査部経営監査課が秋田県内の総合JAから委託されて
実施した全面監査は、平成5年度までは、いつも旅館に泊りがけの、ガチンコの監査である。
佐藤遵(さとう じゅん)がJA全国監査機構秋田県監査部に所属して監査するのはおかしいと思った。 >>355
・4行目を訂正します。
(誤)松田耕咲酪農家長 (正)松田耕咲酪農課長 1998年7月の、JA秋田中央会の職員互助会の「シンガポール・マレーシアの旅」の
海外慰安旅行のディジタルビデオテープを、立石のザンパノこと元.監査人Tが再生し確認しています。
音はPCMでクオリティが高いまま保存されています。
JA全農秋田県本部長になったJA秋田中央会の正職員も映っていますし、
しゃべっています。
このスレッドはこれらの農家のコメ代金を搾取して海外旅行に行っている
JA秋田中央会の真実を映したVTRの広告です。 JA秋田中央会の裏の副会長の立場がある藤村正樹さん(JA秋田おばこ代表理事組合長)に、
携帯電話から非通知で、彼の自宅に電話してみた。
ファックスは使えるようだが、非通知拒否の設定の固定電話であった。
藤村正樹さまの自宅:TEL0187−44−2549 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0f0177873250e914bb2c091d384ac516) JA秋田中央会の裏の副会長の立場がある藤村正樹さん(JA秋田おばこ代表理事組合長)に、
携帯電話から非通知で、彼の自宅に電話してみた。
ファックスは使えるようだが、非通知拒否の設定の固定電話であった。
藤村正樹さまの自宅:TEL0187−44−2549
JA秋田中央会の役職員名簿を持っています。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0f0177873250e914bb2c091d384ac516) 平成29年3月23日にJA秋田おばこの臨時総代会が開催される。
マスメディア雑誌の諸兄は取材されたし。 JA秋田中央会の臨時総会が平成29年3月30日か31日に、開催される。
マスメディアの皆様は地域政策部の農政広報課を通さなくても取材できます。 JA秋田中央会の会長(非常勤)の木村一男さんは秋田県横手市下境字太郎小屋に
お住まいであるけれど、一般社団法人の家の光の会長(常勤)でもある
ため、ほとんど東京都で暮らしている。
しかし、JA秋田中央会の理事会や臨時総会の開催されるときは、
羽田空港から秋田空港までやってきて、公用車のお迎えで
JA秋田中央会の理事会や臨時総会に出席されるものである。
マスコミの取材陣はマークされるように。 JA秋田中央会の正職員で組織される職員互助会は、平成5年度に、
当時の寺田典城秋田県知事の大韓航空を秋田空港に定期便をつなぐための
搭乗率向上のため、搭乗1人当たり5万円の助成金をばらまいた。
JA秋田中央会はその甘い話に乗って、初の職員互助会海外旅行に行った。
韓国はソウル市の東南部にある蚕室(チャムシル)にあるドーム型遊園地”ロッテワールド”
に農協観光秋田支店の添乗員の稲葉智子さんに連れて行かれた。
この海外旅行は、有給休暇ではなくJA秋田中央会の正式な公用外出扱いの
遊興旅行であった。
さて、現職の知事なら誰でも秋田県農協政治連盟は推薦する。うまい話がいっぱいあるからである。 JA秋田中央会の地域政策部の農政広報課の佐藤知友也!
国立秋田大学の教育文化学部を卒業して、学校の先生の採用試験に不合格で
農政広報の仕事をしているようでは、通用しない。
君の仕事は、連合会からの女の正職員の出向で間に合う。
例えば、JA全農秋田県本部の入島厚子さん。 JA秋田中央会のなかにある全国監査機構秋田県本部に所属させられている
女の監査人の高橋望には、職場結婚ののぞみがない。
JA秋田中央会の内部に昔からある木曽明子問題をもっとよく知ることだ。
JA全中の高尾の研修センターでのマスターコースに行って合格した
監査人の資格などゴミみたいなものだ。
高橋望は、顔のダイエットの研修でも受けた方がいい! JA秋田中央会の仁井田の研修所にある全国監査機構に配属にされた高橋望さんは、
職場結婚の可能性が100%ない。
同じ職場の、長谷部まゆみさんや、矢嶋久美子さんや、斎藤幸子さんは独身貴族のままで苗字を変えることは無い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています