怖いゲームのジャンルをもうそろそろ分割した方がいいのでは? [無断転載禁止]©2ch.net
今出てる主流の恐怖って
fear game
だよね?
horror game
とはジャンルが違うから住み分けが必要ではなかろうかと
痛みを与え続けるゲームと、怖いもの見たさ、恐怖とは違うから
分けないとfeargameだらけに
なんでかみんないかに主人公を痛めつけるかという方向性になってる
http://krsw.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1475058064/ システムで恐怖を出そうとしてるのが主にFG
・逃げるしかない
・敵は強い
・音を立てたら気付かれる
・基本難しい
・基本最初からどうすればいいかは分かってる(例、逃げるしかない=逃げればいい、音を立ててはいけない=音を立てないようにすればいい、その音を立てずに通り過ぎるという行為自体が難しい)
心理理論で恐怖を出そうとするのが主にHG
・逃げられない
・今置かれてる状態の解決の仕方が分からない
・死の回避の仕方が分からない、どうしたら見つけられるか
・基本簡単
・どうすればいいのは分からない分かった時は解決(悪霊に取りつかれその解決のために奔走する、何を試しても結局殺されたり効果が得られなかったりし焦燥感を感じる、その悪霊の封印の手段を見つけ出し実行すれば解決だ) FGに多い表現
・常に暗い
(暗いお化け屋敷内を探索)
・血や死体がそこら中に転がっている
(その場を盛り立てる装飾としてそこらに転がっている、それを見た人に精神的ダメージを与えるための小道具の役割)
・描写は、できるだけ被害者の方を残酷に描写、どう感じるかを受け手に委ねる
(目の前で首をもいだり、鋭い爪で切り裂いたり、それをプレイヤーは眺める事で恐怖を感じる)
HGに多い表現
・何か起こりそうな時に暗い
(明るいお化け屋敷内を探索していて、暗い部屋の中に入ると不安になる)
・本来通常は血や死体は見えない、怪しい場所、不安な場所を覗き込んでしまった時に血や死体が出て来る
(ベッドの上に盛り上がった真っ赤なシーツが置かれている、捲って覗き込んでみると…知人の死体だという事をそこで初めて発見する)
・描写としては、主人公キャラ側を描いて、その感じるべき精神状態を伝える
(ベッドの死体を発見した主人公はその現状に対して恐れおののいたコメントや、嘔吐するモーション等で、その状態がどんな状態かを明確に示す) FG
一本道に沿って進む
道なりに進むと、残酷なオブジェと、乗り越えなきゃいけない困難が順次出て来る
途中にいる敵を、隠れるなり逃げるなり、乗り越えて倒して進む
HG
箱庭を行ったり来たりして自由に探索する
いじるべき場所、そうでない場所、自分で考えていじり、その結果によっては殺されたりひどい目に合う
場合によっては分岐してバッドエンドになる 最近の作品って一つの場面の事の移り変りや精神の移り変りを殆ど描写しないよね
こんなにこの場面は重要で、その場面の心情を事細かに伝えたいって意思がない
何か重要な事が起き、その状態の変化と、それを見た人たちの反応
異変が起きて、その周囲の人が見て慌ててふためいて恐怖して、口々に不安や悲鳴を口にする
さらにその状態は進行し…
そういう描写を一切描かないで
景色の奥に、モンスターに殺される人が映りこんでいて
作中の人物は主人公含め誰も無反応
視聴者はそれを見て勝手に驚愕するとでも思ってるのか 首を切り落とす映像や、残酷に貫かれる映像を、ただ流したって人はそんなに恐怖しない
それは対岸の火事で単に残酷だなとは感じても自分の事のように「何とかしなきゃ」って焦りや恐怖心は育たない
首を切り落とされた事に対して、主人公や登場人物たちが驚愕したり、その立場の気持ちを発して初めてその人物たちの立場で物事を見れる
それに過程をきちんと伝える努力も必要
映像的にただ残酷に一瞬で貫いて終了みたいな描写をしてしまいがちだけど
ちゃんと表現しないとその状態でどう感じるべきか伝えられない
貫かれる直前の被害者の様子、その様子を見た周囲の様子
貫かれ始めた時の被害者の苦悶、それを見た周囲の反応、その描写を受け再び被害者の様子
被害者の末路、それを見た周囲の反応や様子
心情の移り変り、そういう部分をきちんと描きこむのを放棄してるとしか思えない
そういう部分を放棄するとただ残酷なだけで恐怖心は殆ど育たない演出内容になる FGとHGの違い傾向として、敵と主人公の関係が正反対だったりする印象
FGは主人公を物理的に追い詰めたいので、敵の方が強かったり敵の数が多かったり
最初の敵の数>>>主人公
一つ一つ超えて進む…
結果主人公がすべての敵を潜り抜けるみたいな内容に
HGの表現は精神的に追い詰めたいので
最初は主人公側の人間は多いけど、一人また一人とやられる側は主人公の味方側
減るものが対照的なんだよね
FGは最初に多いのは敵の勢力で、話を進めれば進める程、敵の勢力が主人公に突破されて減る
HGは最初に多いのは味方の人数で、話を進めれば進める程、解決の見込みのないまま味方の犠牲者だけが増える… 恐怖を与えるための考えの違いが興味深い
1.恐怖を与えるためには直接的に追い詰める
2.恐怖を与えるために追い詰める事は一切しない、プレイヤーは勝手に恐怖する
恐ろしい魔物がいた時
1.強い魔物とじかに戦って強さを実感する事が恐怖だ
そのために強い魔物と対決するのを強制する
2.恐ろしい魔物がいるから戦う事はできないのが恐怖だ
どうすれば敵のいないところだけで話を進められるか、今できる範囲の対応をとり続けられるか(今できる対応を取り続けられない時は殺される時だ)
1.では、怪物がいる通路に入り、本気で主人公を殺しに来る敵と、命がけで突き進む主人公のような構図が理想とされる
怪物に負けした時に殺される
ゲームオーバーになるのは
・見つかったら命はない中を隠れて進もうとしていて、失敗して怪物に見つかった時
・システム的にプレイに失敗した場合
・最初に決められたシステムで競り負けた
2.は、外には怪物がいるから出れない、怪物のいる場所に自ら入るなど持っての他、怪物のいない場所だけで話を進めるのを理想とする
怪物を出してしまった時に殺される
ゲームオーバーになるのは
・外に出れる条件をそろえていいないにも拘らず、出られると思って外に通じる出口を開けてしまった時
・覗いてはいけない場所を覗いてしまった時
・やらなければいけなかった手順を見逃して進んだ場合、手順を間違った場合
・進むべき道を誤った、倒す敵を誤った
1.敵に勝たなければ常に殺される危機、何もしなければ殺される
2.何もしなければ安全、自分が何かする時にこそ殺される危険 最近「恐怖」というのと、プレイヤーをじかに痛めつけるもの、みたいな解釈ばかりだから
それを本当にみんな求めているのかもうそろそろ本気で向き合って欲しいね 同じ逃げるでも、解釈次第では正反対
・敵から物理的にどうやって走って逃げるか
足音を立てないように、見つからないように、敵に動きをきちんと予測して
敵から逃げ切るスキル、自分の実力が試される
・いやいや、敵から逃げるスキルとかの問題じゃない
敵と張り合うような構成はやめて
どこに行っても敵がいるこの状況の問題だ
どこに逃げても幽霊のいるこの屋敷で幽霊のいない外に出れるかどうかが試される
今の作品の理論は上で、たいていはどうやって敵と張り合ってどう敵から逃げ切るか
そこに視点を置いてる 「敵から逃げる」って言葉の解釈は二通りにとれる
@競争をする
A撤退をする
最近は殆どのゲームで@の解釈で、殺人鬼がチェーンソーか何かを持って追いかけて来る
どう逃げるか、どう隠れるか
そこに視点を置いてる
そこに殺人鬼がいた事それ自体は問題にはされず
殺人鬼がどれだけ強いか、どれだけこっちを見つけて殺して来るか、の部分が問題視される
でも、そうじゃないよね
本当はAで、部屋を開けた、そしたらそこには恐ろしいものがいた
だから、そのまま見なかった事にして逃げる
逃げる事そのものは、別に難しい訳でも何でもない
「そこに恐ろしいものがいた」って事そのものが問題にされる
@は差し迫っていて緊迫しているけど、どうすればいいのかも、分かってる
単に逃げられれば済む問題
だからどれだけ緊迫した駆け引きか、という方向で作る
Aは差し迫っていないけど、どうすればいいのか解決への道もない
確実に悪い結末は迫っているのだけど、その正体も対処も明確に見えてない
また、その恐怖の正体と解決への道のりを見つける事ができなければ、確実に最悪の結末になる
要するに何が迫っているのか分からないけれど、でも悪い事が起きる
@は迫っているものが分かっていて、それを回避する道筋も察しがついていて、それを回避する事ができなかった場合に悪い結果になる
ただ、その迫ってるもの回避するすべを実行するのは難しい
だから生き残る事が非常に困難だ
Aは迫っているものの本質が分からない、それを回避する道筋も分からない、それを分かれば全部解決だ、でも今は分からない
だから、生き残る事が非常に困難だ
ただ、目の前の差し迫った危機から逃げる行為については簡単にできる、できるが、それを回避したところで解決に一歩近付ける訳でも何でもない
問題は依然としてそのまま 問題の本質を見抜けず、放置したまま進み続けると
いずれは闇の深い結末になる
ただ単に殺されるのとは違う、どうやったら抜け出す事のできるのか分からない、迷路の中に閉じ込められたような感覚
どうやったら、頭にかかってる暗雲が晴れて、不幸な結末から抜け出す事ができるのか
すっきりと晴れない
やり直して同じ場所を成功するまで、死なないまでやればいいって問題じゃない
やり直しても、以前抜け出す事のできない迷路の中
抜け出すための本当の道を見つけ出す事ができない限りは… @は敵と解決への道のりが一致している
難しい敵を対処する事そのものが解決へ一歩前進するための条件
その代り、その敵を対処する事そのものが非常に難しい
Aは敵と解決への道のりは不一致
敵をどんなに対処しても、課されている問題は何ら解決に向かって前進していない
問題を解決するためには、敵を対処する以外の本当の問題を見つけ出さなきゃ一歩すら前に進まない
そして本当の問題は周到に隠されている ・問題の本質と恐怖の本質が一致する例
この館には怪物がいる
怪物を何とか超えて、先に進まなきゃいけない
怪物はとても難関だ
怪物をどうやって乗り越えるか?
という問題提起
問題の本質は、怪物がいる事
恐怖の本質も、怪物がいる事
目の前の怪物を突破さえすれば、問題も恐怖も一気に払える
恐怖の怪物を突破する事こそが問題解決だ、イコールだ
後は、道なりに進むだけだ
・問題の本質と恐怖の本質が一致していない例
館に閉じ込められている
館の出口は閉ざされていたり、無理に出ようとすれば殺されてゲームオーバー
館から外に出るにはどうすればいいか?
という問題提起がされている
それとは別に、ここには怪物がいる
館から外に出なければ、その怪物のいる館に永遠に閉じ込められるか、殺されるか
問題の本質は、館に閉じ込められている事
プレイヤーの目的は館から出る事
プレイヤーのやるべき事は、館から出るための試行錯誤
恐怖の本質は、そこには怪物がいる事
でも怪物を対処したって現状には何も変化が起きない
問題の本質を達成できなきゃ、その恐怖は絶対に払拭されない
かといって、問題を解決するには、その恐怖の存在を出るたびに何とかしなきゃいけない
課された問題だけに向き合っても、恐怖の存在だけ対処してればいい訳でもない 上
悪魔を呼び出してしまった、悪魔からどう逃げながら進むか
その悪魔は非常に賢いから悪魔から逃げながら進むのは容易はない(メイン)
降りかかる問題こそが問題の本質だ、その難関の問題をどう突破するか
下
悪魔を呼び出してしまった、悪魔をどうすれば再び封印できるか、悪魔を封印するすべをどこかから見つけ出さなきゃいけない(メイン)
呼び出された悪魔からも逃げなければいけない
メインの問題を解決しないでいるといずれ悪魔がやって来る
降りかかる処々の問題は、メインの問題によって派生した末端に過ぎない 直接的な路線によりすぎなんだよね
でもその路線はその路線で需要が出てるんだろうと思うけど
層たちが異なる そこまでホラーを細かく説明できるのに同じことしかおこらないホラーゲーム楽しめるんだね(笑) 同じ事しか起こらない事を楽しむんだよ
どっちかというと
恐怖心っていうものは同じもので感じるからね
夜のトイレが怖い人は夜のトイレこそが恐怖の対象で何度行っても同じトイレが怖いんだよ
トイレこそが怖いんだから、逆にそれを墓地ならもっと怖いだろうと変えても怖がるとは限らない 一番の誤解はそこ、恐怖を作ろうとしている人たちがいろんなバリエーションを作らないと恐怖を与えられないと信じている点 その世界観や世界そのものに自分の精神がとらえられている
だから怖い ⇒ ホラー
(今目の前で何も起きてない状態でも怖い、その世界観そのものが怖い、見終えた後もずっと怖い)
作中に起きた出来事そのものが怖い
だから怖い ⇒ 非ホラー
(残虐な描写、目の前で起きる恐ろしい出来事、恐ろしい体験、そのものから発する恐怖) fear作品が恐怖を与えられない原因は出来レースになるから
fear作品の恐怖の与え方っていうのは、プレーヤーに対する直接的な脅しだけど
実際には脅しどまりでゲーム的には決してプレーヤーに介入していない
例えば、どこから登場するか分からない中、進行ルート進むと、進行ルート上にいきなり化け物が登場し、凄惨な描写で主人公を殺してゲームオーバーになるとする
でもそれは、ゲームの進行上、必ずそれを躱してその先へ進むという進行の未来は決まっていて
その上で、その乗り越えて進む前提で脅しているだけに過ぎない
だからどんなにその場その場でどんなにむごい脅しをかけてもそこを超えて進む前提の出来レースでしかないため何ら芯への恐怖にはならない
本当のhorror作品の芯へ恐怖は、本当にできない(と信じ込んだり疑心暗鬼にする)仕組みが必要
何をやってもその「支配された世界観」から抜け出す事ができないんだ、という実際の焦燥感
要するにfearっでやってる事をすべて逆にする
超えて進む前提にない、凄惨な出来事をやたら起こさない
凄惨な出来事が起きた時はそこを超える事はできない(受け入れるしかない、それかエンドか) 要するに「難しいけどできる事」「恐ろしいけどできる事」それと「できない事」とは違うって事
この先進めばいずれゴールする、進めると分かってる先に、または途中に、どんなに脅しをかけてもこけおどしにしかなりえない
でも、進めない、何をやっても、悲惨な結末の陰から離れられる気がしない
ドヨ〜ンとした空気
でも、今すぐには、悲惨な出来事は起きてない
これは本当に怖い
それとは別途に、残酷な体験、世界観を見たいというfear作品的な需要も一定数存在するのは確か
住み分け fear
進める前提で進める経路がまず先に用意される、進んでいると恐ろしい描写や体験が体感される
その残酷な描写や、末路がどれだけ凄惨で衝撃的か、どれだけショッキングか、どれだけいたぶられたか
horror
進めない(普通に何も考えずに進むと生きどまるか、悪い結末へ一直線かという経路)、どこに行っても抜けられない(かのように見える)、今いる場所や今起きている事態から抜け出す事ができない
その中で抜け出す事のできないでいると、もしかすると恐ろしい残酷な出来事や結末が起こるかもね…
もしかしたら永遠にここに取り残されるしかない、朽ち果てるのか
こんな感じか ◆fear terror
基本できる限り主人公に恐ろしいものを与えよう与えようとする
恐ろしいイベントや、恐怖演出、残酷描写を通過するのが見るのが怖い
基本的に、作った恐怖の演出は全部見て進む
首が飛び、血まみれになり、脅される演習をすべて見て通過する
順当に進んでいると様々な嫌な演出がなされるが、それは順当に進んでいる証拠
残酷な描写が流れて来る=成功した時
fear,terror演出=見てもらうための演出、見るための演出
◆horror
恐ろしい出来事は主人公が自ら開けてしまった時以外、基本的には起きない
恐ろしいイベントや、恐怖心を通らずに進むのが怖い
恐ろしいイベントが起きる時は悪い経過になったり、殺されたり、取り返しのつかない結末になる時
作った恐怖の演出は出さずに見ないで進むのが正規のルート
正しい道を進む時、主人公は完全に無傷で結末にたどり着ける
残酷な描写が流れて来る=失敗した時
horror演出=見ないための演出
一本道しか作れない人たちにはこれが非常に苦手な訳で・・・
だから第3の道を・・・ ◆survival horror
恐ろしい結果は主人公が恐怖を撃退できる物資を持っていない場合に起きる
武器を持っていて、必要なだけの弾や薬をもっていれば、基本的には恐怖の結果は起きない
物資が減ってきた場合、恐怖の結果の足音が聞こえる
また、進む際に何か起きれば物資も消費するので、何か起きないか気にもなる
残酷な描写が流れて来る=失敗した時 脅しや脅迫的な恐怖と
精神的に来る恐怖とは別
最近は脅しや脅迫の方に振れる事を何故かhorrorに振れるというけど
実際は逆でhorrorから遠のいてる
怖い顔で脅したり、血を噴き出したり、そういう方面に向かえば向かう程、何か別のジャンルへ向かってる 『ゲームの恐怖を与えようとする矛先がプレイヤー』のゲームは違和感を感じる
今出てるゲームの大半が恐怖を与えている矛先は「プレイヤー」
・プレイヤーに向けて脅かす
・プレイヤーがそれを見てどう感じるか
・プレイヤーにどう見えるか
プレイヤーそのものに向けてやってる
恐ろしい容姿の怪物や霊の出るのは見ているプレイヤーがそれを見て怖がるのを想定する作り
プレイヤーを狙っている演出
恐怖ってよりビビるって言葉が適切
単発的で慣れる
『恐怖を与えられてる対象が主人公』こっちこそ本来では
主人公が抜け出す事のできそうにない状態に入り込んでいる
主人公が恐ろしいものを発見した
その状態に共感する事で怖い
自分もそうなったら怖い
もしかすると一寸進むと、自分もそうなるかも horror
恐怖の世界に迷い込んでしまった主人公の体験を描いたもの
今の人の言うhorror
視聴者にショッキングなダメージを与えるもの ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
国会の発議は可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆