「いじられキャラ、ホントは辛い」から解放される方法

1しゅわっち'92 ★2018/09/14(金) 09:22:20.37ID:CAP_USER
キャリア・教育 2018/09/14 07:00

尾原 和啓 , OFFICIAL COLUMNIST

働き方革命最前線 ─ポストAI時代のワークスタイル


「いじられキャラ」なんて言葉があるように、会社などの組織に属していると、お互いをキャラクター化させて接しあったりします。例えば困っている後輩に対して、
いつも優しく応援できる先輩なら、「山田さんは優しい」という評価を受け、それがキャラクターとして定着し、自分のセルフイメージも「優しい山田」になるし、それが自分の役割だと考えるようになります。

しかし、当たり前ですが人はセルフイメージ通りには生きられません。後輩に冷たい日があっても、投げやりな日があってもいいはずなのです。しかし、自分のセルフイメージに愛着ができてくると、それを守らねばならないと思い込んでしまったりします。

やがて、「私は人に優しくあるべきだ」と背負うあまり、「人に優しくない自分」や「優しくできない人」など、異なる価値観を許せなくなってしまいます。そこまで暴走してしまうと、固定されたセルフイメージによって自分や人を傷つけてしまうこともあります。

ですが、これは全て思い込みです。これもまた、前回の記事でもご紹介した「マインドワンダリング」の罠にハマっている状態でもあるのです。
それでもセルフイメージにとらわれてしまうのは、自分のキャラクターに合わないことをしたときに、いまの組織やコミュニティから外れてしまう恐怖や、役割を見失うことに対する喪失感があるからなのだと思います。

例えばいつもいじられキャラな人は、内心ではいじられることに傷ついたりもしているのに、「いじられることを拒否したら、仲間から外れてしまう」と思い、そのキャラクターに甘んじてしまうことがあります。


インターネットで自分を解放してみる

では、どうしたら自分のセルフイメージと付き合いやすくなるのでしょうか。

まず、すぐにできる応急処置としてインターネットの世界にコミットしてみるのもいいと思います。極端な例かもしれませんが、会社では真面目に働く男性が、
家に帰ると女装をしてインターネット配信をしているようなケースも、実は珍しくありません。これは、会社で自分がとらわれてしまっているイメージから一旦解放されることで、バランスを取っているのだと思います。

もちろんそこまでしなくても、匿名でブログを書いたり、SNSアカウントを作ってみるのもいいと思います。それが自分にとって没頭したり、夢中になったりできる作業だとなおいいでしょう。インターネットは、自分を解放できる場所でもあるのです。

こうしてバランスを取っていくうちに、次第に自分のセルフイメージと、そこから逸脱している自分が見えてくると思います。ここからが少し難しいですが、そのどちらにも名前をつけてあげるといいです。自分のとらわれ自体を言語化できると、そのとらわれから抜けやすくなるからです。

さらに応用編ですが、それらをラベリングし直す作業をします。例えば「いじられキャラ」なら、「会話の間をつなぐ役」というように、組織の中で作り上げたセルフイメージを、自分の言葉で訳し直してみるのです。そうすることで、セルフイメージを自分の側に寄せることができ、仲良くすることができるようになります。

方法論として足早にご紹介させていただきましたが、多くの場合、まずは組織の中にあるセルフイメージから一旦解放されることが急務だと思います。心に引っかかるものがあれば、まずはスマホで、なんとなく試してみるのもいいのではないでしょうか。

https://forbesjapan.com/articles/detail/22927/1/1/1

2名前をあたえないでください2018/09/14(金) 09:28:57.08ID:TvLxDcMu
たにんのおっぱいいじる

3名前をあたえないでください2018/09/14(金) 09:30:12.01ID:5LIEl/e2
そりゃ無視されキャラの方が楽だよなw

4名前をあたえないでください2018/09/14(金) 10:18:51.29ID:81IOgtML
5ちゃんで毒吐く

5名前をあたえないでください2018/09/14(金) 10:38:18.32ID:X2/cDEJv
イジられたら無視。おもれーぞ。そのあと目だけ上から目線。話振られたら他の人に話題を変えて更に無視。

楽なったわ。クズが言葉いじめ始めたらこれ。

6名前をあたえないでください2018/09/14(金) 11:07:16.31ID:abmUhvWc
学生時代はいじめてくる奴とか絡んでくる奴いたら
折りたたみナイフだしたら大抵はからんでこなくなった

それでも「お前さしてみろや(笑)」みたいなやつはいたよ ゲラゲラ笑ってかかってくるんだ

俺は刺そうと思ったら刺せたけどそれをやると学校のみんなに迷惑がかかると思った

彼らが大学とかの面接で
「人を刺した事件のあった学校からは人は入れられない」と
されたら良い学校に進学できなくなるし、就職も大変になりかねないし
人生変わってしまう 俺のせいで だから耐えた

それを知り合いに言ったら「お前は学校のみんなを守ったんだよ」と
言ってくれるやつがいた
しかし考えてみたら、俺が絡まれているときに誰も助けてくれんかったから
刺してもよかったかも 見殺しにするやつら守っても意味ないし

ただ絡んできた奴のひとりがこっちにカッターナイフを
俺の机に「刺せるならやってみろ!」との手紙を置きやがって
そいつ相手にカッターナイフ突きつけたら相手が
「やれ!刺せーーーっ!!」ときた どうしようか考えたよ 

刺さなかったら「こいつは刺さない奴だ」と周りのワルから思われて
俺に絡んでくる奴が増えると思ったしやるしかないみたいなとこまでいった

でも一人仲裁に入ってくれたやつがいて、そいつのためにも刺すわけにいかんとおもって引っ込んだよ

松本人志は「いじめられて死ぬぐらいなら相手を殺せ」とかいってたけど
俺は殺そうと思ったらできたけど、やらかした後、自分の周りとか
家族とか、助けてくれた奴に迷惑かかりまくるから出来なかったんだよ

なんで松本は追い詰められている人間の心情を考えず、直情的なんだろうか
話飛ぶけど、学校にスクールポリスとスクール裁判官、弁護士をおいて欲しいよ

教師にいっても「お前は何かあったらすぐわたしとこにくるな、自分の問題は自己解決しろっ!!」で
取り合ってもらえんかったからな 教師は精神論のはき違えのバカが多いよね

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