0001和三盆 ★
2017/04/28(金) 03:33:16.68ID:CAP_USER沖縄本島北部、恩納村の山中を抜ける県道脇が遺棄現場だった。そこに設けられた献花台には、花や果物、菓子が今も並ぶ。すぐそばの米軍キャンプ・ハンセンからは時々、爆弾の破裂音が響いていた。
近くに住む農業當山(とうやま)好夫さん(72)は、道ばたで手を合わせたり、献花台を掃除したりしている人を見かけてきた。
「こんなに基地に囲まれている。『もし、自分の身内だったら』と考える人が多いのでしょう」
當山さんが住む地区も、復帰前は米軍の戦車が走った。復帰後には、管理を頼まれていた保養所に米兵が侵入したことがあった。今月には、キャンプ・ハンセンからとみられる銃弾が民間業者の車に当たった。「沖縄は、今も弱い立場のまま。いつまで続くのか。あきれてしまう」と嘆く。
《沖縄の人だって事件を起こしてきた》《もう1回琉球処分するぞ》
うるま市の大学院生、玉城(たまき)愛さん(22)は、SNSで届いた見知らぬ人からのメッセージを思い出すと、力が抜ける。
昨年6月、約6万5千人(主催者発表)が集まった、事件に抗議する県民大会で壇上に立った。「今回の事件の第二の加害者は誰ですか。あなたたちです」。本土の人たちへ向けて叫んだ。ネット上で批判や暴言が飛び交った。通っていた大学にも電話がたくさんかかってきたと、後で聞いた。
事件が起きたのは、生まれ育っ…
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http://www.asahi.com/articles/ASK4W4TG6K4WTPOB002.html?iref=comtop_8_04
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