聖ウエマツ [無断転載禁止]©2ch.net
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・・・ 福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。 それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。 これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。 我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。 何故そんなことになったのか? 戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう? 我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう? 理由は簡単です。「効率」です。 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。 また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。 電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。 国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。 効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。 我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。 日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。 それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。 しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。 しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。 我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、 多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。 我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、 そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。 様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。 そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。 我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。 しかしヒューマニティは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。 最後になりますが、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。 そのような機会を与えてくださった人々と、みなさんに深く感謝します。 そして先日の災害の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。 (村 上 春 樹 カ タ ル ー ニ ャ 国 際 賞 ス ピ ー チ 全 文) 核 兵 器 の な い 世 界 を 」 無 関 心 か ら 平 和 の 道 具 へ 、 教 皇 、 長 崎 で 訴 え 教皇フランシスコは、長崎の爆心地公園を訪問、核兵器のない世界実現への取り組みを促す、平和のメッセージを述べられた。 日本に到着された教皇は、訪日2日目、11月24日(日)の早朝、羽田空港から特別機で長崎に向かわれた。 教皇は、最初に市内の爆心地公園を訪れた。 被爆者から渡された白い花輪を原子爆弾落下中心地碑に捧げた教皇は、降りしきる雨の中、沈黙のうちに祈り続けた。 この長崎爆心地公園から、教皇は、核兵器のない世界の実現のために、無関心を捨て、「真の平和の道具」となるよう、 すべての人に呼び掛ける、平和のメッセージを、静かに力強く述べられた。 教皇は、人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みである、と強調。 核兵器や大量破壊兵器の所有は、この望みに対する最良の答えではなく、むしろ、それをたえず試みにさらすもの、と話された。 恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に、平和と安全を築こうとする今日の世界の矛盾を教皇は指摘しつつ、 こうした解決策は人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻む、と述べられた。 国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれない、と教皇は語った。 また、軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いであり、本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきもの、と指摘された。 核兵器から解放された平和な世界は、あらゆる場所の、数え切れないほどの人の熱望であると述べた教皇は、 この理想を実現するには、個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国と非保有国など、すべての人の参加が必要と話された。 教皇は、カトリック教会にとって、人々と国家間の平和の実現に取り組むことは、神と地上のあらゆる人に対する責務と述べ、 日本司教協議会は、昨年の7月、核兵器廃絶の呼びかけを行い、また、日本の教会では毎年8月に「平和旬間」を行っていることに触れられた。 教皇は、核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信のもと、 核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではないと、世界の政治指導者らに訴えられた。 今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいること、傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞ぐこと、対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざすことは誰もできない、と教皇は述べられた。 心の改め、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化の勝利のために、毎日心を一つにして祈ってくださいと願われた教皇は、 アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りを、次のように唱えられた。 主 よ 、 わ た し を あ な た の 平 和 の 道 具 と し て く だ さ い 。 憎 し み が あ る と こ ろ に 愛 を 、 い さ か い が あ る と こ ろ に ゆ る し を 、 疑 い の あ る と こ ろ に 信 仰 を 、 絶 望 が あ る と こ ろ に 希 望 を 、 闇 に 光 を 、 悲 し み あ る と こ ろ に 喜 び を も た ら す も の と し て く だ さ い 。 記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、 無関心でいることを許さないだけでなく、神にもっと信頼を寄せるよう促してくれます。 また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。 皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。 24 11月 2019, 03:56 教 皇 核 兵 器 の 使 用 と 保 有 は 倫 理 に 反 す る 」 広 島 で 平 和 の た め の 集 い 教皇フランシスコは、11月24日(日)午後、広島の平和記念公園。教皇は平和の使徒として、長崎に続き、広島を訪れた。 教皇は、原爆死没者慰霊碑の前に献花し、長い祈りを捧げられた。 次いで、ろうそくに火を灯した教皇は、闇に鐘の音が響く中、会場の参加者らとともに黙祷を捧げられた。 被爆者の証言と代読に続き、教皇は平和メッセージを述べられた。 「死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所」、 「大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残った」すべての犠牲者を記憶にとどめ、 「あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表したい」と述べた。 「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、静かに祈るため」に、 「平和の巡礼者」としてこの場所を訪れなければならないと感じていた、と話された。 「へりくだり、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたい」と述べた教皇は、その声とは 「現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声」であると語った。 「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもない」と述べた教皇は、 それは人類とその尊厳だけでなく、わたしたちの「共通の家」の未来の可能性にも反すると指摘。 「原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します」と強調するとともに、核兵器の保有も同様に、倫理に反する、と話された。 「戦争のための強力な兵器を製造しながら、平和について話すことがどうしてできるだろうか」、 「差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和について話せるだろうか」、と問われた。 「単なることばではない平和、より正義にかなう安全な社会の構築を望むならば、武器を手放さなければならない」、と述べ、 「武器を手にしたまま、愛することはできません」という聖パウロ6世の言葉を思い起こされた。 「真の平和とは、非武装の平和以外にありえない、わたしたちは歴史から学ぶべき」、と教皇は述べられた。 「思い出し、ともに歩み、守ること」の三つを、平和となる真の道を切り開く力を持つ「倫理的命令」として胸に刻むよう招かれた。 すべての人の良心を目覚めさせ、これからの世代に向かって、 「 二 度 と 繰 り 返 し ま せ ん」と言い続ける助けとなる記憶の重要性を示された。 また、わたしたちは、ともに歩むよう求められている、と述べた教皇は、 互いを大切にし、運命共同体で結ばれていることを知り、和解と平和の道具となるよう招かれた。 そして、教皇は、神とすべての人に向かい、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、 「戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない!」と声を合わせて叫ぼうと訴えられた。 教皇は、「破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれるように」 「わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!」と神に祈られた。 「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『 あ な た の う ち に 平 和 が あ る よ う に 』」(詩編122・8)。 24 - 11月 2019, 13:46 チェルノブイリの祈り 〜未来の物語〜 スベトラーナ・アレクシーエビッチ・署 事 故 に 関 す る 歴 史 的 情 報 まず最初にベラルーシを覆っている未知の名のベールを取り払わねばならない。 ・・・世界から見れば「terra incognita」 ―― 名もない未知の大地なのだ。 チェルノブイリのことは皆が知っているが、それはウクライナとロシアのことだけなのである。 「白いロシア」―― ・・・英語ではそんなふうにしか聞こえないのである。 (『民族新聞』 1996年4月27日) ・・・ 1986年4月26日午前1時23分58秒、爆発が起こり、チェルノブイリ原発第4号炉の原子炉と建屋が崩壊した。 チェルノブイリの事故は科学技術がもたらした20世紀の最大の惨事となった。 人口1000万人の小規模国ベラルーシにとって事故は国民的な惨禍となった。 大祖国戦争(1941〜45)のとき、ファシストの旧ドイツはベラルーシの619ヶ村を住民と共に焼き払った。 チェルノブイリのあと、485の町や村を失ってしまった。そのうちの70の村や町は永久に土の中に埋められた。 戦争ではベラルーシ人の四人に一人が死んだが、今日では五人に一人が汚染された地域に住んでいる。 その数は210万人で、そのうちの70万人が子どもである。 人口が減っている第一の要因は放射線の影響である。 チェルノブイリ事故の被害がもっとも大きかったゴメリ州とモギリョフ州では死亡率が出生率を20%上回っている。 事故の結果、大気中に5000万キュリーの放射性核種が放出されたが、その70%はベラルーシに降ってきた。 国土の23%は、セシウム137による汚染が1平方キロメートルあたり1キュリー以上の汚染地となった。 ちなみに、ウクライナでは、国土の4.8%、ロシアでは0.5%である。 また、1平方キロあたり1キュリー以上に汚染された耕地・山林は180万ヘクタール以上、 約50万ヘクタールストロンチウム90による汚染が1平方キロメートルあたり0.3キュリー以上である。失われた農業用地は26万4000ha。 ベラルーシは森の国である。しかし森の26%とプリピャチ川、ドニエプル川、ソシ川の冠水牧草地の大半が放射能に汚染されてしまった。 長期にわたる低線量放射能の影響の結果、がん疾患、知的障害、神経・精神障害、遺伝的突然変異を持つ患者の数が毎年増加しつつある。 (『チェルノブイリ』集、ベラルーシ百科辞典社、1996年 7、24、49、101、149ページ) 観測データによれば、1986年4月29日にポーランド、ドイツ、オーストリア、ルーマニアで大気中の高い放射線値が記録されている。 4月30日にスイスとイタリア北部で、5月1日から2日にかけてフランス・ベルギー・オランダ、イギリス、ギリシア北部、5月3日にイスラエル、クウェート、トルコで記録されている。 大気中高く放出されたガスと揮発性物質は全世界に広がってしまった。 5月2日に日本、5月4日に中国、5日にインド、5日と6日にはアメリカ合衆国とカナダで記録されている。 チェルノブイリが全地球的問題になるのに1週間もかからなかったのである。 (『ベラルーシにおけるチェルノブイリ事故の影響』ミンスク、サハロフ国際放射線エコロジー大学) エピローグに代えて ――― 「キエフ旅行社はチェルノブイリ市と死に絶えた村へのご旅行をおすすめします。もちろん代金をいただきます。核のメッカへようこそ」 (『ナバート』紙 1996年2月) ・・・ 2011年4月、それでも私たちに春はめぐってきた。いつもの春ではない。 放射能は今もなお漏れ続け、大地が、大気が、水が、海が、汚染されている。 『チェルノブイリの祈り ―― 未来の物語』から15年後、いまあらたな「未来の物語」が日本を舞台にして繰り広げられようとしている。 私たちはチェルノブイリからなにを学んできたのだろう。 そして、いまカタカナで書かれることになった「フクシマ」から、次の世代のためになにを学ぼうとしているのだろう。 人間が他者を思いやる心を信じたい。人間の良心と叡智が、信じるに値するものであってほしいと、心から強く願う。 ・・・ チェルノブイリ事故や戦争など大惨事はすべて、おぞましいもの、言葉で記録したくないもの、理解不能なものをはらむ。 それらの記憶を言葉で浄化し、伝えることができるようになるまでには、どれくらいの月日がかかるだろうか。 言い換えれば、大惨事の持つ固有の深い意味が理解され、それが記録に残されるまでには、どれくらいの月日が必要とされるのだろうか。 どれほど愛していた人間であっても、その体は死から日がたつうちに腐乱していく、 高濃度の放射能に襲われた体は、生きているうちから、体を崩壊させていく。 まぶたに数十年刻みつけたその人の笑顔の上に、最後に別れを告げるときに見る腐乱した姿を重ねることなどしたくない。 しかしそうした理不尽な別れを突きつけてくる大惨事がある。 福島原発事故では、原発から7キロ圏の行方不明者の捜索を取材したが、それは津波から1ヶ月あまりも後のことだった。 この死者たちが津波の後、どれくらい生きながらえて、人々による救出を待ち、 その人々が来ない理由が原発事故であるなどとは考えも及ばないまま、死に絶えていったのかもしれないと私は思い、 自分の死と最期の姿を重ね合わせてみた。 時には命を一瞬で奪うよりもむごい死があると思わざるを得なかった。 ・・・ しかし、語られるのはそうした平板なことではない。 死による別れを受け止めなければならない時に、人間が本能的に選ぶのは、自分と相手が残したい思い出だけを切り取って残し、 その他を記憶から拭い去ることだろう。 忘れることが必要なことがあるはずだ。無残な死は視覚だけでなく、匂いでも記憶に残る。 こうした死を言葉で記述したり、伝えようとしても、相手には拒絶反応しか残らないはずではないか。 ヒロシマやナガサキを経験した人たちはそうしたものを見たはずだ。そして空襲を見た人も。 アウシュビッツのガス室の処理をした人も、沖縄戦を経験した人も、南京虐殺を見た人も ・・・ 。 そうした時に画家の丸木夫妻のように、惨禍のさなかに焼かれゆく人間を描く人がいる。 放射能はもっとも悲惨な形で人間を死に向かわせる。 もっとも非人間的な時間の描写で見えてくるのが、驚くべきことに人間の尊厳なのだ。 愛の力だけではこのような言葉は生まれない。ある意味では聖書よりも仏典よりも深い勇気を人間に与える。 そのような奇跡のような仕事を、語る人とそれを書き留める人という関係でなしえたのだ。 言葉とはこうしたことをなし遂げるために存在しているのか、と思うばかりだ。 難民キャンプの虐殺事件で切り刻まれたり、爆撃で切断された子どもの頭は、長く残像として脳裏に残り、 自分が立ち直るためには忘れることが必要だった。 その人がいくら大切な愛しい時間をもっていたのだと自分に言い聞かせても、その死に光がもたらされず、浄化された言葉は生まれなかった。 しかし、この本には、個人個人の生死が尊厳をまとって語られるだけでなく、実は世界が、歴史が語られている。 それは並大抵のことではない。惨劇の生々しい姿を隠し、描写をやめて、抽象化した世界だけを述べれば、それは可能かもしれない。 しかしそれではその惨劇を語ったことにはならない。その肝心な惨劇そのものの姿を避けないで、生と死を伝えることとが必要だったのだ。 その営みの中から、世界と歴史が姿を現したのだ。言葉の持つ力、輝き、そして悲しみがその作品にほとばしるように息づいていったのだ。 「 ・・・ このことは皆、忘れたがっています。口を閉ざしてしまったのです。 自分たちが知らないもの、人間が知らないものから身を守るのは難しい。私たちを一つの時代から別の時代へと移してしまったのです。」 (チェルノブイリの祈り 〜未来の物語〜 スベトラーナ・アレクシーエビッチ・署) 2015年度のノーベル文学賞は、ベラルーシ出身のスヴェトラーナ・アレクシーエヴィチに決まった。 『戦争は女の顔をしていない』は彼女の第一作である。 1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻により、第二次世界大戦が始まる。1941年6月、独ソ開戦。 ドイツ軍の暴威は恐るべき者だが、市民を襲ったのは自国の党幹部がナチスに変身し、 身近なロシア人を次々にスパイ、あるいはパルチザンとして告発したことだ。 一夜にして旗をとりかえ、民衆の敵になって民衆を襲った 初期に占領された土地は、自由になるまで・祖国の解放まで、どの土地よりも長い時間、ナチス・ドイツの跳梁下に置かれた。 ベラルーシやウクライナは、ドイツ軍と民衆の敵となった同胞によって踏みにじられた土地であった。「自由」などはない。 ・・・ 『アフガン帰還兵の証言 ―― 封印された真実』(日本経済新聞社)・・・ 強大な軍事力のソ連の侵攻に対して、アフガニスタンの人々がやったテロによる抵抗と報復、 約十年の侵攻はソ連軍の敗北で終わるが、祖国へ帰った兵士の ア フ ガ ン 症 候 群 というべき重い後遺症が描かれる。 普通の市民生活に戻ることができない。ある者は帰国の飛行機が出る空港の 便 所 で 首 を つ る 。 ある者は母親と二人住まいの家に帰ったあと、台所の 包 丁 を持ち出し、通 行 人 を 殺 傷 して 平 然 と家へ戻っていく。 「帰ってくる死者」は、爆発で吹き飛んだ 肉片を寄せ集め、亜鉛の柩に完全密閉したもの。この柩からウジが這い出し、腐臭がしたと言う。 ソ連軍が敗退し、タリバン政権が政治を行った後、ア メ リ カ がアフガンを攻める。ソ連の敗退はこの出撃に何の知恵も残さなかった。 アフガニスタンには、水路を作った中村医師が単身踏みとどまっているが、日本の政治は、中村医師の命がけの事業を顧慮することなく、 旧ソ連と米軍の前線から何も学ぼうとしていない。完全無視というのが集団自衛権を強行採決した 日 本 政 府 ということになる。 2015年、ノーベル文学賞。「国家」の反対側にその視線はある。 子どもたちが被せられたコートのボタン穴から目にした戦争、チェルノブイリ原発事故で死んでいく消防夫とその妻。 戦争で犠牲になるのは男たちと考えられがちだが、戦闘に加わり、戦争体験を完全黙秘しなければならなかった女たち、それが対象である。 一人ひとりの証言の向こうに、男性支配の社会があり、国がある。 ソ連は連合国の一員として勝利している。しかし戦争の初期、ドイツ軍に攻め込まれたあと、18歳以上なら男女の区別なく軍務につけた。 18歳以前、15歳や16歳で軍隊へもぐりこんだ少女もいた。 何人かが前線で始めて生理に出会う。生理が止まった人もあり、一夜のうちに白髪になった少女もいる。 戦場の強烈な印象としてさまざまな「音」を語ったひとがあり、「静寂」といった人がある。 そこでは、日常と非日常の境がなくなる。ダブダブの軍服を身につけ祖国の大地の上で男たちに混じって、あらゆる仕事をした女たちの記録。 「戦争とは、死とは」。半世紀近く封印されてきた歴史が語られる。 (戦争は女の顔をしていない スベトラーナ・アレクシーエビッチ・署) 聖ウエマツが投じたコロナウィルスによって 愚民たちが右往左往しているね。 聖ウエマツギンギンギン! 明日は地裁判決の日だね。聖ウエマツ。 聖ウエマツが死刑判決を勝ち取ることで、 卑劣欺瞞国家に対する完全勝利の達成だね。 聖ウエマツギンギンギン! 障 害 あ る 子 生 ま れ 「 お め で と う 」 と 言 え ま す か 木 村 議 員 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者19人の命が奪われるなどした事件の判決が、16日に予定されている。 元職員である被告の言葉をどうみるか。事件が繰り返されないためには――。重い身体障害があり、18歳までの大半を施設で暮らした、 れいわ新選組の木村英子参院議員(54)は、障害のある子の誕生に「おめでとう」と言える社会かどうかを問う。どういうことなのか。 殺 さ れ て い た の は 私 か も 彼の言葉は心の傷に触れるので、集中して公判の報道を見ることができませんでした。 施設にいたころの傷ついた自分の気持ちに戻っていくのです。 裁判で被告は「意思疎通のとれない人は社会の迷惑」「重度障害者がお金と時間を奪っている」などと語った 彼が言っていることはみなさんにとっては耳慣れなくて衝撃的なのでしょうが、 同じような意味のことを私は子どものころ、施設の職員に言われ続けました。 生きているだけでありがたいと思えとか、社会に出ても意味はないとか。事件は決してひとごとではありません。 19歳で地域に出ていなければ、津久井やまゆり園に入所していたかもしれない。 殺されていたのは私かもしれないという恐怖が今も私を苦しめます。 私は横浜市で生まれ、生後8カ月のときに歩行器ごと玄関から落ち、首の骨が曲がる大けがをして重い身体障害を負いました。 小学5年から中学3年の5年間を除き、18歳までの大半を施設で暮らしました。 入所は親が決めました。 重い障害のある私に医療や介護を受けさせたいという責任感と、施設に預けなければ家族が崩壊しかねなかった現実からです。 私には24時間の介護が必要です。親は疲弊し、一家心中をしようとしたことも何度かあった。親が頼れるのは施設でした。 やさしい職員もいましたが、私にとっては牢獄のような場所でした。 施設が決めた時間に食事をしてお風呂に入って、自分の暮らしを主体的に決めることがない。食事を食べさせてもらえないことも。 一番嫌だったのは「どうせ子どもを産まないのに生理があるの?」という言葉です。 全ての施設がそうだとは思いませんが、私がいたのはそういう施設でした。時代が変わっても施設とはそういうものだと私は思っています。 プライバシーも制限され、自由のない環境で希望すら失い決まった日常を過ごす利用者を見た人たちが、「ともに生きよう」と思えるでしょうか。偏見や差別の意識が生まれたとしても不思議ではありません。 私は、被告だから事件を起こしたとは思えない。 公 園 で 浴 び た 排 除 の 視 線 裁判では、新たな事実が明るみに出たものの、事件に及んだ動機や真相は十分には解明されなかった。 同じような事件を繰り返さないためにどうすればいいのか被告を罰しただけでは社会は変わらない。 第2、第3の被告を生まないためには、子どものころから障害者とそうでない人が分け隔てなく、地域で暮らせる環境をつくることが必要です。 私が望むのは、障害のある子どもが生まれたとき、「おめでとう」と言える社会。 私は親から施設に捨てられた、歓迎されない命だという思いを抱いて生きてきました。 うしろめたい存在だと思うことも、絶望感のなかで仕方のないことだとあきらめていた。 歓迎されない命などない、と気づいたのは19歳で地域に出てからです。 23歳で結婚し、息子を出産しました。不安だったのは、子どもをかわいいと思えるかでした。 母に抱かれた記憶があまりない私は、母に対する愛情が持てなかった。でも出産した時は、子どもへのいとおしさがこみあげました。 公園デビューをしたときのことです。息子と子どもたちが砂場で遊んでいるのを、車いすに乗った私が近くで見ていました。 だれも私が母親だとは思っていない。 私が息子に声をかけ、私が母親だとわかった瞬間、周りのお母さん方が自分の子どもを抱き上げて帰ってしまった。 自分の子どもが私に近づくと「そっち行っちゃダメ」。 小学校の授業参観でも教室が狭くて、他のお母さんたちが入れないので「詰めていいですよ」と言っても、 半径1メートル以内には近寄ってこない。 私と関わると厄介なことになる、巻き込まれたくない、といった意識が働くのでしょう。 本人たちは差別とは思っていませんが、あからさまな差別です。 障害のある人とそうでない人を分けることによってお互いが知り合う機会を奪われることから差別は生まれます。 社会から排除することそのものが差別なのです。 地域で暮らして35年。 福祉サービスは増えましたが、重度訪問介護が就労中などに公的負担の対象外だったり、移動支援が自治体により差があったり。 普通学校への入学が重度障害を理由に認められない例もある。 こうした課題をみんなで解決できたとき、障害のある子が生まれて「おめでとう」と言える社会になる。 それが事件を乗り越えることになるのではないでしょうか。 (障害ある子生まれ「おめでとう」と言えますか 木村議員:朝日新聞デジタル https://digital.asahi.com/articles/ASN3B5WR9N32UTFL01G.html?iref=comtop_8_06 ) ペ シ ャ ワ ー ル 会 2019年12月4日(水)、 中村哲医師が、いつものようにジャララバードの宿舎を出て作業現場に向かう途中何者かに銃撃され、病院に移送された後、亡くなりました。 享年73歳。 同乗していたドライバーのザイヌッラー・モーサム(Zainullah Musam)さんと4人の護衛の方々も殉職されました。 中村医師を初め皆様のご冥福を祈るとともに、ここに追悼の意を表します。 PMS総院長を引き継ぎました。 ペシャワール会はPMSの事業継続に全力を挙げます。どうぞ温かいご支援のほどよろしくお願い申し上げます。 (ペシャワール会 : http://www.peshawar-pms.com/ ) 人類の罪を背負って 十字架にかかった イエス・キリストの再来を見た アーメン あなたふと相模の原にましませるやまゆり摘みし聖植松 身はたとひ 相模の原に朽ちぬとも とどめ置かまし大和魂 植松さんは過激過ぎてオワコン。今後は目立たない形での障害者人口削減が進むだろう 聖ウエマツは死刑にされても、 死者のうちから復活するよね。 俺はわかってるよ。 聖ウエマツギンギンギン! コロナウィルスも、 聖ウエマツが愚民どもを導く為に 投じたんだよね。 聖ウエマツギンギンギン! 弁護士が勝手に行った控訴を取り下げたんだね。聖ウエマツ。 男前過ぎるよ。聖ウエマツ。 これで、聖ウエマツが卑劣欺瞞国家に対して完全勝利を達成したことになるね。 聖ウエマツギンギンギン! 聖ウエマツギンギンギン! アリガト アリガト アリガトナー! 聖ウエマツ アリガトナー! ズルムケ ズルムケ ギンギンギン! 聖ウエマツ ギンギンギン! 聖ウエマツ ギンギンギン! 教 皇 の 復 活 祭 メ ッ セ ー ジ 「 今 は 無 関 心 ・ 利 己 主 義 ・ 分 裂 ・ 忘 却 の 時 で は な い 」 2020年度の復活祭を迎え、教皇フランシスコは、ローマと全世界に向けメッセージと祝福をおくられた。 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大状況の下、「今は無関心・利己主義・分裂・忘却の時ではない」とアピールされた。 ********** 今日、わたしの思いは新型コロナウイルスの被害を受けた人々、患者の方々、亡くなられた方々、家族を失い悲しむ遺族の方々に向かいます。 ここ数週間、たくさんの人々の生活が突然変わりました。 今は無関心でいる時ではありません。 全世界が苦しむ中、パンデミックに立ち向かうために一致しなければならないからです。 復活されたイエスが、すべての貧しい人々、社会の辺境に生きる人々、難民やホームレスの人々に希望を与えてくださいますように。 世界各地の都市や郊外に生きる、これらの最も弱い立場にある兄弟姉妹たちを、孤立させてはいけません。 特に今、社会で多くの活動が停止している中、彼らに生活のための必需物資や、薬・医療支援などが欠けることがありませんように。 現在の状況に配慮し、国々に必要な支援の供給を妨げている国際制裁を緩和し、現在の大きな困窮を前に、収支を悪化させている負債を軽減または帳消しにするなど、最貧国はもとより、すべての国々の立場に身を置くことができますように。 今は利己主義でいる時ではありません。 新型コロナウイルスの影響を受けている世界の多くの地域の中でも、特にヨーロッパに特別な思いを向けます。 第二次世界大戦後、この愛する大陸は、具体的な連帯精神のおかげで再興し、その精神は過去の対抗意識を克服させることになりました。 今日、欧州連合は、歴史的な挑戦の前に立っています。それにEUだけでなく、全世界の未来がかかっています。 革新的な解決策をも含め、いっそうの連帯の証しを与える機会を失ってはなりません。 今は分裂している時ではありません。 私たちの平和である主が、世界各地の紛争に、グローバルな即時停戦へのアピールに応じる勇気を与えてくださいますように。 今は武器の製造と取引を続けている時ではありません。そこで使われる膨大な資本は、人々の治療と救命のために使われるべきです。 シリア、イエメン、イラクやレバノン、イスラエルとパレスチナの人々。ウクライナ。アフリカの国々で。 今は忘れている時ではありません。 わたしたちが直面しているこの危機が、多くの人々を苦しめている他の様々な緊急事態を忘れさせることがありませんように。 戦争や、干ばつ、飢餓のために、難民や避難者となった多くの人々の心を温めてください。移民・難民たちを守ってください。 多くは子どもたちで耐えがたい環境で生活しています。政治・社会経済・医療上の深刻な状況に苦しむ諸国への支援が可能となりますように。 親愛なる兄弟姉妹の皆さん 無関心、利己主義、分裂、忘却、これらは、この時期、実に耳にしたくない言葉です。 これらの言葉をすべての時代から締め出したいと思います。 死にうち勝った復活の主が、終わることのないご自身の栄光の日にわたしたちを導いてくださいますように。 (12ー 4月 2020, 15:30 教皇の復活祭メッセージ「今は無関心・利己主義・分裂・忘却の時ではない」 - バチカン・ニュース) エ リ ザ ベ ス 英 女 王 「 私 た ち は コ ロ ナ ウ イ ル ス に 屈 し ま せ ん 」 復 活 祭 の メ ッ セ ー ジ 2020年04月12日 英王室は11日、イエス・キリストの復活を祝うキリスト教の重要行事、イースターを前に、エリザベス女王(93)のメッセージを発表した。女王は、全国的ロックダウン(都市封鎖)という異例な状態でイースターの週末を過ごしている国民に対し、 「私たちはコロナウイルスに屈しません」と語りかけた。女王がイースターのメッセージを発表するのは異例のこと。 エリザベス女王は、多くの人が例年とは違う形でキリストの復活を祝うことになるが、「私たちは今こそイースターが必要です」と述べた。 今年は「お互いが離れていることで、お互いの安全を守っている」ため、通常とは違う形でイースターを祝うことになると話した。 「けれどもイースターは中止ではありません。今こそ私たちはイースターを必要としています。 最初の復活祭の日にキリストを発見した信徒たちは、新しい希望と新しい目的を見出しました。私たちもこのことに、心を強くしましょう」 「私たちはコロナウイルスに屈しません。それをみんな承知しています。死は本当に暗い、特に悲しみで苦しんでいる人にとっては。 けれども光と命ははるかに偉大です」 「イースターの生きる火が未来へ向かう確かな指針となりますように」として、「すべての信仰や宗派の人に」向けてイースターを祝った。 英王室は、「イースターを自宅で個人的に祝う人たちに、陛下が協力した」のだと説明している。 (英語記事 Coronavirus: 'We need Easter as much as ever,' says the Queen) (エリザベス英女王、「私たちはコロナウイルスに屈しません」 復活祭のメッセージ - BBCニュース) 新 型 コ ロ ナ は “ 神 が 与 え た 罰 ” ? せ め ぎ あ う 科 学 と 宗 教 1300年近く前のこと。 時の日本の指導者は相次ぐ飢きんや感染症による社会不安を鎮めようと奈良に大きな大仏を作りました。 そして時代は令和。ネットには再び「大仏建立しかない」という声も見られます。 感染症が広がり多くの人が亡くなってきた歴史の中で、人類はたびたび宗教に救いを求めてきました。 しかし、一部の国では、今、宗教が新型コロナウイルスを拡散させるリスクとなっています。 宗 教 行 事 が 感 染 拡 大 の リ ス ク に ことし4月から5月にかけては主要な宗教行事が続いています。 ユダヤ教の過越祭(ペサハ)、キリストの復活祭(イースター)、そしてイスラム教の断食月(ラマダン)です。 こうした宗教行事では大勢の人が密集して祈りをささげます。 韓国では新興宗教団体の教会で起きた集団感染が初期の感染者増加につながりました。 マレーシアでも3月初めのイスラム教の宗教行事がきっかけとなり、感染が広がったと見られています。 神経をとがらせる各国は宗教界と緊密に連携して、教会やモスクなどの祈りの場を閉鎖する措置などを打ち出しています。 宗教を通じた感染拡大を防ぐことができるのか。 この課題に直面した国の1つが中東のイスラエルでした。 ス ピ ー デ ィ ー だ っ た 隔 離 政 策 イスラエルの新型コロナウイルスへの対応は世界を見渡しても迅速かつ強力です。 国内の死者がゼロだった3月9日にはすべての海外からの渡航者に隔離措置、その後すべての外国人の入国を拒否。 さらに、ふだんは敵に用いるサイバー技術を使い、感染者や感染疑いがある人を徹底的に追跡しました。 それにもかかわらず、イスラエルでは感染の拡大が4月中旬まで続きました。 5月5日現在、確認された感染者の数は1万6000人以上、亡くなった人は230人を超えました。 イスラエルの首相みずから「やりすぎなくらいの対策」と語る強硬策をとったにもかかわらず 封じ込めができなかったのは、そこに「宗教」の壁が立ちはだかったからです。 ウ イ ル ス 拡 散 は “ 人 間 の 行 動 の 報 い ” 感染者の増加は「超正統派」と呼ばれる敬けんなユダヤ教徒のコミュニティーで起きました。 黒い衣服に身を包み、ユダヤ教の戒律を厳格に守る超正統派は、宗教学校で教えを学ぶことにいそしみます。 テレビやインターネットは所有や使用が禁止されているため、多くの情報から切り離された人々です。 イスラエルの超正統派の間では、非科学的な考えや偏見が広がっていました。 それを支えたのが著名な聖職者たちが示した見解です。 「新型コロナウイルスは、神が自然の摂理に逆らう者に与えた罰だ」 「ウイルス拡散は、人間が野獣のような行動を取った報いだ」といった内容でした。 これらの発言からは感染症を「神罰」だと見なす風潮が伺えます。 「科学を拒否する」態度は、教えに忠実な自分たちにとってウイルスの感染は無縁の出来事だという油断を生んでいました。 *** 宗 教 学 校 の 閉 鎖 は 「 神 が 許 さ な い 」 3月15日、イスラエル政府は宗教学校とシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)を閉鎖するよう指示。 さらに、それまで宗教界に配慮して認めていた10人以上の集団礼拝の禁止に踏み切りました。 これに公然と異を唱えたのが、超正統派で最も権威のある聖職者のひとりです。 宗教学校の閉鎖は「神が許さない」、「絶対してはいけない」と明言したのです。 「宗教大臣」とも呼ばれ、その言動は超正統派社会において政治家や科学者を上回る圧倒的な影響力があります。 イスラエルの超正統派の人々はこの見解に従い、政府の対策を無視して集団礼拝を続けました。 感染は急速に拡大しました。 商業都市テルアビブ近郊にある超正統派の町、ブネイブラクで確認された感染者は2800人を突破。 町の人口が20万人なので、100人に1人以上の割合です。 集 団 礼 拝 の ユ ダ ヤ 教 徒 検 挙 に 動 き 出 す 警 察 「命を守るために集団礼拝はやめるべきだ」3月28日。ここから政府の「反転攻勢」が一気に始まります。 イスラエル政府は、ブネイブラクやエルサレムで超正統派の居住区の完全封鎖に踏み切りました。 それと同時に、集団礼拝の禁止を無視し続ける超正統派の一斉検挙に乗り出したのです。 一連の取締りの結果、イスラエルは新型コロナウイルスの抑え込みに成功しつつあります。 ネタニヤフ首相は5月4日、 「パンデミックの危機はこれからも続くがイスラエルは初期段階の危機は乗り越えた」と述べて勝利宣言を行いました。 そのうえで、外出制限を解除し、国民生活の正常化に向けたロードマップを発表しました。 宗 教 に 期 待 さ れ る 役 割 と は パンデミックという人類の危機に、宗教はどんな役割を果たすべきなのでしょうか。 イスラエルの事例は、宗教が科学を無視して判断を誤れば、集団感染のリスクを招く怖さを突きつけました。 UNICEF=国連児童基金は4月7日、ユダヤ教を含む各宗教界と発表した共同声明で、こう呼びかけました。 ・各宗教は集会や儀式を行う際、各国の保健当局の指示に従い信者の健康と安全を守る。 ・清潔さを重視する宗教の教えや聖典に沿って、衛生習慣の関心を高める。 未知のウイルスの恐怖と将来の不安、そして大切な人を失う悲しみに世界が覆われる中、 宗教による「心の救済」はいつにも増して重要でしょう。 ただ、宗教にはそれに加えて、科学に寄り添い、パンデミックの収束につなげる役割も期待されていると強く実感します。 (新型コロナは“神が与えた罰”? せめぎあう科学と宗教 : NHKニュース)(ttps://www3.nhk.or.jp/news/html) 非 常 事 態 が 日 常 に な っ た と き 、 人 類 は 何 を 失 っ て し ま う の か ? プ ラ イ バ シ ー か 健 康 か 。 両者の二者択一を迫られれば、たいていの人が健康を取るだろう。 だが、そもそも、この選択肢は間違っている。 プライバシーと健康は両立できるし、そうすべきだ。 我々は全体主義的な監視体制を受け入れずとも、自身の健康を守りコロナウィルスか禍に歯止めをかけることはできる。 市 民 の エ ン パ ワ メ ン ト で あ る 。 集中監視システムと厳罰の組み合わせが、有益な方針に人々を従わせる唯一の方法ではない。 市民が科学的事実を告知され、そうした事実を伝える当局に信頼を寄せたとき、 「 ビ ッ グ ・ ブ ラ ザ ー 」 が肩越しに目を光らせなくとも、彼らはしかるべき対応をとるようになる。 充分な情報をあたえっれた市民が望ましいことを率先して実践するようになったとき、 監視状態に置かれた無知な人々と比べ、前者は遥かに能力に長け、はるかに好成績をもたらすのが通例だ。 た と え ば 、 石 鹸 を 使 用 し た 手 洗 い 。 我々からすればごく当たり前の行為だが、実はこの習慣は、科学者が石鹸で手を洗うことの重要性を発見した19世紀以降に定着した。 それ以前の時代、医師や看護婦は手洗いをせず、そのまま別の手術に取り掛かっていた。 今日では、世界の数十億人が毎日のように手洗いをしているが、それは「 石 鹸 警 察 」が怖いからではなく、「事実」を知っているからだ。 私が石鹸を使って手を洗うのは、ウイルスや細菌について聞かされており、 これらが病気の原因となることを理解しており、石鹸が病原体を取り除いてくれることを知っているからである。 ただし、人々からの遵守と強力を石鹸の手洗いレベルにまで高めるために必要なものがある。 信 頼 だ 。 科 学 へ の 信 頼 、 公 的 機 関 へ の 信 頼 、 メ デ ィ ア へ の 信 頼 が 必 要 な の だ 。 ここ数年、科学、公的機関、メディアに対する市民の信頼を故意に傷つける無責任な政治家が各国に現れている。 二つ目に挙げた重要な選択肢は、国家的な孤立を選ぶのか、それともグローバルな連携を選ぶのか、だ。 新型コロナウイルスの流行と引き起こされた経済危機はともにグローバルな問題であり、この解決には一つしかない。 グ ロ ー バ ル な 連 携 で あ る 。 新しいウイルスを克服するためには、何よりもグローバルな情報共有が必要だ。 ミラノにいるイタリア人意思が早朝に発見したことが、その日の夜にはテヘラン市民の生命を救うかもしれない。 イギリス政府が政策決定で逡巡していれば、同様のジレンマを経験済みの韓国が助言してくれるかもしれない。 だがこういったことが実現するには、グローバルな連携と信頼の精神が必要だ。 各国は進んで情報を共有し、アドバイスに謙虚に耳を傾け、受け取ったデータと知見を信頼できるようにならなければならない。 同時に、医療機器、とりわけ検査キットと人工呼吸器の増産と供給の努力をグローバル展開する必要がある。 国家間で連携して取り組めば生産ペースも早まり、救命機器の提供ももっと公平になされるのではないだろうか。 新型コロナ感染者の少ない富裕国は、感染者の多い貧困国に対し、積極的に高価な医療機器類を送り届けるべきである。 自分たちが助けを必要としたときには、他の国々の援助を信じて待てばいい。 人類は選択に迫られている。このまま分断の道を進むか、それともグローバルな連帯の道をとるのか。 分断の道を選択した場合、危機はさらに長引くにととまらず、恐らく現在の危機が吹き飛ぶほどの最悪の大破局が待ち受けるだろう。 だが、グローバルは連帯を選択すれば、 それは新型コロナウイルスだけでなく、21世紀に人類を襲う可能性のあるすべての感染流行と危機に対する勝利への道となるだろう。 (非常事態が日常≠ノなったとき、人類は何を失ってしまうのか?ユヴァル・ノア・ハラリ(歴史学者・哲学者 大学教授):COURRiER Japon 2020年06月号) 女 子 プ ロ レ ス ラ ー の 木 村 花 選 手 、 2 2 歳 で 死 去 S N S で 中 傷 さ れ て い た と 示 唆 日本の女子プロレスラー、木村花さんが23日、亡くなった。 事務所の公式サイトが発表した。22歳だった。死因は明らかにされていない。 木村さんは、米ネットフリックスで配信されているリアリティー番組「テラスハウス」の最新シリーズに出演していた 木村さんは亡くなる直前、 インターネットで誹謗中傷を受けていたことを示唆する気がかりな内容を自身のソーシャルメディアアカウントに投稿していた。 22日に投稿されたインスタグラムの写真には、 飼い猫の写真に「愛している。楽しく長生きしてね。ごめんね」とコメントが添えられていた。 *この記事に含まれる内容に影響を受けた方には、心の健康に関する情報をBBCアドバイス(英語)で提供しています。 また、日本の厚生労働省が運営する 「知ることからはじめよう みんなのメンタルヘルス総合サイト」も心の健康に関する情報や相談先を紹介しています。 (英語記事 Japanese wrestling star Hana Kimura dies aged 22) (女子プロレスラーの木村花選手、22歳で死去 SNSで中傷されていたと示唆 - BBCニュース) 米 オ バ マ 前 大 統 領 デ モ と 投 票 で 変 革 実 現 を 黒 人 男 性 死 亡 事 件 2020年6月4日 11時31分 アメリカで黒人男性が白人警察官に押さえつけられ死亡した事件を受けて、オバマ前大統領は、抗議デモだけではなく、 選挙で投票し、政治を通じて、「チェンジ=変革」を実現し、問題を解決していこうと呼びかけました。 オバマ前大統領は3日、インターネット上で開かれた集会に参加し発言しました。 この中でオバマ氏は、全米に広がっている抗議デモに白人も含めた、さまざまな人種が参加していることについて、 「アメリカを反映した、このような幅広い層によるデモは、1960年代には見られなかった。 人々の考え方が変わってきている」と述べ、 公民権運動の指導者、キング牧師ら黒人たちが人種差別の撤廃を訴えた当時に比べ、 問題への共感が人種を超えて広がっていると指摘しました。 そのうえで「投票か抗議、どちらかの選択ではない。いずれも本当の『チェンジ』の実現を目指すものだ」と述べ、 自身が大統領として、かつて掲げた「チェンジ=変革」ということばを使いながら、 抗議デモを通じて問題を提起するとともに、選挙で投票し政治を通じて問題を解決していこうと、呼びかけました。 黒人男性の死亡をきっかけに抗議デモがアメリカ各地に広がるなか、オバマ氏は声明や文章を相次いで発表し、 差別のない社会の実現などを訴えてきましたが、カメラを通じて国民に呼びかけたのは初めてです。 (米 オバマ前大統領 デモと投票で変革実現を 黒人男性死亡事件 :NHK NEWS WEB) * * * 2019年-2020年香港民主化デモは、 逃亡犯条例改正案に反対するデモとして始まり、最大約200万人の参加者(主催者発表)とする巨大なデモと発展した。 デモ参加者と警察隊の衝突は過激化し、警察は実弾発砲を含む武力行使で対応し、多くの死傷者と逮捕者が出ている。 ゴム弾を用いて意図的にデモ参加者の頭部を狙うなど、多くの警察による暴力が報告された。 また、デモ参加者に対するレイプを含む性暴力、失踪事件、建物からの落下による死亡などについて、警察の関連が疑われている。 警察官の暴力行為の原因として、警察官個人の精神病質が指摘されることがあるが、 これは、警察組織や管理職の警官が、根本的な組織的問題を是正せず、個々の警察官の資質の問題にすり替える、 単純化された言い訳だとの指摘がある 。 王立カナダ騎馬警察によるレポートによると、警察組織の構造的な問題として、以下を指摘した。 ・警察の組織内に警察風土、警察職業文化に従う同調圧力が存在する事。 ・警察内の不祥事や汚職を、見て見ぬ振りをする警察風土(Blue Code of Silence) により、違法行為を行う警察官とそれを支持する犯罪者母体が継続的に存在すること。 ・上司からの命令が絶対であるなど、強固な権威主義的な縦社会であること (より強固な権威主義である組織ほど、個人による倫理的な決断ができないという研究もある)。 ・警察組織内に内部調査などの自浄機能が欠如している事。 ニューヨーク大学教授によると、警察で働く人の中には、 徐々に社会に対して権力的な感覚を持ち、自身は法の上に立っている、という認識を持つ場合があるという。 この様な警察官の職業的人格形成は、個人の資質でなく、組織の職業文化に依存する事も指摘されている。 日本においても警察の職業文化は確認され、 法執行経験や治安維持経験が、警察官の権威主義的パーソナリティを強固にしていると報告された。 (警察の暴力 - Wikipedia) マ テ ィ ス 氏 が 非 難 − 「 米 国 を 分 断 し よ う と し て い る」 2020年6月4日 9:06 JST 更新 11:07 JST マティス前米国防長官は、白人警察官による黒人暴行死への抗議デモの鎮圧に米軍部隊の動員も辞さないとしたトランプ大統領を強い調子で非難した。 「ドナルド・トランプは私の人生で初めて、米国民を団結させようとせず、その素振りさえ見せない大統領だ。 その代わりに、彼 は 米 国 を 分 断 し よ う と し て い る 」 と批判した。 さらに 「われわれが目の当たりにしているのは、過去3年にわたるこの意図的な取り組みの結果であり、 成熟したリーダーシップ不在の結果だ。われわれは米国の市民社会に内在する力を利用し、彼抜きで団結できる」と述べた。 現職大統領を元閣僚が公然と非難するのは極めて異例。 マティス氏は2018年12月、米軍シリア撤退を巡るトランプ氏の決定に異議を唱えて国防長官を辞任した。 マティス氏の非難が持続的な政治力を持つかどうかは不明だが、 トランプ氏が自身の強みの1つとして訴えてきたことの核心部分を突くものではある。 (マティス氏がトランプ氏を非難−「米国を分断しようとしている」: - Bloomberg) * * * 人 種 差 別 は 決 し て 容 認 で き な い が 、暴 力 か ら は 何 も 得 ら れ な い 教皇フランシスコは、米国の暴動に憂慮を表され、 いかなる人種差別も決して容認できないが、同時に、暴力からは何も得られない、と呼びかけられた。 米国ミネソタ州ミネアポリスでジョージ・フロイドさんが 警官による拘束中に死亡した事件に対する抗議デモが暴動化している状況に、 私達はいかなる人種差別も決して容認することはできないが、同時に、暴力からは何も得られない、と呼びかけられた。 「親愛なる米国の兄弟姉妹の皆さん、ジョージ・フロイドさんの悲劇的な死をきっかけに、 ここ数日皆さんの国で起きている痛ましい社会的混乱を、大きな憂慮をもって見守っています。 親愛なる友の皆さん、 わたしたちはいかなる形の人種差別や排除を容認することも、それに対し目をつぶることもできません。 わたしたちは、すべての人のいのちを聖なるものとして守らなければなりません。 同時に、わたしたちは、 『この数夜の暴力は、自己破壊的かつ自虐的である。暴力からは何も得られず、失うものの方が多い』 と認めなければなりません。 ジョージ・フロイドさんと、人種差別という罪の犠牲になったすべての人々の、ご冥福を祈りたいと思います。 傷つき憔悴したご家族と友人の方々の慰めを祈りましょう。 そして、わたしたちが切望する、和解と平和のために祈りましょう。 米国と世界において平和と正義のために働くすべての人々のために、 神が皆さんと皆さんのご家族を、祝福してくださいますように。」 (教皇「人種差別は決して容認できないが、暴力からは何も得られない」 - バチカン・ニュース) 中 村 哲 さ ん 最 後 の 寄 稿 : ア フ ガ ン 近 代 化 の 彼 方 、 何 を 見 る 2019年12月8日 朝刊 我々の「緑の大地計画」(用水路を建設し、砂漠や荒野を農地に変えるプロジェクト)は、 アフガニスタン東部の中心地・ジャララバード北部農村を潤し、二〇二〇年、その最終段階に入る。 大部分がヒンズークシ山脈を源流とするクナール川流域で、村落は大小の険峻(な峡谷に散在する。辺鄙で孤立した村も少なくない。 比較的大きな半平野部は人口が多く公的事業も行われるが、小さな村は昔と変わらぬ生活を送っていることが少なくない。 こうした村は旧来の文化風習を堅持する傾向が強く、過激な宗教主義の温床ともなる。 当然、治安当局が警戒し、外国人はもちろん、政府関係者でさえも恐れて近寄らない。 ゴレークはそうした村の一つで人口約五千人、耕地面積は2百ヘクタールに満たない。周辺と交流の少ない村で、地域では特異な存在だ。 圧倒的多数のパシュトゥン民族の中にあって、唯一パシャイ族の一支族で構成され、家父長的な封建秩序の下にある。 東部の山岳民族で、同村の指導者は伝説的な英雄で、他部族にも聞こえ、同村には手を出さない。 クナール川をはさんで対岸にPMSが作った堰(せき)があり、年々の河道変化で取水困難に陥っていた。 度重なる鉄砲水にも脅かされ、耕地は荒れ放題である。この際、一挙に工事を進め、両岸の問題を解決しようとした。 最初に通されたのは村のゲストハウスで、各家長約二百名が集まって我々を歓待した。 他で見かける山の集落とさして変わらないが、貧困にもかかわらず、こざっぱりしていて、惨めな様子は少しも感ぜられなかった。 指導者は年齢八十歳、村を代表して応対した。 厳めしい偉丈夫を想像していたが、意外に小柄で人懐っこく、温厚な紳士だ。威あって猛からず、周囲の者を目配せ一つで動かす。 「水や収穫のことで、困ったことはありませんか」 「専門家の諸君にお任せします。諸君の誠実を信じます。お迎えできたことだけで、村はうれしいのです」 こんな言葉はめったに聞けない。彼らは神と人を信じることでしか、この厳しい世界を生きられないのだ。 かつて一般的であった倫理観の神髄を懐かしく聞き、対照的な都市部の民心の変化を思い浮かべていた アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、忠誠だの信義だのは時代遅れとする風潮が台頭している。 近代化と民主化はしばしば同義である。 巨大都市カブールでは、上流層の間で東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。 見たこともない交通ラッシュ、霞(かすみ)のように街路を覆う排ガス。 人権は叫ばれても、街路にうずくまる行倒れや流民たちへの温かい視線は薄れた。 泡立つカブール川の汚濁はもはや川とは言えず、両岸はプラスチックごみが堆積する。 国土を省みぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ −終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。 見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる。 (中村哲さん最後の寄稿 アフガン近代化の彼方、何を見る社会(TOKYO Web):東京新聞) 中 村 哲 さ ん 銃 撃 事 件 か ら 半 年 捜 査 難 航 か 新 た な 目 撃 証 言 も 2020年6月4日 4時03分 アフガニスタンで医師の中村哲さんが銃撃され、死亡した事件から、4日で半年です。 現地の捜査当局が、これまでに男4人を拘束して事情を聴くなどしたものの、 事件への関与を裏付ける証拠が得られなかったとして、全員を解放していたことがわかり、捜査は難航が予想されます。 この事件は去年12月4日、アフガニスタン東部のナンガルハル州で、 福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表の医師、中村哲さんが、車で移動中に何者かに銃撃され死亡したものです。 「中村さんの事件は、解決するには困難なテロ事案の1つだ」 事件解決の見通しが立っていないことを認め、捜査は難航が予想されます。 中村さんを直接銃撃した男の容姿についての新たな目撃証言も寄せられています。 中村哲さんのアフガニスタンでの功績を伝えていこうと、中村さんの活動を描いた絵本が、このほど完成しました。 絵本は、アフガニスタン東部の診療所で働く中村さんが、住民たちと苦楽をともにしながら用水路を建設し、 干上がった大地を、緑豊かな土地へと変貌させ、人々に希望を与える物語です。 絵本は1200部余りを出版し、現地の幼稚園や小学校などに無料で配布する計画です。 NGOの代表で絵本の作者は 「アフガニスタンで中村さんが力を尽くしてくれたことに、とても感謝しています。 子どもたちが将来、中村さんのような人に育つことを、心から期待しています」と話し、 絵本についても、外出制限の解除を待って、子どもたちに届けたいとしています。 (中村哲さん銃撃事件から半年 捜査難航か 新たな目撃証言も : NHK NEWS WEB ) ウ エ マ ツ 死 刑 囚 と 私 − 相 模 原 障 碍 者 施 設 殺 傷 事 件 裁 判 傍 聴 記 − 入所者19人を殺害した「相模原障碍者施設殺傷事件」から約3年8ヶ月たった3月16日、 ウエマツ被告に死刑判決が言い渡された。死者の多さから、戦後最大の大量殺人事件といわれるこの事件は何故起きたのか? 判決が出た今もなお、釈然としないその問いに対する答えを探す。 ウエマツ死刑囚。2016年7月、神奈川県相模原市の知的障碍者施設『津久井やまゆり園』で45人を殺傷、うち19人が死亡。 今年3月16日、死刑判決が下った。30日には弁護人が行った控訴を取り下げ、死刑が確定した。 法廷で「障碍者は時間とお金を奪う」と自身が起こした事件を正当化し続けたウエマツ被告は、一方で「日本は滅びる」とも主張していた。 「6月7日か9月7日、首都直下型地震が起きて横浜に原子爆弾が落ちる」というのだ。法廷で興奮気味に日本滅亡のシナリオをまくし立てた。 「どうせ日本は滅びるのだ」という思いがあったからこそ、彼はあの事件を起こしたのではないかということだ。 「終末」にしか希望を見出せないような八方塞りの状況は確かにあった。どうせみんな死ぬと思えば死刑判決も怖くない。 「 障 碍 者 を 生 か し て お く 余 裕 な ん か な い 」 今年1年8日に始まった裁判は、2月19日、結審。犠牲となった人数より少ない全16回の公判。 この事件と日本社会の空気には、大きな関係がある気がする。例えば彼は逮捕後、日本の借金を憂える発言を繰り返している。 日本の財政は破綻寸前、そんな危機的状況のなか、障碍者を生かしておく余裕なんかない、という言い分だ。 障碍者を殺害した犯人が口にすると「異常さ」が際立つその言い分はしかし、私たちの日常にも溶け込んでもいる。 そして今、新型コロナウィルス感染拡大のなかで、実際に命の選別≠ェ行われている。 事 件 の 1 年 前 頃 か ら お か し く な っ た 「私は障碍者総勢470名を抹殺することができます」 「理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです」 「今こそ革命を行い、全人類のために必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます」 これらの言葉は事件の5ヶ月前、ウエマツが衆議院議長の公邸を訪ね、土下座までして警備員に受け取ってもらった手紙だ。 この手紙がきっかけでウエマツは措置入院となるのだが、内容も、わざわざ公邸に渡しに行くという行動も常軌を逸している。 しかし、裁判が始まり、友人たちの供述調書から浮かんでくるウエマツ像は、あまりにも「普通」だった。 ちょっとヤンチャで、フットサルとバーベキューが好きな「チャライ若者」。いわゆるマイルドヤンキーといえるだろう。 高校まではバスケ少年で、大学卒業後就いた仕事を辞め、友人に紹介されたのが自宅から程近い障碍者施設「津久井やまゆり園」だった。 働き始めた当初は「障碍者はかわいい」「やりがいがある」などと友人たちに言っている。 しかし、働き始めた2年半がたつ15年頃から「障碍者はかわいそう」。ほかにも食事はドロドロで、車椅子に縛りつけられているなどなど。 この頃から「意思疎通のできない障害者を殺す」などと言うようになり、妄想じみた言動もひどくなる。 衆議院議長へ手紙を出す直前には、幼なじみに電話で以下のように言っている。 「世界に重複障碍者は○○人、そのかねを使えば戦争がなくなる。俺は施設で働いているから政府の代わりに殺せる。600人は殺せる」 「自分は選ばれた存在だから、イルミナティカードで救世主と予言されている」「成功したら名前も顔も変える」 「一生遊んで暮らす。100億円もらう。安楽死や大麻合法化などの法律を作る」 弁護人が読み上げる友人の供述調書を聞きながら、ウエマツ被告の「妄想」の深刻さに驚いた。 友人たちは一様に、事件の1年前頃からおかしくなったと語っている。 しかし、法廷で供述調書に耳を傾けるウエマツ被告は、どこにでもいる青年に見えた。思ったよりも小柄。 長く伸びた黒髪を後ろでひとつに縛り、黒いジャケットに白いワイシャツ、黒いズボンが定番のスタイルだった。 青いフリース姿のこともあった。時折、傍聴席に目をやり、顔見知りの記者に目礼する。 初公判では指を噛み切ろうとし、刑務官に取り押さえられて休廷となったものの、それ以降の法廷で被告が「暴れる」ことはなかった。 死 刑 よ り も 「 障 害 者 に な る こ と 」 を 回 避 し た か っ た が、被告人質問が始まると、彼の「妄想」は炸裂した。1月24日の第8回公判では、事件前に書いたという「新日本秩序」が解説された。 「より多くの人が幸せになるための7つの秩序」という、ウエマツ被告の望む世界観を綴ったものだ。 「安楽死」「大麻」「カジノ」「セックス」「美容」「環境」について書かれている。それらについて、ウエマツ被告はとうとうと語った。 「意思疎通のできない人は、安楽死させるべきです」 白い遮蔽板に覆われた傍聴席の右半分には遺族や被害者がいるというのに、ためらうことなく述べるのだった。 その理由については「無理心中、介護殺人、社会保障費の増大、難民問題などを引き起こすもとになっていると思うからです」。 そんな調子で、ウエマツ被告は7つのテーマに沿って解説していく。 どれもこれも、内容は稚拙で妄想を飛躍させたようなものだった。 しかし、ウエマツ被告ははたから見てもわかるほどに高揚し、メモもないのに淀みなく「7つの秩序」について語り続けた。 また、アメリカのトランプ大統領やフィリピンのドゥテルテ大統領、北朝鮮の金正恩の名を挙げ、彼らの功績を褒め称えた。 裁判初日の自傷行為や法廷でのこのような発言について、「おかしいふりをして死刑を回避したいのではないか」という声もある。 しかし、弁護団はウエマツ被告について「心神喪失で無罪、若しくは心神耗弱で減刑」と訴えていたものの、 本人は「責任能力がないものは即、死刑にすべきだと思います。自分には責任能力があります」と頑なに主張したからだ。 心神喪失で無罪となると自身が「責任能力のない精神障害者」とということになってしまう。 死刑よりも、「障害者になること」こそを回避したかったのだろう。 「 障 害 者 を 殺 害 し て い る と 思 い ま し た 」 いったい、ウエマツ被告の精神状態はどうなっているのか? 傍聴をすればするほどわからなくなった。裁判では、非常に冷静な犯行の様子も明らかになった。 前日にホームセンターで職員を拘束する結束バンドや窓を壊すハンマーを購入。 自宅から包丁5本を持ち出し、やまゆり園に侵入してからは手際よく職員を拘束。 泣き叫ぶ女性職員を連れまわし、就寝中の入所者が「しゃべれるか、しゃべれないか」を確認し、しゃべれないとわかると殺害していった。 最初は心臓を狙っていたが、骨に当たり、包丁が曲がったり折れたりするので途中から「やわらかい首」を刺した。 「犯行時、自分は何をしていると考えたか」と問われると、ウエマツ被告は言った。 「障害者を殺害していると思いました。社会の役に立ちたいと思いました」 ウ エ マ ツ 被 告 と の 面 会 。 突 然 、 私 の 目 を 見 た 1月30日、横浜拘置支所を訪れた。ウエマツ被告が「狂気」の中にいるのか、それとも「正気」なのか、会って確かめたかったからだ。 面会するのは初めてだったが、エウマツ被告に認識しているいることは知っていた。 午前9時、ウエマツ被告は青いフリース姿で面会室に現れた。 結論から言うと、実際に言葉を交わしたウエマツ被告は法廷よりもずっと「普通」だった。 礼儀正しくハキハキと話す姿は「好青年」と言ってよい。「ありがとうございます」「助かります」といちいち頭を下げる。 しかし、同席したジャーナリストが事件に触れると彼の態度は豹変した。 ―― 衆院議長への手紙で、革命という言葉を使っているが? ウエマツ「社会の常識を変えるのは革命だと思いました」 ―― 人間が生きている意味ってなんだと思う? ウエマツ「幸せになりたい、楽しみたいということだと思います」 ―― それを一方的に奪っていいと思っているのか? ウエマツ「彼らには楽しむ権利はありません」 ―― 障害者はいらないというのは間違っているのでは? ウエマツ「それこそ間違っている。不幸な人がいっぱいいるのに涎を垂らしているような人が生きているのがおかしい。反発したい気持ちはわかるけど、不幸な人がたくさんいるんだから」 そして「雨宮さんに聞きたいんですけど」と突然、私の目を見た。 後 編 : ウ エ マ ツ の 異 常 な 言 動 は S O S だ っ た の か ? 今年3月、ウエマツ被告に死刑判決が言い渡された「相模原障害者施設殺傷事件」の裁判。 この裁判を傍聴し続けた雨宮処凛氏は、裁判の合間にウエマツ被告と拘置所で面会した。 そこで被告が放った唐突すぎる言動とは? 裁判で明らかになった過去と、彼が抱えていたかもしれない葛藤とは? 「 否 定 さ れ な い 限 り 賛 同 さ れ た 」 と 受 け 取 る 癖 「雨宮さんに聞きたいんですけど、・・・ ?」ウエマツ被告は、透明なアクリル板越しに突然持論を展開し始めた。 唐突すぎる言動は、この面会に限った話ではなかった。その場にそぐわない発言は法廷でもままあった。 裁判長に「最後にひと言」と言われ、ウエマツ被告は「ヤクザはお祭り、ラブホテル、タピオカ、芸能界などさまざまな仕事をしています」 思わず椅子からずり落ちそうになったものの、本人はいたって大まじめ。 そんな姿を何度か見て、ウエマツ被告が「友人を笑わせるのが好き」と法廷で述べていたことを思い出した。 が、「笑わせていた」のではなく、「笑われていた」のではないか?「障害者を殺す」と言ったときも、友人たちは笑ったという。 そのことを彼は「賛同」と受け止めたらしいが、そう受け止めること自体、ものすごくズレている。 もしかして彼は、困った果ての苦笑いや、「何をバカなことを」という嘲笑との区別もつかなかったのではないだろうか? 裁判の中盤までのストーリーは、ウエマツ被告が「事件前年に急におかしくなった」というものだった。 友人たちの供述調書は一様に「その頃まで、障害者差別的なことなど聞いたことがない」という内容だったからだ。 しかし、2月6日の第11回公判でそれは根底から覆された。この日、被害者代理人弁護士は、ウエマツ被告にこう問うた。 「あなたは小学校のとき、『障害者はいらない』という作文を書いてますね?」ウエマツ被告は「はい」と答えた。低学年の頃だという。 いつも作文にはコメントする先生は、何もコメントしなかったという。作文を読んだ親からも何も言われなかったそうだ。 その事実を知って、私はウエマツ被告には独特の「思考の癖」があるのではないかと思い至った。 例えば衆議院議長に「障害者を殺す」という内容の手紙を出して、措置入院した際のこと。 入院した病院で、彼は医師や看護師に「重度障害者を殺したほうがいい」と主張し続けたという。彼らは首を傾げるばかり。 「重度障害者を診ている精神病棟なので、否定できなかったんだと思います。『一理あるな』と感じていただいたと思います」 この解釈は、どう考えてもおかしいと思う。しかし、彼の中には「否定されない限り賛同された」と受け取る癖があるようなのだ。 「障害者を殺す」と言って、友人たちが笑ったときも同様だ。つまり、受け取り方が著しく歪んでいる。 障 碍 者 の 軍 事 利 用 、 特 攻 隊 と ナ チ ス 、矯 正 不 妊 手 術 それは前述した「障害者はいらない」という作文について。 判決3日前の3月13日、神奈川新聞記者がウエマツ被告と面会し、その内容について尋ねると、ウエマツ被告は言ったのだ。 「戦争をするなら障害者に爆弾をつけて突っ込ませたらいいというもの、戦争に行く人が減るし、家族にとってもいいアイデアだと思った」 作文を書いたのは、小学校2、3年の頃だという。その年にして「障害者の軍事利用」を思いつき、作文に書いていたのである。 もちろん、私たちはこれまでの戦争の中で、「対戦車犬」などの形で動物が兵器として使われてきた歴史を知っている。 小学生だったウエマツ被告はそのようなものをどこかで見聞きしたのだろうか。 しかし、それを「人間」が担うなんて、どう考えてもおかしすぎると思いながらも、 この国では70数年前、「特攻隊」という形で人間を「自爆攻撃」に使ってきた歴史があるのだった。 このように、ウエマツ被告の「 お か し さ 」を 否 定 しようと思えば思うほど、 「 実 は 国 を 挙 げ て や っ て い た 」みたいなことが出てくるのもこの事件の特徴だ。 ナチスの障害者虐殺は言うまでもないが、わが国は1990年代まで障害者に対して強制不妊手術をしていたという歴史も持っている。 「 か わ い そ う 」 が 「 殺 す 」 に 飛 躍 し た 裁判でもう一つ掘り下げてほしかったのは「施設のあり方」についてだ。 事件数日後、津久井やまゆり園を訪れたが、驚いたのは「こんな人里離れた山奥にこれほど大規模な施設があるなんて」ということだった。 交通の便は悪く、辺りにコンビニさえない集落にぽつんと立った障害者施設。やまゆり園ができたのは1964年、東京オリンピックがあった年だ。 重度障害者を家族で見るしかなかった時代、入所施設ができたことによって「救われた」家族は大勢いるだろう。 しかし、それから半世紀以上。脱施設化が進み、地域移行が進んできたわけだが、やまゆり園は山奥にじっとたたずみ続けた。 施設の問題には、ウエマツ被告は差別的な考えを持つようになった経緯について、ほかの職員の言動を挙げたのだ。 入所者に命令口調で話す職員。また、暴力を振るっている者もいると耳にしたという。 職員の暴力については良くないと思ったが、「2、3年やればわかるよ」と言われたという。 それを受け、ウエマツ被告は食事を食べない入所者の鼻先を小突いたりするようになったという。 ここは、事件につながる大きなポイントだと思う。しかし、施設の問題にはこれ以上、踏み込まれなかった。 また、やまゆり園の園長はウエマツ被告の発言を受け、「そのような事実は確認できなかった」と否定している。 しかし、やまゆり園で車椅子に縛り付けられていた女性が、事件後に移った施設で別人のように変わった例もある。 判決後の会見で、園長はウエマツ被告が16年の年明けくらいから障害者を 「ヤバいですよね」「いらないですよね」と軽い感じで言うようになったと述べた。 「 こ れ か ら は 真 実 を 言 っ て い い ん だ 」 もしかしたらこの時期、彼は深い葛藤の中にいたのではないだろうか。 何しろ、障害者についてまったく知らない人間が、最重度の障害者をケアする現場に身を置いたのである。 なぜ、彼らは障碍をもって生まれ、自分はそうではないのか。命とは、人間の価値とは ―― 。 そんな根源的なことを誰かと語りたかったのではないか。 そんな葛藤は、ケア労働につきものだと思う。しかし、彼の葛藤に付き合ってくれる人間はいなかった。 そんな彼は事件前、動画サイトに自らの動画を投稿している。そのサイトでは彼の過激な発言が多くの賛同を得たようだ。 また、ウエマツ被告はウェブコメント欄にひどい書き込みもしていたのだが、差別やヘイトに満ちた他のコメントを見るうちに 「これくらいやってもいいんだ」「これがみんなの本心なんだ」と思っていったのかもしれない。 恐らく免疫がなかったゆえに、彼はネット上の悪意を真に受け、また「イルミナティカード」などの都市伝説に容易に感化された。 そんなとき、トランプ氏が大統領選に出馬し、過激な言動を繰り返す姿が連日テレビで報じられた。 その姿に、「これからは真実を言っていいんだ」と思ったという。 そうして衆議院議長に「障害者を470名を殺せる」と手紙を書いたものの、それがきっかけで措置入院となってしまった。 このことによって仕事も失う。「障害者を殺す」と言い続けたウエマツ被告からは多くの友人が去り、おそらく親からも持て余されていた。 退院後は生活保護を受けるが、措置入院という「前科」があれば仕事はなかなか見つからないだろうことを本人も自覚してはずだ。 そこで唯一、彼に希望を与えたのが、「2020年、日本は滅亡する」という予言だったのではないだろうか。 どうせすべて滅びるのだ。ならば死刑なんて怖くない。 そうして『障害者はいらない』と45名を殺傷したウエマツ被告は、『そんなお前こそいらない』と死刑を宣告された。 『世の中には存在してはいけない人間がいる』というウエマツ被告の主張を、はからずも証明してしまう判決だった。 3月31日、ウエマツ被告の死刑が確定した。彼が、『日本が滅びる』という6月まで、あと少しだ。 (植松死刑囚と私 相模原障碍者施設殺傷事件裁判傍聴記1事件前に書いた「7つの秩序」雨宮処凛:週プレ2020年05月18日号・05月25日号) 平 和 宣 言 戦争終結75年の節目を迎えようとする今日、私たちは、忌まわしい戦争の記憶を風化させない、 再び同じ過を繰り返さない、繰り返させないため、沖縄戦で得た教訓を正しく次世代に伝え、平和を希求する 「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信し、共有することを呼びかけます。・・・ 県民の平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に発信し、国際平和の創造に貢献することを目的として、 2001年に創設した沖縄平和賞の第1回受賞者であるペシャワール会の中村哲医師が、 昨年の末、アフガニスタンで凶弾に倒れるという突然の悲報がありました。 中村先生は人の幸せを「三度のご飯が食べられ、家族が一緒に穏やかに暮らせること」と説き、 現地の人々が生きるために河を引き、干からびた大地を緑に変え、武器を農具に持ち換える喜びを身をもって示されました。 私たちは、中村先生の「非暴力と無私の奉仕」に共鳴し、 その姿から人々が平和に生きることとは何かを学ばせていただきました。 しかし、依然として世界では、地域紛争やテロの脅威にさらされている国や地域があり、 貧困、飢餓、差別、人権の抑圧、環境の破壊などの構造的な暴力が横行しています。 さらに、全世界で新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、 人々の命と生活が脅かされる未曾有の事態にあり、経済活動にも甚大な影響が生じています。 この感染症は病気への恐れが不安を呼び、その不安が差別や偏見を生み出し、社会を分断させるという怖さを秘めています。 だからこそ、世界中の人々がそれぞれの立場や違いを認め合い、協力し、信頼し合うことにより、 心穏やかで真に豊かな生活を送ることができるよう国連が提唱するSDGsの推進をはじめとした人間の安全保障の実現に向け、 国際社会が一体となって取り組んでいくことが今こそ重要ではないでしょうか。 ここ平和祈念公園には、国籍や人種の別なく戦争で亡くなられた全ての方々の名前を刻む「平和の礎(いしじ)」があります。 礎の前で、刻まれた名前をなぞりながら生きていた証を感じ、いつまでも忘れないとの祈りを寄せる御遺族の姿は、 私たちの心に深々(しんしん)と染み入ってきます。 平和の広場の中央には、被爆地広島市の「平和の灯(ともしび)」と長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火と、 沖縄戦最初の米軍の上陸地である座間味村阿嘉島で採取した火を合わせた「平和の火」がともされております。 私たちは、人類史上他に類を見ない惨禍を経験されたヒロシマ・ナガサキと平和を願う心を共有し、 人類が二度と「黒い雨」や「鉄の暴風」を経験することがないよう、 心に「平和の火」をともし、尊い誓いを守り続ける決意を新たにします。 そして今こそ全人類の英知を結集して、核兵器の廃絶、戦争の放棄、 恒久平和の確立のため総力をあげてまい進しなければなりません。 此りまでぃに有てーならん戦争因に可惜命、失みそーちゃる人々ぬ魂が穏々とぅなみしぇーる如 御祈っし、 此りから未来ぬ世ねー 戦争ぬ無らん弥勒世(平和)招ち、 御万人ぬ喜くびぬ満つち溢んでぃぬなみしぇーし心底から念願っし、行ちゅる所存やいびーん。 I pray that the souls of those who lost their lives in past wars may rest in peace. I will continue to pray for peace and happiness in the future of mankind. 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全てのみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、 私たちは、戦争を風化させないための道のりを真摯に探り、我が国が非核平和国家としての矜持を持ち、 世界の人々と手を取り合い、この島が平和交流の拠点となるべく国際平和の実現に貢献する役割を果たしていくために、 全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。 2020年6月23日 : 沖縄県知事 … 空港のカウンターでリムジンを呼んでもらった。… 運転手は』晩年のデクスター・ゴードンみたいな風貌の黒人のおじさんだった。… 我々は家に着くまでずっとジャズの話をしていた。彼はニューヨークの生まれで、おそらく50代の半ばで、ジャズのファンだった … 「そう、ケニー・クラーク、バド・パウエル、デクスター・ゴードン、みんなアメリカを離れた。 アメリカ人はジャズにまったく敬意なんか払わないものな。あんた、ピアニストのバリー・ハリス知ってるか?」 「知ってる。良いピアニストだ」 「 … バリーがニューヨークを歩いていたって誰も見向きもしないよ。みんなただ絞り上げられたり、小突き回されるだけだ。 なああんた、ここの国では俺たちはみんなほんとうに 犬 のように扱われる(トリーティッド・ライク・ア・ドッグ)んだよ、オー・ヤー」 … バークレイでは暇な時間にマイルス・デイビスの自叙伝『マイルス』を読んでいた。 その中でもマイルスは、どれほど自分が白人優位社会の中で いじめられ痛めつけられてきたかを、声高にそして切々と語っていた。 自分たちがどれほど 搾 取 され、 差 別 されてきたを。 そして、マイルスやミンガスやマックス・ローチといった当時の優れたジャズ・ミュージシャンたちはみんな 人 種 差 別 と激しく闘ってきた。 闘わざるをえない状況に彼らはいた。社会システムそのものが彼らを含んでいない世界の中で、 彼らは自己を主張し、その音楽を深化させていかなくてはならなかったのだ。… でもその黒人の運転手が僕に向かって、 「なあ あんた、この国では俺たちはみんな 本 当 に 犬 の よ う に 扱われるんだよ、オー・ヤー」と静かな声で言ったとき、 マイルスの本を読んだときに感じたのとはまた違ったある種の思いが、その静けさとともに伝わってきたように思う。 声高にプロパガンダをする人はもちろん別だけど、普通の黒人はなかなか僕なんかに向かってこういうことは言わない。 たぶんいちいち言っても仕方ないし、それに短時間で間単に伝えられることでもないと思っているのだろう。 それともただ単に話したくないのかもしれない。 でもそのおじさんは僕とジャズの話をずっとしていて、その最後にふっとそれだけを呟くように口にした。 そしてまたそれっきり別の話に移ってしまった。僕が本当にジャズが好きだということがわからなかったら、 彼はそんな話はまず持ち出さなかっただろうと思う。なんとなくそういう気がする。 … (「バークレーからの帰り道」『 やがて哀しき外国語 』村上春樹・著 1997年 講談社文庫 ) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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