高田は高校卒業後、しばらくは地元でアルバイト生活を送っていたという。その後、15年ほど前に東京へ移った。

「進学しなかったし、定職にも就いていないって、お母さんは心配していました。
東京では警備員をしていると聞きましたね。そう、お母さんは誠君のことが心配で心配でたまらなかったんじゃないかしら。
以前、誠君が貧血を起こして東京で倒れたことがあったけど、お母さんは血相を変えて飛んでいったもの。」

この主婦によれば、高田は高校の頃から糖尿病を患い、身体はそれほど丈夫ではなかったという。
ちなみに高田家の玄関先に、ゴミ袋に入った大量のジュースの空き缶が積まれていたことは、近所の住人のほとんどが覚えている。

私は高田の現在の姿をありのまま伝えることを躊躇し、この主婦には「韓国・朝鮮問題の専門家をして活躍してる」とだけ話した。
事実、高田はそう自称することが少なくない。
「あら、立派になったのね。それにしてもなぜ韓国と朝鮮なのかしら。見当がつかないわねえ」と主婦は怪訝な表情を見せた。

実家のあった地域は、九州でも有数の在日コリアン集住地区に隣接している。
地元の人によると、この近くには1950年代まで「朝鮮部落」と呼ばれるバラック小屋の並ぶ一帯があったという。
その後、公営住宅の建設によって街路は整備され「混住化」も進んだが、現在でも在日コリアンが多く住む場所として知られている。
九州にただ一つある朝鮮高校も至近距離だ。

ちなみに在特会の面々が何かと攻撃対象にするソフトバンクグループ代表の孫正義も、中学生だった一時期、同じ町内に住んでいた。
孫は佐賀県の鳥栖で生まれているが、父親が北九州で商売を始めたことから、一家
で同地に引っ越している。
孫一家が住んでいた家と高田の実家は、ものの数分という距離である。この偶然には驚かされた。

出典:安田浩一著 『ネットと愛国ー在特会の「闇」を追いかけて』 (大宅壮一ノンフィクション賞受賞作)

(参照)【信者ネトウヨの生活】
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