【哲学】20世紀最大の哲学者の1人であるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは絵文字推奨派だった[05/02]
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1921年に32歳で「論理哲学論考(論考)」を発表したルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、
言語の限界について主張した人物であり、その哲学はコンピューター科学や人工知能、
認知科学などの分野にも影響を与えています。
20世紀で最も偉大な哲学者の1人であるウィトゲンシュタインは、
コンピューターのコミュニケーションが生まれる以前から顔文字の重要性について強調していました。
Philosopher Ludwig Wittgenstein invented the emoji — Quartz
https://qz.com/1261293/ludwig-wittgenstein-was-the-great-philosopher-of-the-20th-century-he-also-invented-the-emoji/
1939年にケンブリッジ大学の哲学教授となったウィトゲンシュタインは講義のテキストに
「目を閉じて薄いほほ笑みを浮かべる顔」「片方の眉毛を上げた顔」「目を開いた笑顔」といったシンプルな顔文字を記し、
その役割について「『気取り屋』や『威厳』といったことは顔によって表現できます。
顔を使うことで、形容詞を使うよりもより柔軟に、さまざまなことを描写することが可能です」と説明しています。
シューベルトの作品を聞いた時の感情的体験などは、「憂うつな」という言葉を使うよりも、
人間の顔をスケッチした方が表現しやすいというのがウィトゲンシュタインの見解です。
ニューヨーク大学の哲学者であるポール・ホーウィック教授によると、上記のようなウィトゲンシュタインの主張は、
単なる雑談ではなく、ウィトゲンシュタインの哲学に広く通じる内容であると語っています。
ウィトゲンシュタインは特に初期の研究において、
言語的コミュニケーションよりも絵によるコミュニケーションの影響を強調していました。
私たち人間は、言葉を使って自分自身に対して現実を説明しているため、
私たちの現実感は言葉を通じて作り出されるとウィトゲンシュタインは信じていました。
これはつまり、絵的な手法を使ったコミュニケーションが取られれば、
私たちは現実を言葉だけでなく絵的に表現できることになります。
顔を描くことは、言語的ではないコミュニケーションとして認識されたわけです。
ウィトゲンシュタインは1934〜1935年に行われた大学の授業で、円といくつかの線を描き、
「私たちはこれらをただのダッシュだと見なさず、
『言葉では正確に描写できない』特定の表現だと見なします」と語ったことが記録されています。
このほか、地図、建築デザイン、写実的な絵画、モデルなどが「絵的な表現方法」の例として挙げられました。
ペーチ大学のクリストフ・ニーリ教授は、ウィトゲンシュタインが「言葉では伝えられず、
絵を示すことで伝えられることがあるということは、
私たちのコミュニケーション・システムが絵の要素なしでは不完全であること」を示唆していたとつづっています。
一方で、近年のスマートフォンで用いられる絵文字とウィトゲンシュタインの絵文字の大きな違いとして、
「標準化された顔文字」が用いられるか否かという点を挙げています。
ウィトゲンシュタインが想定していたのは、意味を伝えるために各人が絵を描くという方法でのコミュニケーションでした。
自分自身で顔を描かない限りは、多様さや柔軟さが得られない、とニーリ教授は語っています。
今日の絵文字はウィトゲンシュタインが思い描いたものとニュアンスが異なりますが、
今日の絵文字の広がりようを見れば、
絵的なコミュニケーションを強調したウィトゲンシュタインの主張に間違いはなかったといえそうです。
関連ソース画像
https://i.gzn.jp/img/2018/05/02/philosopher-ludwig-wittgenstein-emoji/001.jpg
GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20180502-philosopher-ludwig-wittgenstein-emoji/ ルードヴィヒ・フォン・クリスタル・ウマント・ソンゲルカナ・ウンゲルカナ >>25あれ以降、哲学って口にするのもなんか恥ずかしいんだが。
たぶんやっすい言葉に哲学という装飾を施す輩と同類に見られたくないって感覚かも >>68
1の哲学者も顔文字がわかりやすいってことを言ってるだけじゃん >>57
言うなれば視覚的論理じゃん
ドイツ語で見てみるといいよ
「音声」が聞こえてこない 古代ギリシア人は幾何学を
インド人、アラブ人、近代西欧人は数学を発展させた。
そして日本人は漫画を発展させた。
ルートヴィヒさんは日本の漫画を見て・・・
数学や哲学が語りえぬものがここにあるとつぶやいた・・・かもね。 なんかこの人って、それっぽいフレーズ言うのがうまいだけだった気がする。その意味では詩人として評価できる。
哲学が意味ある学問でアル指標は、結局その思想から何を生み出したか。ヴィトゲンシュタインの思想ってナニも生んでないよね。 哲学とは何か?
それは、他の学問では扱われていない分野を扱う学問
つまり「その他」の学問
だから、他の学問の発展につれて、順次その守備範囲は小さくなっていった 逆だろ
最初の学問が哲学で
哲学の諸機能を細分化し外部委託する事で次第にさまざまな学問が増えていった
ニュートンの頃でさえ「自然科学」というものはなく
「自然哲学」のままであった
1831年にはじめて科学者を意味するサイエンティストという言葉が発明されたほどだ 言語ゲームがわからん奴はくだらない定義厨こじらせてる場合が多々ある
知能が低い >>21 >>28
君たちは哲学がなんなのかすら分かってないでしょ 哲学は現代社会では要求されてないし、
力も持たない。
同義反復のトートロジーか衒学趣味にすぎない。
哲学にやや近いもので必要とされるのは認知科学。 >>86
そりゃお前がバカ過ぎ
哲学で重要なのは明確な結論ではなく思索のプロセスなんだが
謂わば哲学的手法が反映されていない学問なんてあり得ないぞ >>86
広義のトートロジーならば、数学もトートロジーじゃないだろうか?
どこまでも自己循環した思考実験。 しかし不完全性定理があるから数学も究極的には開放系か? 対称性は必ず破れるので究極的には閉じた形は存在しない (^^)
↑
これで笑ってると取るか馬鹿にされてると取るか、相手によって全然違う反応になる
言語でも同じ問題はあるけど絵文字だと送り手と受け手の誤差がさらに大きくなる感じはする >>82
哲学ってそうやって根拠なくマウントとる学問だろ なんで哲学スレにバカがわくんだろうな
おしゃぶりとオムツでもしてママのおっぱいしゃぶってろ童貞 この人の哲学は基本が数学だから、数学的素養なしでは表面的な理解しか出来ない 論理学は伝統的に、そして今でも哲学の基本カテゴリーのはず。
論理学は哲学科では必修では?
伝統的な三段論法にはじまり、記号論理学の基本となるものは
哲学科の学生さんなら誰もが習うはず。
これを先鋭化させたのが分析哲学であり、
数学もまた論理学によって精密化が図られ、基礎づけられた。
数学と言語学を統合することが試みられたのだが、成功していない。 これが成功すれば、哲学的な命題は数理論理学的に精密に設計された
人工言語(計画言語)によってすべて記述されることになるだろうね。 >>55
コンピューターの血縁的な両親は、論理学・哲学 と 数学だろ。
んで、育ての親は電子工学だわなあ。
AI論・AI技術は、哲学、とくに認識論そのものだとは思うけど。 >>102
>論理学は伝統的に、そして今でも哲学の基本カテゴリーのはず。
>論理学は哲学科では必修では?
>伝統的な三段論法にはじまり、記号論理学の基本となるものは
>哲学科の学生さんなら誰もが習うはず。
おらが出た駅弁の文学部哲学科では論理学は必修ではなかっただ。
おらの専攻がヘーゲルだったから形式論理学がパーでも卒業できただ。 >>106
日本の哲学科でやってるのは
哲学じゃなく哲学文献解釈演習だから
そもそも哲学科の教授で哲学を思考できる人間が居ない
そもそも数学や論理学を前提とする哲学が
文系の学部に置かれる事自体が間違い >>109
>そもそも数学や論理学を前提とする哲学が
>文系の学部に置かれる事自体が間違い
プラトンじゃあるまいし、数学や論理学を前提とする哲学って何だよwwwww
逆だよ、数学や論理学で常識とされていることを批判・吟味するのが哲学の仕事だ。
その意味で、逆に数学や論理学が哲学を前提としているのが実態。
哲学という土台の上に立っている建物が、数学や論理学だ。 数学や論理学の素養も無い奴が
何の批判吟味だよ
古いんだよ 大金持ちだから思索にふける時間をもてたんだよね
羨ましいは >>111
>数学や論理学の素養も無い奴が
論理で対抗できなくなると個人攻撃ですか。随分と論理的な対応ですね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています