【歴史】「堺の鉄砲は江戸後期に衰退した」は的外れな通説? 幕末も大量受注 1万点超の古文書を精査[03/03]

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1しじみ ★2018/03/05(月) 05:42:34.31ID:CAP_USER
戦国から江戸時代にかけて鉄砲を多く生産した堺で、
大規模な戦争がなかった江戸時代後期でも、盛んに鉄砲が作られていたことが、
堺市にある鉄砲鍛冶屋敷で見つかった史料で分かった。
「平和が続いた江戸時代中期以降、堺の鉄砲産業は斜陽化した」という長年の通説を覆すことになり、
堺市の担当者は「外国からの船に備え、海岸線の警備に使ったのではないか」と分析している。

 堺市と関西大が、江戸時代に建てられ、
現存する最古の鉄砲の生産現場が残る鉄砲鍛冶屋敷
「井上関右衛門(せきえもん)家」(堺市堺区北旅籠(はたご)町西)での共同調査を実施。
この中で、17世紀後半から幕末にかけて鉄砲の受注などに関する古文書約1万1700点を精査した。
それによると、大名や旗本からの鉄砲の新調の注文は、宝暦2(1752)年は約30丁だったが、
その後注文量は増加し、幕末の元治元(1864)年には約230丁に増えたことが確認された。

 さらに古文書のうち、「諸家様方御出入先名前帳(しょけさまがたおでいりさきなまえちょう)」には、
天保13(1842)年の堺の鉄砲の取引状況が記載されていた。堺全体で239の大名・旗本から受注があり、
このうち井上家が61を占めていたという。

 調査を行った関西大の藪田貫(ゆたか)名誉教授(日本近世史)は
「戦はなくても、参勤交代の際に武士は銃を持つなどの用途はあり、
新型の銃は次々と開発されたため注文が増えたのでは」と指摘した。

 井上家当主の井上修一さん(74)は「こんなに貴重な資料が出てくるとは思わなかったので、びっくりしている。
身を引き締めて後世に伝える努力をしていきたい」と話している。

 井上家ではこのほか、当時の堺の様子などを記した古文書も見つかっており、堺市や関西大はさらに調査を進める。

 


 鉄砲と堺 戦国時代にポルトガルから種子島に伝来後、堺に伝えられ、鉄砲の一大産地となった。
港があり、古くから優れた技術者が多かったことなどが背景にあるとされる。
井上家は承応2(1653)年に初代が関右衛門を名乗り、鉄砲鍛冶に。
伊予・大洲(おおず)藩からの受注などで急成長し、江戸時代後期には全国有数の鉄砲生産量を誇るようになった。

画像:井上関右衛門家から見つかった図入りの鉄砲の注文書(堺市提供)
http://www.sankei.com/images/news/180303/wst1803030034-p1.jpg

産経ニュース
http://www.sankei.com/west/news/180303/wst1803030034-n1.html

2名無しのひみつ2018/03/05(月) 06:35:17.41ID:0OzUaysd
相対的には増えてるんだろうが、年230丁って大量なん?
そも大洲藩は6万石程度でしょ、流石にそこの受注程度で急成長言われても

3名無しのひみつ2018/03/05(月) 06:59:36.93ID:LhvO42lE
どこぞの半島から持ち込まれる自動車よりよっぽど売れてるじゃないか

4名無しのひみつ2018/03/05(月) 08:34:33.87ID:BruexE1F
輸入した外国の銃とくらべて
実用的な性能を備えていたのかが知りたい

5名無しのひみつ2018/03/05(月) 08:41:55.07ID:ZzrcNu/N
>>4
その後のライフル銃国産に、境の火縄銃職人は関与できたのかねえ?

6名無しのひみつ2018/03/05(月) 08:55:27.74ID:LX9VwteJ
大型船製造規制があるくらいだから
当然銃の改良も規制されてたと思うんだけど

7名無しのひみつ2018/03/05(月) 12:31:53.51ID:OGuM+RUG
>>2
6万石じゃ饅頭も作れんしな

8名無しのひみつ2018/03/05(月) 12:50:51.08ID:BsgcCxgq
大規模な戦争がなかった江戸時代後期でも、盛んに鉄砲が作られていたことが、
   ↑
歴史泥棒とのイクサがあるが、肝心なことは闇かよ

9名無しのひみつ2018/03/05(月) 13:43:31.95ID:V55eycix
>>6
御新規禁止ってので、改良とか全部禁止

10名無しのひみつ2018/03/05(月) 20:21:04.68ID:3d7cNXy2
俺の水鉄砲はますます順調ですわ

11名無しのひみつ2018/03/05(月) 20:42:51.07ID:akvjrVwo
>>7
うむい、うますぎる

12名無しのひみつ2018/03/07(水) 20:56:49.43ID:M4TirYOZ
歴史は碌に根拠もないまま通説になってることが多いな
江戸末期なら文書もかなり残ってるだろうに調べられてなかったんだね

13名無しのひみつ2018/03/17(土) 08:53:21.04ID:L3ScV5Ig
今は廃れに廃れてるからどうでも良い。

14名無しのひみつ2018/03/17(土) 11:45:48.03ID:JKnwGIwV
江戸時代の農村には害獣駆除のため火縄銃が農家数軒に1丁ぐらいで存在し(大きな農家ならほぼ完備)
武士の持っていた火縄銃より多かったなんて江戸時代の農業かじった人ならだいたい知ってる

15名無しのひみつ2018/03/17(土) 11:52:19.83ID:JKnwGIwV
農村に火縄銃は必須だったので全国各地に小規模な鉄砲鍛冶がいた
農村の鉄砲が軍の払い下げのライフル銃などに変わって仕事がなくなった時の転職先になったのが
太平洋戦争のちょっと前に日本の工業輸出品にもなってた自転車

16名無しのひみつ2018/03/17(土) 12:11:40.37ID:JKnwGIwV
火縄銃(マッチロック)
・前から火薬と弾を入れるので弾の入れ直しに20秒ぐらいかかる
・弾が安定して飛ばないので命中率が酷い(万力で固定して50m先を数発撃つと着弾が平気で90cmぐらいずれる)
・火縄が消えないよう、くるくる回さなければならないため(火縄の火に風をあてる)他の射手との間にある程度の距離が必要

フリントロック
・相変わらず火薬と弾は前から入れる
・火縄の代わりに火打ち石で火をつける。射撃の手間が少し減った
・火打ち石が接触する度に銃が揺れるので命中率はマッチロックよりちょっと悪い
・火縄を振り回さなくてもよくなったので密集して撃てるようになった

パーカッション
・火打ち石の変わりに反応性の高い薬品火薬をハンマーで叩いて点火するようになった。さらに射撃の手間が減った

19世紀も前半の前半ぐらいまでは欧州でも銃はこのくらいの進化しかしてなかった
銃本体はほとんど変わらず、発射装置関連が変わるだけなので火縄銃をフリントロックやパーカッションにするのは
さほど難しいことではなく、幕末も近代化の遅れた藩では射撃装置だけ改造された種子島が主力だった

17ニュースソース検討中@自治議論スレ2018/05/23(水) 21:48:57.98ID:y160kOwe
☆尊王攘夷って不可思議?3(西郷どん時代?)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1527075550/

尊王攘夷ってそもそも何なの?
幕末に何でこんな思想が吹き荒れたの
今でも一部の日本人の心の底に潜んでるの?

18ニュースソース検討中@自治議論スレ2018/05/24(木) 04:17:03.10ID:qaGJX/8j
 


堺の銃って、どこまで行ったの?

弾の後ろ込めで撃鉄式とか、ライフルとか、出来てたの?
もちろんやっきょう式の弾も製造できる必要があるが。


 

19ニュースソース検討中@自治議論スレ2018/05/24(木) 04:24:30.27ID:o8M02+ph
>>16
ホイールロック というのが間にあったかなw

発射間隔が短くなるのが発火機構の方の進歩になるが
ライフリングに弾の後ろの殻で食い込ませる機構は1850年代、ペリーが来る2年前だもんだあ

そして南北戦争あたりだとそれらが混在して使われている
連発銃も弾倉に弾丸が上下に並んだものになる以前は、弾丸が前後に並んだものもあったが
弾丸が前の弾丸の薬きょうの点火機構部をつついて暴発したり散々だった模様

この前、フルメタルジャケットの教官役を演じたことで知られる実際の米軍教官の
リー・アーメイさんが亡くなったけど、ディスカバリーチャンネルで上記のような銃を紹介する
番組をやってたなあ

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