【第一次世界大戦】大戦の遺品 終結から100年 「英国軍兵士のたばこ缶」「ロシアのイコン」「戦闘で片腕を失った祖父の写真」[11/08]

1SQNY ★2018/11/08(木) 15:38:09.53ID:CAP_USER
・第1次世界大戦の遺品、5家族が語る思い出 終結から100年

【11月8日 AFP】英国軍兵士のたばこ缶、ロシアのイコン(聖画像)、戦闘で片腕を失った祖父の写真──第1次世界大戦(World War I)で戦った人々の子孫が大事にとっている家族の思い出の品々だ。

 AFPは第1次世界大戦から100年となる11月11日を前に、戦闘に参加した人の子孫5家族に、形見の品や第1次世界にまつわる思い出について聞いた。

■たばこ缶

 メラニー・ヘンウッド(Melanie Henwood)さんの曽祖父イノック・デービス(Enoch Davis)さんの所有していた真ちゅう製のたばこ缶には、かつてはたばこと鉛筆が入れられていた。

 デービスさんは1871年、イングランド中部スタフォードシャー(Staffordshire)で生まれ、第1次大戦中は英陸軍武器隊に所属していた。

 たばこ缶には、当時の国王ジョージ5世(King George V)の娘メアリー王女(Princess Mary)からのメッセージ「新年が、勝利の年になることを祈って」が添えられていた。これと同じようなたばこ缶は、1914年のクリスマスに英国軍兵士全員に配られた。

「毎年クリスマスにこのたばこ缶を開けて、曽祖父もこうやって毎年缶を空けたのだろうと思いを巡らす。家族のつながりを実感できる」と、ヘンウッドさんは語った。

■オーストリアの版画

 オーストリア南部ケルンテン州(Carinthia)はオーストリア・ハンガリー帝国の一部だったが、第1次世界大戦を機に行われた住民投票でオーストリアとなることを選んだ。このことが住民の人生を大きく変えた。

 カルメン・クスター(Carmen Kuster)さんは子どもの頃、スロベニアとの国境に近いアルプスの丘陵地帯にあるガリツィア(Gallizien)村に住んでいた。この地域がどの国に組み込まれるか決める住民投票が行われた時、「すべての学校や大学に張り出された」投票を呼び掛ける版画が、何よりも目立っていたことを今でも覚えている。

 住民投票の結果、59%の賛成でオーストリアに残ることが決まった。クスターさんの曽祖父も、熱心な残留派だった。「(住民投票が行われた)10月10日は、ケルンテンの祝日となっていて、今でもみんなで祝っている」と、クスターさんは説明した。

■ロシアのイコンと旗

 オリガ・ホロシロバ(Olga Khoroshilova)さんの家族は、第1次世界大戦時の思い出の品であるイコンと軍旗をなんとか守り抜いた。ロシア革命後、ロシア帝国時代の品を持っているのは危険なことだった。

 ホロシロバさんのアパートの壁には、1914〜18年に第1次世界大戦で戦った家族の写真があり、その横には北部戦線で戦ったパルチザン特別部隊の旗の一部が飾られている。この部隊はコロシロバさんの大叔父レオニード・プーニン(Leonid Punin)さんが編成した部隊だった。

「1917年の十月革命後、部隊が解散すると、隊員たちは1枚の旗を分け合った。祖父は旗の中心部分を分けてもらった」とオリガさんは言う。

(画像)
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>>2

2018年11月8日 11:17 AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3194614?act=all

2SQNY ★2018/11/08(木) 15:38:27.40ID:CAP_USER
■祖父の左腕

 ヨアヒム・モーア(Joachim Mohr)さん(56)の祖父は、第1次大戦中にフランスのベルダン(Verdun)近郊で爆発した手りゅう弾によって、左腕の肘から下を失った。子どもの頃、大好きな祖父に腕がないことに「興味をかき立てられると同時に怖かった」と言う。

「5歳か6歳だった頃、祖父は左腕を操り人形のように動かして楽しませてくれた」。1978年、モーアさんが16歳になろうとしていた時、祖父が亡くなった。その時になって初めて、祖父が前線で経験した恐怖を書き留めていたことを知った。

「ノートを読むと、戦争が恐ろしいものだということか分かる」と、モーアさんは語った。

 片腕を亡くし、学歴もなかった祖父のマクシミリアンさんは第1次大戦後、コンシェルジュとして働き、低賃金ながらも5人の子どもを育て上げた。

■ベトナムの家族写真

 ベトナムの若き修理工だったダン・バン・コン(Dang Van Con)さんは、第1次世界大戦中、フランスの植民地だったインドシナから徴兵された何万人ものうちの一人だった。

 7人の孫たちに残されたコンさんの思い出の品は、切手ほどの大きさの写真1枚だけだった。1954年にベトナム独立同盟(ベトミン)がフランスを追い出すと、コンさん家族はコンさんがフランスに徴兵された経験があることから、差別を受けた。

 ベトナムは当時、革命指導者ホー・チ・ミン(Ho Chi Minh)がトップについており、フランス植民地時代とのつながりは死を意味していた。

 このため、家族はコンさんの本、手紙、軍服、写真をすべて処分した。ただ、1953年にいとこの結婚式に出席した時のコンさんの白黒写真だけは取って置いた。

「まるで文化大革命のようだった。フランスと関係のあるものはすべて燃やさなければならなかった」と、75歳になるコンさんの年長の孫カオ・バン・ザン(Cao Van Dzan)さんは、ハノイのコンさん家族の暮す家でAFPの取材に応えた。

 コンさんは、ハノイ近郊の中流階級出身の熟練した修理工だったが、自宅に戻った時にはグエン朝の爵位を授けられていた。これによりコンさん家族の社会的地位が高まった。

 だが、ザンさんは、家族の記念の品を破棄しなければいけなかったのは残念だが、祖父が一生懸命働いてくれたおかげで、子孫である自分たちが海外で勉強し、働くことができたと指摘する。

「祖父を誇りに思う」とザンさんは言う。「祖父がフランスに行ったおかげで、その子どもや孫たちが文化的な生活を送れた」 (c)AFP

3七つの海の名無しさん2018/11/08(木) 15:59:15.85ID:CM42gPgI
日本のマスコミは言いたがらないが、日本は第一次世界大戦の戦勝国
ドイツとは違う

4七つの海の名無しさん2018/11/10(土) 23:36:00.10ID:j1zdBB1S
年末の第9合唱、かな

5七つの海の名無しさん2018/11/12(月) 00:35:39.36ID:sSLRTJdj

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