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ユニクロ 潜入一年
『ユニクロ帝国の光と影』
ジャーナリスト横田増生の渾身ルポ
ユニクロは私の著書を名誉毀損として二億二千万円の損害賠償を求める
裁判を起こした。私は勝訴したが、柳井社長はその後インタビューで
「悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。うちの
会社で働いてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたい」
と語った。ならば実際に働きながら取材しよう。以後八百時間を超える
労働から浮かび上がったのは、サービス残業と人手不足の実態だ。
十一月二十三日からの"ブラックフライデー"。「奴隷の仕事だよ!」
「心が折れる」今日も新宿ビックロの職場では怒声が飛び交う-----。
ファーストリテイリング社長兼会長の柳井氏
1〜3にユニクロが入る「ビックロ」
横田氏の著書が名誉毀損裁判に
低価格を打ち出す感謝祭のチラシ 十一月二十七日日曜日、午後二時前に出勤すると、休憩室で女性が長机の一角に
突っ伏しているのが目に入った。三階のレジ部門を担当する準社員の女性だ。
明らかに具合が悪そうだ。
「大丈夫ですか」と声をかけると、「ううん」という肯定ともつかない一言が
返ってきた。二十三日の感謝祭初日には、高いテンションで売り場を仕切っていた
彼女の姿とは一八○度違っていた。結局、彼女は早退した。
毎年恒例のユニクロ感謝祭は、この日から未体験ゾーンに突入していた。昨年は
四日だった感謝祭が七日に延び、日曜日は五日目にあたっていた。
毎年十一月下旬に開かれる創業感謝祭は、ユニクロにとって、年末商戦と並ぶ重要な
イベントだ。ユニクロは、ほかのアパレル企業と異なり、十一月と十二月で年間の
利益の半分を稼ぐといわれている。
感謝祭の重要性は、ユニクロを運営するファーストリテイリングのトップ・柳井正社長の
叱咤激励からもわかる。社内で回覧される部長会議ニュースでも、「感謝祭が勝負であり、
そこで業績が決まる」(十一月二十一日付)とし、本部の社員は店舗に手伝いに行くよう指令を
出している。
昨年の感謝祭で、ユニクロは惨敗を喫した。値上げ路線が失敗したのだ。今年は「プライス
リーダーシップ」つまり、低価格路線に回帰したユニクロにとって、感謝祭は絶対に負けられ
ない戦いである。そのため日程を七日間に延ばした。また、今回の感謝祭は、「ブラック
フライデー」を意識したものともメディアで報じられた。アメリカでは、十一月の感謝祭(第四
木曜日)翌日の金曜日には、小売店が大幅に値引きしたセールを実施する。客が押し寄せ、店が
黒字になることから、ブラックの名前を冠するが、このセールを日本でも広げたいというのだ。
昨年十月からユニクロで働き始めた私にとって、秋の感謝祭は二度目となる。期間が七日間と
聞いた時、最初に頭に浮かんだのは、果たして現場が持つのだろうか、だった。 1)TPP法案と年金削減法案の採決強行日とASKA逮捕日が重なって、
本当に大事なTPP問題と年金削減が報道されにくくなっていたので
「自民に都合が悪い時に覚醒剤で逮捕者が出る法則」が一部で囁かれている。
ASKAの逮捕が、政治操作された可能性を排除できない。
2)家宅捜索でASKA宅やホテル(作業場)で覚醒剤や吸引具は見つかっていない
また、警察は逮捕当日のうちに行うべき家宅捜索を行っていない。
仲間や家族に証拠隠滅されるかもしれない時間を一晩も与えているのは不自然だ。
警察はブツがないのを知っていた、のでは?と考えられても致し方ない。
3)警察は現場(本人の目の前)で一次スクリーニングの官能基検査をしていない。
精密検査になる科学捜査研究所の検査は、密室であり、政治的に 操作可能。
4)逮捕現場では尿が少なく、一次検査が出来なかったとと言うが、拘留時に改めて
尿採取して本人の目の前で簡易検査できるはずだし、毛髪検査もできるはずだが、
その結果が報道されていない。
5)信頼度100%と報道されている科学捜査研究所の検査も
GC・HPLC/MSの標準サンプルのコンタミ(混入)があれば偽陽性となる。
100%確実とは言えない、しかも密室の検査なので、政治的に データ捏造が容易である
と言う事から、100%確実とは言えないのに、逮捕に踏み切っている。
6)ダイエット目的のサプリメントの中には、アンファタミン類を含むものがある。
飛鳥はサプリは飲んでいた、と言っている。この場合、サプリを流通させた行政の責任。 7)ASKA容疑者は「盗聴国家・日本」と題する著書を執筆中だった。
盗聴は公安警察のお家藝なので、警察犯罪を社会問題化しようとしていたと言える。
ASKA容疑者は一度逮捕されていたとはいえ、社会的影響力は絶大なので
警察としては困る。警察は手段を選ばずASKA容疑者を潰す必要性に迫られていたと言う動機が考えられる。
8)ASKA容疑者は再逮捕前後で一貫して事実無根と主張しており
警察による逮捕容疑を認めていない。
9)「自ら通報し駆けつけた時点でそれ以外の確証を掴んでる」と言うが、
密室で行われた尿検査以外は何も確証がない。「訳のわからない言動」と言うのは
主観的で客観性がない。
10)マスコミ報道で警察は、盗撮・盗聴問題を「訳のわからない主張」の一言で
切り捨てており、警察による集団ストーカー問題が社会問題化されるのを極度に
忌避している情報操作が行われている疑いの強い報道であった。
11)ミネヤ屋テレビ生中継での、ASKA容疑者とミネヤとの電話トークの内容から見る限り、
正常な会話が出来ている。支離滅裂な発言や取り乱し、感情の平坦化はなかった。
正常な精神状態であった、と一般人には判断できる事が公開された。 12)ASKA容疑者は薬物犯罪で執行猶予中であり、警察による監視を受けるべき
立場だった。その「警察による監視」の中で盗撮・盗聴が行われる事は、十分
あり得る事だ。警察は集団ストーカー犯罪のプロである。
13)今回、科学捜査研究所が精密分析に使った時間が、僅か二日と短すぎる。
通常は1週間はかかるので、手抜き検査、若しくは、データ捏造が疑われる。
14)ASKAを逮捕してから送検まで僅か二日と言うのも短すぎる。
通常は拘留期限の23日かけて証拠固めをする。その作業を放棄している
15)いるはずのない証人や、存在するはずのない物的証拠を次々と「発見」していった
大阪府警堺南署で起こった「警察官ネコババ事件」の前例がある。組織防衛の為
警察が冤罪を作った前科がある。 それが形を変えて再発したのでは? 「絶対的に人手が足りない」
私が現在働くユニクロの超大型店「ビックロ」では、十一月の売上目標の三分の一を
七日間で稼がなければならない。この数字は、閑散期の一か月分の売上に近い。
その分、従業員には負担がかかる。社員や準社員では、午前九時から午後十一時半まで
という勤務が、五日連続、七日連続という人も少なかった。
気弱な男性の準社員は、五日連続の勤務になって、こうこぼした。
「勝手にシフトが決められたんです。嫌だとは思っているけど、どうせ言っても変えて
もらえませんから」
感謝祭の最初から五日連続で出勤した男子大学生も、「おかげで大学の授業に出れません
でしたよ」と嘆いていた。
私の出勤日は火曜、土曜、日曜。感謝祭期間に出勤するのは、本来なら三日のはずだった。
しかし、二週間前、社員に呼び止められて、懇願された。
「感謝祭は、絶対的に人手が足りないんです。このままでは、正社員や準社員はほぼ毎日、
十二時間近く働くことになります。心が弱い子だと心が折れてしまうんです。少しでも出勤
協力してください」
社員の顔は悲壮感に満ちていた。他の社員なら断ったかもしれない。ただ、その社員は、
アルバイトにも丁寧に接し、言葉を荒げることもない人格者だった。本当に困っている
様子に思わず了解し、あと二日、つまり七日中五日出勤することになった。ただ、五十歳を
過ぎた体に感謝祭勤務は厳しい。決まった後に激しい後悔の念に襲われた。
しかし、社員の要請をきっぱりと断るアルバイトもいた。中国からの留学生の二十代の
男性は、感謝祭中の木曜日の夜のピーク時、女性社員から「延びれる?」と聞かれ、「いいえ」
ときっぱり断っていた。「延びれる?」とは勤務を延長できるかという意味で、店ではよく飛び交う。
その時間、レジ列はその日一番長くなっていた。留学生の返事に、社員は日本語がうまく通じなかった
のかと思ったのか、「この後、少しだけ残業できないの?」と言い換えたが、彼の答えに変わりはなかった。
その割り切り方は、羨ましいほど潔く見えた。
感謝祭が続くにつれ、店の雰囲気は尖っていった。 木曜日、午後十一時半の退勤時間を迎え、帰途につこうとした時のこと。男子大学生が思い詰めた表情で夜の
担当者に直訴していた。「ボクこんなこと言うのは、おこがましいと思うんですけれど、今のシフト体制は前提が
おかしいと思うんです。(夜)十時の閉店から十一時三十分までで、全部の服を畳み終わっているなんて、どう
考えても無理があると思うんです」
アルバイトの彼も、勤務の延長を余儀なくされている様子だった。
一方、社員たちも疲労の色を濃くしていた。アルバイトや派遣きつく当たる場面も目につくようになった。ある男性
社員はイラついた様子で、男性アルバイトを「そんなスピードじゃ、間に合わないんだよ!」と周りに聞こえる
ような大声で叱責していた。
別の男性社員も、派遣で来た中国人の女性に、「その作業何分で終わるの」「ちゃんと俺の言ったこと分かってる?
いや分かってないね」となじるような口調で言い放った。
作業量が増えるとミスも増える。日曜日の閉店後には、砕け散ったガラスが散乱していた。マネキンの足元に置く
商品名や値段の書かれた紙を入れるガラスケースが粉々に壊れていたのだ。荷受けといって毎日、トラックで店舗に
運ばれてくる段ボールを、各階ごとに仕分けて該当の場所に、台車で運ぶ作業がある。荷受けの台車がぶつかり、
ガラスが砕け散ったのである。
荷受けは、一台の台車に四、五個の段ボールを載せて運ぶ。私は、潜入取材でヤマト運輸で働いた経験があるが、
それと同じくらい過酷で集中力を要する仕事だった。 一瞬も途切れないレジの行列
私も一週間前に荷受けを担当した。感謝祭に向けて、数百個の段ボールが送り込まれていた
時期だ。その翌日、閉店後にジョガーパンツを畳んでいる私に、男性準社員が声をかけてきた。
私が、前日に荷受けを担当していたのを見ていたのか、彼はこう言った。
「荷受け大変ですよね」
「今日は荷受けじゃないですよ」
「いやいや、荷受けをやること自体がさ」
「いい運動と思ってやっています」
「ホントに?荷受けはいい運動なんかじゃないよ。奴隷の仕事だよ。奴隷の!」
不幸中の幸いと言うべきか、私は感謝祭の間、ほとんどの時間がレジ作業だった。それでも、
閉店時間まで、レジ列が途切れることは一瞬もない。
十二台が稼働するレジでは、常に「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」とユニクロで
言う「活気出し」やレジ作業の音、空いたレジに誘導する係員の大声が重なり合って、眼の前に
いる客と話をするのに大声を出さなくてはいけないほどのうるささだ。
一人の客にかける時間は九十秒が目安とされ、レジ内は、ほとんど戦場のような騒々しさを呈する。
レジ仲間の間では「レジの所だけ、空気が薄いよね」、「ほんと、酸素ボンベが必要なぐらい」という
会話が交わされるほどだ。ほとんど動かない立ち作業にも関わらず、じっとり汗をかくほどにレジの中は
暑い。いったんレジに入ると、次の休憩時間がくるまでの三、四時間、ひたすらレジ作業に忙殺されるのだ。
一時間、二時間と時間がたつにつれ、肩が棒でも入ったようにこわばり、頭の後ろがジンジンしびれてくる。
それでも、最後には、「本日はユニクロの感謝祭にお越しいただき、ありがとうございました」と、
オリジナルの一言を付け加えて笑顔で送り出した。 「知識労働者たれ」という柳井イズムが私にも浸透してきたようだ。柳井社長はこうも言っている。
「今日やる仕事を今日やるのは作業。明日やる仕事を今日やるのが仕事である」
そういえば、感謝祭が始まる前、私は社員にこんな提案をした。
免税レジを案内する英語の案内板を作ってはどうか。
ビックロでは、免税専用のレジが通常のレジとは別にある。
外国人観光客が、長いレジ列の先頭までたどり着いて、初めて別の免税専用のレジに並ぶように告げられ揉める
トラブルが毎日のように起こっていた。そのたびに、英語が話せる私は、謝罪と説明に駆り出されていた。客が
殺到する感謝祭で、同じトラブルが続出すれば悲惨なことになる。
レジ担当の女性社員に英語の表示があった方がいいのではないか、と提案し、簡単な英文例を書いて渡した。
中国語と韓国語もつけて掲示するだけで、一日で百人単位の観光客が迷わず、免税専用のレジ列に直行すること
ができる。
まさしく柳井イズムの実践と思っていたが、なぜか採用されず、代わりに「こちらは免税専用レジです」という
日本語の表示が、張り出してあっただけ。おかげで、感謝祭中も、免税対象のお客は、いつもより長い列に並んだ
後で、免税は別のレジであることが告げられていた。
私にとって、ユニクロに君臨する柳井社長はまさに殿上人である。
私は<パートナー1=PN1>。アルバイトの一番下の職階だ。柳井社長は<K-4>。パートナーの上にJ、S、M、Kがあり、
さらに数字で細かくランクがつけられている。私と柳井社長は、職階が二十以上離れているのだ。
私がユニクロで働き始めてから一年以上がたった。労働時間は八百時間を超えた。最初は千葉市内の大型店、次は
豊洲の標準店、そしてこの十月から新宿のビックロで働いている。 名字を変えてユニクロで働く
この間、店舗で着用するため、社販で買ったユニクロの商品の購入金額は十万円を超えた。
当初は、アルバイトの時だけ着るつもりであったが、いつもユニクロ商品を着ていることで
消費者としての目を養うことができるかもしれないと考え直し、一年間、ユニクロの商品を
着続けてきた。
毎朝、ユニクロ関連のニュースをチェックし、新聞や雑誌記事はスクラップする。店で働いて
いない日は、ユニクロのことを聞かせてくれる人を探して取材を続けた。私にとってはユニク
ロに捧げた一年となった。
これまでにも、アマゾン・ドット・コムやヤマト運輸など複数の企業への潜入を行ってきたが、
一年にわたる長期の取材は初めてのことだ。潜入取材という手法は、欧米では珍しくない。
イギリスのBBCは、記者が警察やアップルの関連企業に実際に勤務し、その模様を撮影して放送
している。
私がユニクロに潜入取材をしようと思ったのには理由がある。
私は二○一一年に『ユニクロ帝国の光と影』という本を出版した。しかし、ユニクロが同書を名誉
毀損として、版元の文藝春秋に対して二億二千万円の損害賠償を求める裁判を起こした。
裁判は一審、二審での被告、つまり文藝春秋の勝訴を経て、最高裁でユニクロの上告が棄却され、
文春の勝訴が決定したのが二○一四年末のこと。
ユニクロ側が問題としたのは、国内の店舗の店長の長時間労働と、中国の委託工場での長時間労働。
そのいずれも名誉毀損にあたるとした。しかし、裁判所はユニクロの訴えを退けた。
ただ同書におけるユニクロの労働問題はほんの一部でしかなかった。最大の柱は、ユニクロが、
どのようにして町の洋服屋から、日本の衣料品産業の六・五%のシェアを握るようになり、さらには
海外への進出を果たして、ZARAやH&Mと伍するような国際的なアパレル企業となったのか、という点にあった。
その延長線上として、ユニクロが今後、日本発の国際企業としてどのように進化、あるいは壁にぶつかるのか。
また、国内のデフレ経済やグローバル化に、日本を代表する経営者といわれる柳井社長は、どのように向き合っていくのか。
私は同社を定点観測したいと考えていた。 裁判が終わると私はユニクロ側に、まずは裁判中に出入り禁止となっていた決算発表に参加させてもらえるように
交渉を始めた。同社が二○一五年四月に開く中間決算会見に参加することで話がまとまったように思えた。しかし、
決算会場へ向かう途中、私の携帯電話が鳴った。ユニクロの広報部長の古川啓滋氏はこう告げた。
「柳井から、横田さんの決算会見への参加をお断りするようにとの伝言をあずかっています」
理由は、記者会見当日に発売となった週刊文春に私が書いた記事「ユニクロ請負工場 カンボジアでも"ブラック"告発」だった
NPO法人の記者会見を報じた記事のどこかに、事実確認があったのかと尋ねると、間違いはなかったという。
さらに、他の新聞も同じ会見を記事にしていることを指摘し、そうした新聞社の記者も会見に参加できないのかと問えば、
そうではないとの返事だった。
決算会見に定期的に参加することは、株式公開企業の動向を追ううえで欠かせない。しかし、オープンの会見さえも拒否される
となるなら、通常の取材などは望むべくもない。
会見拒否と相前後して、柳井社長は雑誌「プレジデント」(二○一五年三月二日号)で、マンガ家の弘兼憲史氏の取材に応じていた。
弘兼氏からの、巷にはユニクロに対してブラック企業だとの批判があるという質問に対して、柳井社長はこう答えた。
<悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。会社見学をしてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたいですね>
ならば、実際に店で働きながら取材しよう、と考えたのだ。
私は、まず法律に則って名字を変え、「横田増生」をペンネームとした。
二○一五年十月、私は千葉市内のイオンモールにある大型店のアルバイトに応募した。同店のアルバイトを含めた従業員は八十人前後。
自宅から通いやすいのが、魅力的だった。
最大の難関は面接である。五十代の男性アルバイトというのは、アパレル企業の接客業としては、相当年齢が高い。アルバイトは店舗
近隣の大学生が多数を占め、社員も二十代、三十代が中心だった。店長は私より二十歳若い三十歳という。私は髪を入念に染め、若者
向けのメガネをかけ、小ざっぱりしたカジュアルウエアに身を包み、想定問答集まで用意して面接に臨んだ。 裁判が終わると私はユニクロ側に、まずは裁判中に出入り禁止となっていた決算発表に参加させてもらえるように
交渉を始めた。同社が二○一五年四月に開く中間決算会見に参加することで話がまとまったように思えた。しかし、
決算会場へ向かう途中、私の携帯電話が鳴った。ユニクロの広報部長の古川啓滋氏はこう告げた。
「柳井から、横田さんの決算会見への参加をお断りするようにとの伝言をあずかっています」
理由は、記者会見当日に発売となった週刊文春に私が書いた記事「ユニクロ請負工場 カンボジアでも"ブラック"告発」だった
NPO法人の記者会見を報じた記事のどこかに、事実確認があったのかと尋ねると、間違いはなかったという。
さらに、他の新聞も同じ会見を記事にしていることを指摘し、そうした新聞社の記者も会見に参加できないのかと問えば、
そうではないとの返事だった。
決算会見に定期的に参加することは、株式公開企業の動向を追ううえで欠かせない。しかし、オープンの会見さえも拒否される
となるなら、通常の取材などは望むべくもない。
会見拒否と相前後して、柳井社長は雑誌「プレジデント」(二○一五年三月二日号)で、マンガ家の弘兼憲史氏の取材に応じていた。
弘兼氏からの、巷にはユニクロに対してブラック企業だとの批判があるという質問に対して、柳井社長はこう答えた。
<悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。会社見学をしてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたいですね>
ならば、実際に店で働きながら取材しよう、と考えたのだ。
私は、まず法律に則って名字を変え、「横田増生」をペンネームとした。
二○一五年十月、私は千葉市内のイオンモールにある大型店のアルバイトに応募した。同店のアルバイトを含めた従業員は八十人前後。
自宅から通いやすいのが、魅力的だった。
最大の難関は面接である。五十代の男性アルバイトというのは、アパレル企業の接客業としては、相当年齢が高い。アルバイトは店舗
近隣の大学生が多数を占め、社員も二十代、三十代が中心だった。店長は私より二十歳若い三十歳という。私は髪を入念に染め、若者
向けのメガネをかけ、小ざっぱりしたカジュアルウエアに身を包み、想定問答集まで用意して面接に臨んだ。 潜入取材がバレかける
店舗のウェブサイトからアルバイトに応募したのは、十月一日の正午のこと。その日の午後には
もう電話が入り、一週間後に面接に来るように、と告げられた。
面接の前夜は、緊張のため眠りが浅く、何度か目が覚める。合格しなければ潜入取材は始まらないのだ。
指定された十時半に店舗に行くと、店長室で面接。面接の担当者は二人。一人が質問をして、もう一人は、
面接を聞きながら、後ろのコンピューターで作業をしていた。
質問は、「立ち仕事が多いが、大丈夫か」から始まって、「どうしてユニクロを選んだのか」や「午後
十一時以降も働くことができるのか」など、約三十分、やり取りが続いた。それまでコンピュータで作業
しながら面接を聞いていた男性(のちに店長と判明)が、最後に一つだけ聞きたい、という。
「店員の多くはあなたよりずいぶんと若いのですが、そういう人たちに教えてもらう立場
になっても大丈夫ですか」
「もちろん大丈夫です」
と、笑顔で答えた。
面接が終わった後、喉がカラカラになっている自分に気づいた。ウソをつかないことと、面接で受かるように
答えなければ、と集中していたせいだ。
その日の午後、電話で採用の知らせを受けた。想定以上のスムーズな進行に拍子抜けした。
合格の翌日には、入社手続きを済ませた。手続きが終わると、早速、バックルームでの袋むきを命じられる。
物流センターから段ボールに入ってくる商品を袋から出して、サイズチップや防犯タグなどをつけ、店頭に並べ
られる状態にすること。
二十畳はあろうという休憩室には掲示板を兼ねたホワイトボードが二つあった。そこには、その日の売上の
目標額や前日の売上実績、本社からの業務に関する通達と並んで、「部長会議ニュース」をはさんだバインダーが
掛かっていた。従業員全員必読で、読み終わったら、自分の名前が書いてある欄に押印する。 部長会議ニュースとは、毎週月曜日に、ユニクロ本社で行われる会議の議事録だ。部長会議は常に、
「トップの指示」、つまり柳井社長の叱咤激励から始まる。柳井社長に直接会うことはかなわなくとも
その生の声を毎週読むことができるのだ。おそらく私は、ユニクロの中でも部長会議ニュースの愛読者
ではないだろうか。
最初に読んだ部長会議ニュースには、先週の売上が非常に良くないとあり、また、執行役員から今後五年、
十年の仕事の目標を書いてもらったが、ほぼ全員やり直す必要がある、と厳しい言葉が並んだ。
柳井節、全開である。読んでいて、自然と頬が緩んできた。柳井社長の書籍やマスコミのインタビューでは
滅多にお目にかかれない飾りのない肉声である。これを毎週読めるのだ。
アルバイトとして働きながら気を使ったのが、潜入取材を気づかれないことである。ただ、正体がバレたかと
焦ったことがあった。
十一月中旬に初めて、店頭で客注対応を行ってきたときである。
客注対応とは、自店舗にない商品を他の店舗から取り寄せる手続きのこと。現在では、iPodによる注文に変わったが、
一年前は紙の取寄伝票に記入して、客注対応していた。
研修で手順を教わってはいたが、実際に行うのは初めてだったので手順を思い出すだけで頭の中が一杯だった。男性
社員が横につき、客に名前や電話番号を書いてもらい、こちらで商品名やサイズなどを書き込んでいく。最後に、
「担当者」という欄にハンコを押そうとするが、男性社員から「三枚綴りだから、サインの方が速い」との助言を受ける。
その際、うかつにも書き慣れた「横田増生」と書き込んでしまった。
その直後、男性社員の怪訝な表情を見て、初めて自分の大失態に気づき、掌にじっとりと汗がしみだしてきた。慌てて、
何度も横線で「横田」という文字を消して、本名を書き直した。幸いにして、このミスで私の正体が発覚することはなかった。 三店舗すべてでサービス残業
一番冷や汗が出たのは、十二月中旬の土曜日のこと。午後八時までの勤務の私が店頭で
「活気出し」をしていると、仕事を終えて帰るはずの店長が立っていた。何かミスした
のかと身構えていると、
「仕事が終わったら一緒に飲みに行きませんか」
とうとうバレたか、と覚悟を決めて、飲み会の席に行くと、そこには職場の女性五人と
先の店長の姿があった。
毛色の変わった五十代の男性アルバイトの品定めといったところだったのか。社内の
いろいろな人間模様、誰が人望があり、誰と誰が付き合っていたのか、などの話で盛り上がる。
自分の思い違いに、ホッとした。
では肝心のユニクロが裁判で争った労働環境はどうなったのだろう。『ユニクロ帝国』の出版
当時の二○一一年、同社内の月間上限の労働時間は二百四十時間未満と決まっていた。現在では、
繁忙期は二百二十時間で、閑散期は百九十五時間にまで減っている。店長であっても、週であっても、
週に二日は休みが取れているだ。以前は出ていなかった残業手当も、現在では店長にも支払われている、
と現役のユニクロ社員は証言する。
「徐々に、サービス残業をすることが格好悪い意識が社内に広まってきました」
ユニクロ側の労働時間に関する意識も随分と高くなっただろう。私が、休憩時間を十分切り下げて売場に
出ようとすると、指示を出す担当者が飛んできて、「あと十分休憩をとってください」と言って、休憩室に
追い返された。 柳井社長は、ブラック企業批判に対して、次のように語っている。
<実態は、限りなく白に近いグレーな要素を、ことさらにピックアップされて、一部の人や組織が暴力的に
言い立てたのです>(「日経ビジネス オンライン」二○一六年十一月十七日)
ただ、ユニクロ関係者は、柳井社長が拙著『ユニクロ帝国』を訴えると言い出した時、周辺がサービス残業が
常態化していた店舗は全体の三割前後あるだろう、と裁判に踏み切るのを止めた、と私に明かしている。
そして、以前と比べ改善去れたとは言え、ユニクロにおけるサービス残業はなくなっていない。
私は働いた三店舗すべてで、サービス残業が行われていることを確認している。一度、退勤したことにして、
働いている店長や社員、準社員がいるのだ。
ユニクロには、「勤務確認リスト」という一覧表があり、毎日、出勤・退勤時間を確認できる。
その中から、サービス残業を疑われる人物の出退勤の時間をチェックすると、店長室で働いていた店長が、
リスト上ではすでに退勤となっている、といったケースが複数の店舗で見られた。
柳井社長の言う通り、働いてみると日本を代表する企業・ユニクロの真の姿が私なりに見えてきた。
私の潜入取材は今も続いている。 (以下次号)
編集部注・本件取材に関するユニクロの見解、反論は次号以降に掲載します。
本連載への感想、情報提供をi-weekly@bunshun.co.jpにお寄せください ここで荒らしにやってくるやつらもそうだが、
政治ビジネスや法人活動で国民や海外の人間たちに
迷惑をかけたり、犯罪や不正を行うのはやめさせるべきだ
反社会的な人間たちが増幅している以上、その活動や隠蔽には
何の社会的意義も、組織的利益も存在し得ないからだ
我々の国家と東アジアの名誉を著しく貶める行為を取り締まるべきだ 小池百合子 東京都知事 と 森喜朗 オリンピック組織委員会会長 の
笑顔ややり取りを見る限り、問題はなさそうだ
森喜朗79歳。何がめでたい
小池は分かってない 舛添さんはよくやった
大山鳴動して・・・
1ヵ月300万円のオプジーボで "奇跡の復活"
森氏を「兄弟」というバッハ会長
バレー競技団体幹部も森氏に陳情 作家の佐藤愛子氏はベストセラー『九十歳。何がめでたい』で、今の世の中を「いちいちうるせえ」と
一刀両断しているが、政界引退後もいちいちうるさいのが、五輪組織委員会の森喜朗会長(79)である。
最近も永田町関係者との会合でこうまくし立てていた。
「IOCの意向を受け、五輪を運営するのが組織委員会。小池さんは都が仕切ればいいという考えかも
しれないが、知事や市長は組織委のトップにはなれないんだよ。小池さんはそのあたりが分かっていない」
一方、小池百合子都知事(64)はそんな森氏についてこう漏らしている。
「あの人、いつも怒っているわよね」
十一月二十九日昼、森氏の姿が永田町・ザ・キャピトルホテル東急一階の大宴会場にあった。"都議会のドン"
こと内田茂都議(77)の亡き妻を偲ぶ会に出席していたのだ。
"二代目のドン"高島直樹都議に見送られた森氏が向かった先は、お台場のホテルグランドニッコー。ここで、
森氏と小池氏、IOCのコーツ副会長、丸川珠代五輪担当相が集まる四者教協議が開かれ、五輪会場の見直し問題が
話し合われた。
「整備費が乱高下していたボート会場は現行案の『海の森水上競技場』に、水泳会場も『オリンピックアクアティクス
センター』の客席数を減らす形で落ち着きました。ただ『有明アリーナ』を新設する予定だったバレー会場は、結論を
クリスマスまで先延ばしにすることになった。小池氏は今も『横浜アリーナ』での開催を模索していますが、森氏は
『僕の情報では横浜は迷惑している』と真っ向から反論。議論は平行線を辿りました」(都政担当記者) 作家の佐藤愛子氏はベストセラー『九十歳。何がめでたい』で、今の世の中を「いちいちうるせえ」と
一刀両断しているが、政界引退後もいちいちうるさいのが、五輪組織委員会の森喜朗会長(79)である。
最近も永田町関係者との会合でこうまくし立てていた。
「IOCの意向を受け、五輪を運営するのが組織委員会。小池さんは都が仕切ればいいという考えかも
しれないが、知事や市長は組織委のトップにはなれないんだよ。小池さんはそのあたりが分かっていない」
一方、小池百合子都知事(64)はそんな森氏についてこう漏らしている。
「あの人、いつも怒っているわよね」
十一月二十九日昼、森氏の姿が永田町・ザ・キャピトルホテル東急一階の大宴会場にあった。"都議会のドン"
こと内田茂都議(77)の亡き妻を偲ぶ会に出席していたのだ。
"二代目のドン"高島直樹都議に見送られた森氏が向かった先は、お台場のホテルグランドニッコー。ここで、
森氏と小池氏、IOCのコーツ副会長、丸川珠代五輪担当相が集まる四者教協議が開かれ、五輪会場の見直し問題が
話し合われた。
「整備費が乱高下していたボート会場は現行案の『海の森水上競技場』に、水泳会場も『オリンピックアクアティクス
センター』の客席数を減らす形で落ち着きました。ただ『有明アリーナ』を新設する予定だったバレー会場は、結論を
クリスマスまで先延ばしにすることになった。小池氏は今も『横浜アリーナ』での開催を模索していますが、森氏は
『僕の情報では横浜は迷惑している』と真っ向から反論。議論は平行線を辿りました」(都政担当記者) 「私は全部やっている」
協議後には談笑するなど時に有効ムードも装った小池氏と森氏。だが、小池氏の都知事就任以来、両者は
衝突し続けてきた。
「小池氏は組織委に『監理団体』として都の監督下に置きたいと要請。都政改革本部に不透明だった五輪
予算を一から見直させるなど、森氏に斬り込む姿勢を見せてきました」(同前)
当然、森氏は反撃に出る。監理団体化を拒み、都からの出資金五十七億円を返還。十一月中旬に行われた自民党
埼玉県連の会合では、こう述べている。
「小池さんはカネをかけすぎるとか、組織委は無責任な団体だとか、結構好きなことをおっしゃっているんですね。
それから、都議団と組織委は伏魔殿だと言われると私は許せない。どこが伏魔殿なのか」
"結構好きなことをおっしゃる"ことにかけては人後に落ちない森氏は続ける。
「小池さんは経費削減とおっしゃるけど、その前に私は全部やっている。二年半かけて、二千億円を縮減したんです。
ところが、今までの約束事をご存じのない方が来て、ガチャッと壊した。みんなやる気をなくしちゃっていますよ」
一方で、公私混同問題で辞任した舛添要一前都知事については、
「舛添さんは本当によくやってくれた。頭も良かったし、回転も速かった公用車で(湯河原の)別荘なんて大した話じゃない」
と記者に漏らしている。
「舛添氏が『新国立に都は五百億も出せない』と言っていた時は『学者みたいなこと言うな』と怒鳴っていました。森氏が
舛添氏を褒めるようになったのは、レームダックになってからのこと。そうやって "度量の広さ" を見せようとするのが、
森氏のいつものパターンです」(自民党幹部) 新国立競技場問題に始まる混迷の責任が森氏にもあるのは言うまでもないが、当の本人反省の色は見えない。
九月中旬、マスコミとの懇談の場で新国立について不満をぶちまけていた。
「つまらない片意地を張ってまで、中途半端で、みんなにいい顔した国立を作るというのが、俺はものすごく
腹立たしいんだよ」
そうした責任転嫁はいまや森氏の "十八番" だ。
「整備費の高騰については『猪瀬(直樹元都知事)さんが作った立候補ファイルがデタラメだった』と。でも、
招致には森氏も密接に関わっているはずです。この前は『知事がころころ代わるのが問題だ。それも都政の
失政ならともかく、不祥事や選挙で』と口にしていました。そんな森氏をたしなめたのが、IOCのバッハ会長。
森氏をたしなめたのが、IOCのバッハ会長。森氏を『小池さんは二百九十万票取った知事だ。協調しないといけない』
となだめたとか」(組織委関係者)
こうして互いに譲らぬまあ迎えた四者協議の場。小池氏が会場変更を目論んでいたのが、ボート会場とバレー会場である。
ボート会場にバレー会場である。
ボート会場について小池氏は当初、海の森から宮城への「長沼ボート」への変更に意欲を示していた。だがこの長沼案に対し、
森氏は周囲にこう語ってきた。
「長沼にはラブホテルが三軒あるだけ。無理なんだ」
海の森は高騰する整備費が批判されたが、森氏はここでも責任転嫁する。
「『ボートコースだけなら九十八億円なのに、(周囲の)公園の整備に三百億円もかかる。都が五輪に便乗するから(整備費が)膨らむんだ』と
都の役人を批判していた。レガシーを重視すると言うわりに、都合の悪い時は "変節" するのです」(都庁幹部)
都の責任者は、組織委理事も兼務している、塩見清仁オリ・パラ準備局長だ。その塩見氏に対し、小池氏はいま激怒しているという。 超高額薬で体調が急回復
「塩見氏は会場見直しの最中、小池氏に報告することなく、波の侵入を防ぐための締め切り堤の杭打ち工事を始めようとしていました。
これに小池氏は激怒した。結局、十一月二十四日に始まる予定だった工事は一旦中止になった。塩見氏は豊洲新市場の盛り土問題で処分を
受けた一人。森氏とパイプが太い都議会自民党とも近い。小池氏は誰のために仕事をしているのか、と疑っているのです。オリ・パラ」局長
からの更迭は必至でしょう」(小池氏周辺)
一方、最後の争点となったバレー会場の見直しには、組織委や競技団体が抵抗した。バレー五輪金メダリストで組織委理事の荒木田裕子氏も、
小誌に「招致の頃から有明の図面を、全てのIF(国際競技連盟)に見せて回ってコンパクト五輪を約束してきた」と憤る。
結局、様々な案が浮上したバレー会場は今回の四者協議では決まらなかった。
「昨年、森氏は肺がんの手術を受けた後、体調が悪化した。ところが、保険が適用された超高額のオプジーボの投薬を始めて以来、体調は急回復。
会場見直し問題もこれで、森氏の "二勝引き分け" です。早くも『他県との調整や警備の問題もある。これからが大事なんだ』と指示を飛ばしています」(組織委幹部)
森氏の側近と言われる遠藤利明前五輪相も「森さんは(組織委会長を)辞めないよ。スポンサー集めだって森さんの指導力のおかげなんだから」と語る。
森氏は弁護士を通じて書面で「会場計画は二年半以上にわたり、各国際競技連盟、各国内競技連盟、自治体等と協議のうえ築き上げてきたものであり、
政治的な勝ち負けで判断するものではありません」と回答。
ご本人にとってはめでたい結果に落ち着き、会長に居座り続ける森喜朗、七十九歳。国民にとっては何がめでたい。 「メンタリストDaiGoは中学生の私を抱いた」元恋人告白
スクール水着を着せられたことも
二人で撮ったプリクラ
大学時代は「人の心を作ること」に興味があったという
DaiGo氏からA子さんに送られたメール
「初めて彼に会ったのは、私が十三歳のときです。私にとって、初デートも初キスも、初めてのセックスも、
すべて彼が相手でした。当時、私は大人になれば彼と正式に付き合えると信じ、性的な関係を持ちました。
今振り返って、私の未熟さや、無邪気な憧れを利用されていたのかと思うと悔しいです」
そう小誌に明かすA子さん(21)が指す "彼" とは、メンタリストのDaiGo氏(30)だ。 DaiGo氏といえば、慶應大学在学中からテレビ出演し、人間心理を利用するパフォーマンスで
人気を博してきた。現在は講演やビジネスコンサルティングを中心に活動を行う著名人である。
そのDaiGo氏に中学生の頃から性的な関係を求められたとA子さんは証言するのである。
二人が出会ったのは二○○九年八月。ホテルのイベントに出演していた当時二十二歳のDaiGo氏に、
A子さんが連絡先を聞いたのがきっかけだった。
「事務所の住所を聞いたら、携帯のメールアドレスを教えてくれて、初デートで中学生だと明かすと、
『メールの話題から気づいていた』と言われました」
デートを重ねるうちに人生初めてのキスをしたA子さんは、十二月にDaiGo氏に「付き合いたい」と思いをぶつけた。
「答えは、『俺も好きだけど、今、俺がA子と付き合ったら周りに迷惑をかけるから』。『友達以上、恋人以上』とも
言われました」
一見、A子を気遣い、冷静に断っているように見えるが、その後も彼はA子さんへ好意を匂わすメールを送っている。
<腕枕してやるよ★><好きだよ(顔文字)会えなくてもA子のことばっかり考えてる★><あのときにA子とキスした感覚が忘れられないよ★>(いずれも同年十二月三十日) それまで異性経験のなかったA子さんは、すっかり舞い上がってしまった。
「生まれてはじめて女の子扱いされたんです。それに当時、ウチは片親で家庭不和に悩んでおり、
不登校気味でした。居場所のない私にとって唯一頼れる大人でありました」
一○年六月、久しぶりに再会したA子さんが「二人きりになりたい」と言うと、DaiGo氏は彼女を
カラオケに連れて行った。
「ハグくらいしたいな、と思って抱きついたら、キスをされて、下着の中に手を入れてきて胸を触られた」
この後、彼はA子さんに<A子があんなにエロいとは><あはははは 自分から誘ったくせに>(一○年七月三日)
とメールを送っている。当時A子さんは十四歳、DaiGo氏は二十三歳である。
時折会う二人の関係は続き、A子さんが高校に進学すると、身体の関係も持つようになる。だがDaiGo氏には、
別の彼女がいた。 「付き合いたくないけどヤりたい」
「夜中に電話をかけたら、彼女が電話に出てしまったことがあったんです。その後、
『君の電話を機に彼女が心を病んでしまった。もう連絡は取れない』と告げられました」(A子さん)
だが、A子さんが十九歳のとき、DaiGo氏は再び連絡をとってきた。再会後の二人の関係は、以前のそれから変化する。
「彼はニコ生でやっている自身の番組『ロリコン』を自称していますが、再会してからは、
水着でのセックスを提案されたり、彼が先生役、私が生徒役のイメージプレイを要求されました」
A子さんとのLINEにも、その性癖を想起させる発言が残っている。
<おととい 中2の女子と話す機会があったが あれはいけるな><二年経てば余裕 先行投資か…>(一六年八月十二日)
再会後のDaiGo氏について、A子さんが語る。「私の気持ちは変わらなかったので、時折好意を伝えましたが、
『僕と君は合わないから』と。私のことをAV女優になぞらえて、『付き合いたくないけどヤりたいとは思う』と言われたこともあります。
それで弄ばれたのだという現実に向き合うようになりました」
A子さんは今回告発した理由についてこう話す。
「当時成人していた彼にとっての軽い言動が、幼い私にはとてつもなく重要な意味を持っていた。同じ思いをする人が減ってほしい」 DaiGo氏の言動について、性犯罪に詳しい望月晶子弁護士はこう述べる。
「児童福祉法第三十四条で『児童に淫行をさせる行為』が禁じられていますので、恋愛でなく、単に自分の性的欲望を満足させるためだった
性交、又はこれに準ずる性交類似行為を助長し促進する行為は処罰の対象になります。
また、各自治体の青少年保護育成条例に抵触する恐れもあります」
また心理学を専門とする西田公昭・立正大学教授は、「一般論ですが……」としてもこう指摘する。
「当時中高生の女性は社会的経験が少なく、複雑な家庭や悩みを抱えていて依存的になりやすかった。また、男性に対し恋愛感情を持っていて、
男性の要求への受容性が高かった。こうした状況から、女性が心理的に脆弱だったのはわかっていたはずです。
よって、恋愛感情に呼応するようなコミュニケーション、ましてや性的な関係を結ぶなどの行為は、厳に慎まないといけないし、
その脆弱さに乗じて不当に自己都合に利用したと言われても仕方ありません。何より大人として、不用意に相手を傷つけた責任があります」 DaiGo氏本人はどう答えるのか。小誌の取材に対して、当初その答えは二転三転したが、
<A子があんなにエロいとは>などというメールの存在を伝えると、「すごいですね、文春さんって。
じゃあ正直に言います」として、以下のように語った。
「そういう行為はなかったんですけど、その子が情緒不安定だったので、すごく求められた。
(行為は)断ったけど、メールなどは付き合ってあげたんです」
----やり取りを見ると、DaiGoさんのほうもかなり積極的に見える。
「そうしないと、自分が認められてないと感じちゃう子なんです。だから、文面上ではノッていました」
----当時二十三歳の男性が、十四歳の女性に「好きだよ」などとメールを送ることは適切だと思うか。
「彼女は当時いじめられっ子で、もし僕が『A子のこと魅力的だと思うよ』ということで前に進めるんだったら、と。
今思えば悪ふざけがすぎたし、ダメなことをしたかなって思うんですけれども(笑)」
----スクール水着で性行為に及んだのは事実か。
「彼女が持ってきて、着たということはありました。彼女は性的に求められることに承認を感じる子なので、
そこで拒絶したら大変なことになるだろうな、と思っていました」
----未熟な個人の弱みにつけ込んだように見えるが。
「うがった見方をするとそうなるんでしょうね(笑)。ただ、念を押しておきたいのは、実際その子はその後、
学校に行くようになったり、やりたいことを見つけたりしたんです」
----仮にも心理学を扱うメンタリストとして自身の言動をどう捉えているのか。
「最初に彼女の身の上を聞いたとき、僕はメンタリストではなかったです、まだ」
A子さんはこう憤る。
「私が彼に一方的に依存したわけではないことは、当時のやり取りを見れば明らかです。
彼と出会わずとも、私は私で自分の人生をを歩んでいたはず。思い上がらないでほしいです」
彼に "人間の心" を語る資格があるのだろうか。 これは世の中の背景を知っておくために書いておく
あの狂人たち、明確なソースから陰謀論を喚く事はしないだろうからな!
池上彰のそこからですか!?
連載279 【 トランプを操る男 】
ドナルド・トランプ次期米大統領は、政権移行チームを発足させ、政権を支える人材の登用を始めています。
このチームの中心人物とされるのが、トランプの娘イヴァンカの夫のジャレッド・クシュナーです。
安倍晋三首相がトランプの自宅で会った際、同席して写真に写っていましたね。トランプにとっての
最初の "首脳外交" に同席させたのですから、如何に信頼しているかわかろうというものです。
彼はユダヤ人です。選挙中、トランプは娘について、「ユダヤ人と結婚するため、娘もユダヤ人になった」
と発言しています。ユダヤ人票欲しさのコメントだとは思いますが、今後のトランプ政権の外交政策を見る上での
キーポイントのひとつになるでしょう。
というのも、彼は正統派ユダヤ人だからです。「正統派」と言われても、日本にいるとピンと来ませんね。
イスラエルでもアメリカでも、戒律をきちんと守る原理主義的なユダヤ人もいれば、とりたてて意識しない
"なんちゃってユダヤ人" もいます。正統派ユダヤ人は、日頃から戒律に則った食事をし、金曜日の日没から土曜日の日没までの
安息日には一切仕事をしない等のきまりを守って生活しているのです。
ジャレッドの祖父母はポーランドからの移民です。第二次世界大戦中にナチス・ドイツによって実行されたホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を
生き延び、戦後になってアメリカに渡りました。祖父母は無事でしたが、親族には犠牲になった人たちがいるそうです。 両親も敬虔なユダヤ教徒で、息子のジャレッドは厳格な戒律を守りながら成長したといわれます。
これは名前からも推測できます。「ジャレッド」はユダヤ教の聖書の「創世記」の中に出てくる人物の名前(ヤレド)だからです。
「創世記」では九六二歳でなくなったとされています。随分と長生きですね。彼の子孫が「ノアの箱舟」で知られるノアです。
ジャレッドが生まれたのはニューヨーク州の隣のニュージャージー州。ハーバード大学を卒業後、ニューヨーク大学のビジネススクールと
ロースクールの共同プログラムで経営学修士と法学位を取得しています。
彼は二六歳のとき、ニューヨーク中心部の五番街に面した高層ビルを買収して名を馳せました。トランプの自宅があるトランプタワーのすぐそばです。
トランプの娘のイヴァンカも父の仕事を手伝って不動産業に従事し、そのプロジェクトの一環でジャレッドと知り合いました。
結婚に当たり、イヴァンカがユダヤ教に改宗したということは、おそらくジャレッドが求められたのでしょう。イヴァンカがユダヤ教徒にならないと、
自分の子どもたちがユダヤ教徒になれないからです。
というのも、「ユダヤ人」とは、「ユダヤ人の母親から生まれた人、またはユダヤ教に改宗を認められた人」というのが一般的な定義だからです。
これはイスラエルがユダヤ人に国籍を与える法律の定義です。 イスラエルと関係改善か
つまり父親がユダヤ人でも、母親がそうでなければ、子どもユダヤ人ではないのです。
なんでそうなのか。子どもの父親が誰かはわからないことがあるが、母親が誰かは明確だから、
というわけです。
イヴァンカは長老派キリスト教徒として育ちました。ユダヤ教に改宗するには、「ユダヤ教徒になります」
と宣言してもダメなのです。ここがイスラム教徒と異なるところですね。イスラム教への改宗は、イスラム教徒二人を
証人にして、「アラーのほかに神はなし、ムハンマドは神の使徒なり」と三回唱えるだけでいいのですから。
これに対し、ユダヤ教徒になるには、ユダヤ教の学校に通って聖書と戒律、ヘブライ語を学び、ユダヤ教を深く理解しているかどうか、
ラビ(ユダヤ教の宗教指導者)の面接試験を受けなければなりません。
それだけではないのですね。自宅のキッチンが戒律通りになっているかの実地検査もあります。乳製品と牛肉が別々に調理できるようになっているか調べられるのです。
というのも、「聖書」に、「子羊を母羊の乳で煮てはならない」という記述があり、これを牛肉にも適用しているからです。ユダヤ教徒は、ステーキを食べながら牛乳を飲む、
などということはできないのです。このためチーズバーガーなどは禁忌ですし、肉料理のデザートにアイスクリームを食べることはできません。
以前、トフティという豆腐アイスクリームが話題になったことがあります。これはユダヤ教徒もデザートとしてアイスクリームが食べられるようにしようと考案されたものだったのです。 イラストレーション 3rdeye ( ← ニックネーム )
書き忘れたのでその Words も載せておく
どうも話が逸れますが、イヴァンカがユダヤ人になってから出産したことで、イヴァンカの三人の子どもたちもユダヤ人なのです。
アメリカには反ユダヤ主義を唱える差別主義者がいて、トランプ支持を公言している人物もいるのですが、そのトランプには、
実はユダヤ人の孫がいるのですね。
イヴァンカは、夫と共にニューヨークのシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)に通い、イスラエルを熱烈にすると発言しています。
トランプの閣僚選びに大きな影響力を持ち、「トランプを操る男」と称されるジャレッドとイヴァンカのコンビは、トランプ政権の中東外交にも大きな影響を与えることでしょう。
イスラエルのネタニヤフ首相は対パレスチナ強硬派で、パレスチナ和平を進めようとするオバマ政権と関係が悪化していました。これが親イスラエルのトランプ政権の誕生で、劇的に変化するかも知れません。
しかし、もしトランプ政権がネタニヤフ政権に肩入れするようになれば、パレスチナや周辺のアラブ諸国は猛反発するでしょう。中東和平は一段と遠のくかもしれないのです。
【池上さんに解説して欲しい「テーマ」を大募集!】
郵送の場合は、🏣102-8008 千代田区紀尾井町3-23 週刊文春「そこからですか!?」係まで。メールの場合は、sokokara@bunshun.co.jpにお願いします。 百田尚樹 @hyakutanaoki
俵 万智氏の事務所は「新宿区西早稲田2−3−18 」なんですね。
初めて知りました。ここは「在日外国人の人権委員会」「在日韓国人問題研究所 」
「戦時性暴力問題連絡協議会」など、20以上の反日市民団体がある場所です。
ということは、俵氏は「日本しね」を積極的に推したのかもしれませんね。
A...あの場所は行ってみればすぐわかる。作りはまさに教会をメインにした要塞である。
立てこもり籠城を想定しているのだろう。あそこは機動隊はだめ。
機動戦闘車の出動は不可欠だ。周辺住民は要警戒!! 26: シューティングスタープレス(東京都) [PH] 2016/12/10(土) 15:44:31.82 ID:o65ZxVyN0
・在日外国人の人権委員会 新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国基督総会全国青年協議会(全協)新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国人問題研究所 新宿区西早稲田2-3-18
・在日本大韓基督教会 新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国基督総会全国青年協議会(全協) 新宿区西早稲田2-3-18
・外登法問題と取り組む全国キリスト教連 新宿区西早稲田2-3-18
・外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・平和を実現するキリスト者ネット 新宿区西早稲田2-3-18
・キリスト者女性のネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・女たちの戦争と平和資料館 新宿区西早稲田2-3-18
・戦時性暴力問題連絡協議会 新宿区西早稲田2-3-18
・キリスト教アジア資料センター 新宿区西早稲田2-3-18
・難民・移住労働者問題キリスト教連絡会<難キ連> 新宿区西早稲田2-3-18
・石原やめろネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・歴史歪曲を許さない!アジア連帯緊急集会事務局 新宿区西早稲田2-3-18
・国際協力NGOセンター(JANIC) 新宿区西早稲田2-3-18
・日本キリスト教海外医療協力会(JOCS) 新宿区西早稲田2-3-18
・アジアキリスト教教育基金 新宿区西早稲田2-3-18
・財団法人日本クリスチャンアカデミー 新宿区西早稲田2-3-18
・宗教法人日本バプテスト同盟 新宿区西早稲田2-3-18
・株式会社アバコクリエイティブスタジオ 新宿区西早稲田2-3-18
・移住労働者と連帯する全国ネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・日本キリスト教協議会 新宿区西早稲田2-3-18 俵 万智 @tawara_machi 12月10日
「死ね」が、いい言葉だなんて私も思わない。
でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。
世の中を動かした。そこには言葉の力がありました。お母さんが、こんな言葉を遣わ
なくていい社会になってほしいし、日本という国も日本語も、心から愛しています。
https://twitter.com/tawara_machi/status/807392862203584512?lang=ja 俵 万智氏「東京都新宿区西早稲田2-3-18」の住所が何を意味するかは人それぞれ違います。
ネット上では「反日左翼の巣窟」と呼ぶ人もいますし、「いやいや、あそこは韓国系キリスト教の聖地」と
呼ぶ人がいるかもしれません。 もちろん「何の関係もない場所」と説明する人もいます。
でも、「西早稲田2-3-18」という場所はそれほど「有名な場所」なんです。興味のある方はぜひ
「西早稲田2-3-18」で検索されることをお勧めします。 まあ、日本語流行語大賞の 山尾桜里議員が取り上げた
「保育園落ちた日本氏ね!」 のご本人は「年収900万」もあった裕福な家庭だったから、
保育園に入れなかったわけです。 もっと年収の低い人が保育園に入ったようですよ。
その、副産物として、選考委員の代表が、サラダ記念日の「俵万 智」氏と分かり、
所属事務所が怪しい「早稲田2-3-18」と分かっただけでも収穫ですね。 大反響!ジャーナリスト横田増生「渾身ルポ」第2弾
ユニクロ潜入記者12月3日解雇されました
本誌発売の2日後、解雇された
ビックロの法被を着る柳井氏
横田氏の名札と渡された入社ハンドブック
その日、新宿ビックロに出社した私を待ち受けていたのは、本社人事部長。
「この記事を書いたのはあなたですか?」「そうです」
「就業規則に抵触しており、解雇通知させていただきたい」。
一年を越えるユニクロ潜入取材が終わりを告げた瞬間だった___ 。
よこたますお
1965年、福岡県生まれ。アイオワ大学ジャーナリズムスクールで修士号。
著書『ユニクロ帝国の光と影』(文藝春秋)をユニクロは名誉毀損として訴えたが敗訴。
法律に則って名字を変え、昨年10月からユニクロでアルバイトとして勤務していた。 十二月三日、午後一時四十五分過ぎ、私はいつも通り新宿のビックロに向かっていた。
勤務日が火曜、土曜、日曜の私にとって、「週刊文春」先週号の「ユニクロ潜入一年」が
発売されてから初めての出勤となる。
店に入り、エスカレーターで三階のメンズフロアまで上がっていく。
エスカレーターを降りるとすぐに、インカムを持ったビックロ総店長の姿が見えた。私が
売り場で彼を見かけるのは、月に一度あるかないか。総店長はビックロのトップであり、
ユニクロで十数人しかいない「リーダー」と同格のトップエリートである。彼は私が横を
通り過ぎても気づかない様子だった。私を一時間面接した上で、その場で採用を決めてくれた
人物だったが、四百人もいる従業員の顔をいちいち覚えてはいられないのだろう。
レジ横のスタッフルームに入り、ユニクロのルール通りに「おはようございます」とあいさつをする。
パソコンで作業中の昼の責任者が「おはようございます」と返してきた。
壁に貼ってあるシフト表を見ると、私の欄は、午後二時から三十分間朝礼・通達、その後は閉店の午後
十時まで、休憩をはさんでずっとレジ作業。その後は商品整理で、十一時半で退勤というシフトになっていた。
「いつも通りの勤務なのか。記事について何のヒアリングもないのか」
そう思いながら、もう一つドアを開け、「おはようございます」と休憩室に入った。長机の一角に、顔見知りの
アルバイトの女性と準社員の男性の顔が見える。
いつもなら「今から出勤ですか」、「今日もラスト(午後十一時半)までですか」などと声がかかるのだが、この日は
皆、私を見ると目線をそらし、話しかけてくるものはいない。
折りたたみのパイプ椅子を広げて、別の一角に座り、朝礼を待っていると、先ほどの責任者の男性が青ざめた表情で
声をかけてきた。
「●●さん(私の本名)、店長室でお話があるそうなんで、ちょっといいですか」 当社の信用を著しく傷つけた
立ち上がると、私の座っていたパイプ椅子を責任者が慌てて片付けようとする。ユニクロの
休憩室では、自分が座った椅子は自分で片付けるという決まりがある。動揺が感じられた。
店内にいた週刊文春記者がによれば、私が出勤して数分後、総店長がスタッフルームから出てきた
責任者を呼び止め、早口で言った。
「声かけて。声かけて。店長室までご案内して」
驚いた責任者は、「僕がですか?」というような表情をみせていたという。
私はその責任者に先導され、二階の店長室に入った。待っていたのは、四十代と思われる細面で
中肉中背の男性。濃紺の背広に白のボタンダウン、ノーネクタイという服装で、手を後ろに組んでいる。
「はじめまして」とあいさつを受け、
「はじめまして、三階パートナーの●●です」
と、ユニクロの決まり通りにあいさつを返す。
男性は「本部人事部の▲▲」と名乗った。後で確かめると、本部の人事部長だった。後ろからもう一人、
三十代とおぼしき男性が入ってくる。彼も人事部所属だと言う。
部長は、壁の時計を見ながら、こう切り出した。
「本来なら、十四時出社と伺っていたんですが、今は(午後一時)五十五分ですね。(その分)給与に反映させていただきますので」
と言う。
机の上には、「週刊文春」と、白地に赤のユニクロのロゴが入った紙製フォルダーが載っていた。
部長は「●●さんで、間違いないですね」と私の名前を確認し、続けた。
「この記事を書かれたのは●●さんですよね」
「そうです」
「本日出勤予定だったんですけど、当店を退職するご意思はないんでしょうか」
「ありません」 「わかりました。ならば、当社のアルバイト就業規則に抵触しているということで、
解雇通知をさせていただきたい、と思っています」
そう言ってクリアファイルに入った「解雇通知」を私に差し出してきた。
「というと、どこが?」
と、私が尋ねると、しばらく沈黙があった。再度、「(この記事の)どこか、就業規則に抵触しているのでしょう」
と聞くと、
「まず週刊文春の十二月八日号を書かれたということは、当社の信用を著しく傷つけたということですね」
「記事のどこが就業規則に違反するんですか」
部長は就業規則をめくりながら「アルバイト就業規則の第七十五条の十四項と、および第十六条の一項に当社は該当すると
判断しました」と言う。
第七十五条の十四項には、「諭旨退職・懲戒解雇」とあり、「故意または重大な過失により当社に重大な損害を与え、
または当社の信用を著しく傷つけた時」とあり、第十六条には「解雇事由」と書いてあった。
生まれて初めて目にする解雇通知である。重大な損害とは何かを尋ねたが、
「この記事を寄稿されたこと自体が該当すると思っています。中身云々は別として、当社にとってまったくプラスになるような
内容ではない」 俵 万智氏「東京都新宿区西早稲田2-3-18」の住所が何を意味するかは人それぞれ違います。
ネット上では「反日左翼の巣窟」と呼ぶ人もいますし、「いやいや、あそこは韓国系キリスト教の聖地」と
呼ぶ人がいるかもしれません。 もちろん「何の関係もない場所」と説明する人もいます。
でも、「西早稲田2-3-18」という場所はそれほど「有名な場所」なんです。興味のある方はぜひ
「西早稲田2-3-18」で検索されることをお勧めします。そうすれば私のさかな君譲りの
「ギョギョギョ〜!」の叫び声の意味がご理解いただけるはずです。
それにしても俵万智、笑わせてくれますね!
俵氏、今度はどこに引っ越すんでしょうか? 「日本死ね」だから海外かな? 横田氏が購入したボトル
昨年の感謝祭のノベルティ
「皆さん限界に近いと思います」
私は、契約期間である二○一七年三月末日まで辞めるつもりはないと告げた上で聞いた。
「懲戒解雇ですか?」
「懲戒解雇ではありません。解雇通知です」
どうやら諭旨退職のようだ。
諭旨退職とは、事業者が従業員を説諭の上、雇用契約を終了させるもの。懲戒解雇より軽度で、
退職金の全部または一部を支給するケースが多い。
私が一番聞きたかったのは、記事に事実と違う点あるのか否かだった。事実ではないことを書いた
というなら重大な損害を与えたと言うのも理解できる。しかし、何度も「記事に間違いがあるのか」と
尋ねた末に返ってきたのは、「間違っている云々の中身の吟味はしておりません」という一言だけだった。
「記事は間違っていないということですか」と食い下がったが「お答えできませんし、お答えする必要も
ありません」。
そして、話をさえぎるように「なお、これは解雇予告になりますので、解雇予告の手当等も、十二月の給与と
一緒に振り込みます」と議論を打ち切ろうとする。
しばらく押し問答を続けたが、話し合いは平行線のままだった。
そして私は午後二時十五分過ぎ、ビックロを後にした。こうして、昨年十月から一年を越えるユニクロ潜入取材は
終わりを告げた。一抹の寂しさと、もうレジに立たなくていいという安堵感が同時に胸に去来していた。
その四日前、十一月二十九日は、創業感謝祭の最終日だった。私が出勤すると、男性従業員がラムVネックカーディガンを
持って、バックルームを出たり入ったりしているのが目に入った。
「どうしたんですか」と声をかけると、「お客さんにMサイズはあるかと聞かれたんです」と答える。名札を見ると、
名前がなく数字が書いてある。これは派遣社員を指す。 文集スレってあるんだ
nako_068_v2 握手すらダメなのか怒
↓
http://www.42ch.net/UploaderAnime/ 私がビックロに入って一番驚いたのは、夜になると派遣社員が働き始めることだった。
これまで働いた二店舗に派遣社員はいなかった。派遣会社を通すため、直接雇用のアルバイトに
比べて人件費が高くなる派遣社員を使わざるをえないほど、ビックロの人手不足は深刻だった。
アルバイトが集まらないのだ。それなら時給を上げればいいと思うのだが、そう簡単ではないようだ。
派遣社員は、ほとんどがユニクロで働くのが初めてのため、客対応は荷が重すぎる。基本的には荷受けなどの
バックヤードの仕事がほとんどだが、今日は人手が足りず、昼の品出しにもかり出され、お客につかまったようだった。
彼に代わって、店頭に出て、、Mサイズを客に渡し戻ろうとすると、今度は見かけたことのない女性従業員が客対応に
手間取っている。聞いてみると、「お客様がタンクトップの下着があるかって探しているんですよ」。該当のコーナーに
案内して商品を見つけた。戻る最中に、先ほどの女性従業員に声をかけられた。
「助かりました。本部社長室の■■です」
本部からの応援だった。
そう言えば、前日付の「部長会議ニュース」の冒頭で柳井正社長が感謝祭の応援に行っていない社員は必ず行くように、
と指示していたことを思い出した。気持ちはありがたいが、現場からすれば、修羅場の感謝祭で売り場を知らない本部社員は
足手まといになることも多かった。
この日、店内はお客でごった返していた。スタッフルームに引き返すまでの短時間で、あと二件、合計四件の客対応をこなした。
スタッフルームに戻ると、同じ午後二時出社の数人のアルバイトが、iPad朝礼を始めるところだった。毎朝、開店の午前十時前に
行われる朝礼を、iPadで録画して、後の出勤時間帯の従業員が見るのだ。 朝礼で、責任者はこう鼓舞していた。
「今日は本部から割り当てられた予算の二倍を売り上げたい」
そうすれば、ビックロの十一月の売上が銀座店を抜いて日本一になれる。月の売上で、銀座店を抜いた店は、また一店もない。
「だから今日はどうしても売上をとりたい。といっても、皆さん(勤務時間が)ストレッチして限界に近いと思います」
ストレッチとは、長時間勤務を指す社内用語だ。
「だから、売り場は無視して、レジに集中してください。売り場の立て直しは翌朝のスタッフがやるから、夜の商品整理は終わらせなくてもいいです」
それを聞いてこの日、売り場に出ると短時間で何度も客につかまる理由が分かった。売り場の人員が圧倒的に不足し、客対応ができていなかったのだ。 防犯タグの外し忘れで事件勃発
iPad朝礼を見終わると、レジ担当の女性社員が話し始めた。彼女の話を聞いて、背筋が寒くなった。
「レジ作業は速く終えてもらうのが原則ですが、管理タグ(防犯タグ)のはずし忘れがないように
くれぐれも注意してください」
前日、レジでお客が買ったアウターから防犯タグを外し忘れた。ビックロのセキュリティーゲートでは
ブザーは鳴らなかったが、そのアウターを着て客が別の店に行ったところ、ブザーが鳴り、警察を呼ばれてしまったというのだ。
ユニクロでは、一定金額以上の商品には、防犯タグをつけ、レジで会計の際に外して客に渡す。
しかし、この取り外しがやっかいなのだ。まず、どの商品についているのか分からない。一定額を超えていても、ついていない
商品もあれば、二つある場合もある。感謝祭のような繁忙期には、ミスが出やすい。
一瞬、私がレジ担当の時に外し忘れたのでは、と焦った。後々、私を解雇する理由にもなりかねない。ただ、冷静に話を聞くと、
事件が起きたのは前日。私は出勤していなかった。感謝祭最終日もレジ列はほぼ途切れることがなく、私はただただ目の前の客の
商品を会計していく。 休憩時間に、店を出て週刊文春のゲラを確認すると、午後四時半から再びレジ勤務に戻る。午後八時の休憩時間を目指して、
ひたすらレジ打ちに没頭する。六時を過ぎた頃だっただろうか。休憩が「十八分押します(後ろにずれる)」と聞き、平常心を保つのに苦労した。
胃が悪い私は体調が悪くなると、げっぷが出そうになる。それを何度も飲み込むのに必死だった。
やっと休憩時間となって、休憩室に戻ると、体が緊張したためか奥歯をかみしめすぎ、顎が痛くなっていることに気づいた。
閉店が近づくにつれ、疲労がどんどん蓄積していく。時間がたつのが遅く感じられる。時計を見る合間もないので、レシートに印字された時間で確認するが、
一人会計を終わらせても一分しかたってない。
閉店時間の十分を過ぎても客は途切れない。結局、十時半近くまでレジ作業を続けた。
それが終わるとすぐ売り場に出て、商品整理が始まる。その夜、私は割り当てられたソフトタッチクルーネックTシャツやソフトタッチVネックTシャツをひたすら畳んで、棚にきれいに入れ直した。
上がりの十一時半になっても、売り場は荒れたままだった。いつもなら、私から社員に「残りましょうか」と
声をかけるところだが、この日、その気力は残っていなかった。蓄積した疲労に、一分でも、一秒でも早く帰りたかった。
売り場で、手元のiPodで、十一時三十分すぎに退勤を押して、足早に三階を後にする。
ビックロの売上が目標の予算の二倍に達したのか、退社前にiPodで確認しよう、と思っていたことは、すっかり忘れていた。
振り返れば、これが私の最後のユニクロ勤務だった。
三日後の十二月二日、ファーストリテイリングは、ユニクロ国内店舗の十一月の売上高結果を発表した。前年比で七・三%増。
記事を読みながら、私は一年前の感謝祭を思い出していた。 当時、私が働いていたのは大型店のイオンモール幕張新都心店。その頃、ユニクロには
売上不振の波が押し寄せていた。
十一月に入って、店の売上が、本部から降りてくる目標値を下回る日が続いた。予算通りに
商品は店舗に送られてくるが、計画通りには売れない。
結果、バックルームの在庫が日に日に積み上がっていった。通常、段ボール五十箱が在庫の基準だが、
十一月に入ってからは、三百箱を超えていたと思われる。
そうして、感謝祭がやってきた。四日間のうち私は三日出勤した。
初日の売上は、目標の約半分に沈んだ。幸先の悪いスタートを引きずる形で、残りの三日間も目標を
上回ることはなかった。感謝祭、惨敗である。
原因は、値上げにあった。柳井社長は、この年秋冬に約一○%の値上げを決めていた。理由は円安を含むコスト増を補うため。
柳井社長は、「(販売への影響は)ないと思う」と話していた。
しかし、消費者は「高くなったユニクロ」を敬遠し始めた。その動きが露になったのが、この感謝祭だった。書き入れ時である
二カ月の成績は、十一月の既存店売上高が前年同期比八・九%減、十二月が一一・九%減。客数は、十一月一二・九%、十二月一四・六%減と惨憺たる数字だった。
売上不振は店舗業務に大きく支障をきたす。本来ならところてん式に、バックルームの在庫は店舗に品出しされるが、商品が売れないため、スペースが空かない。
しかし、販売計画に基づいて、段ボールは毎日、送り込まれてくる。 柳井氏の不満はノベルティの数
店舗で、気に入った服を見つけたお客に、自分のサイズがない場合、有無を尋ねられる。
店員は、各自が持たされているiPodで、商品のバーコードをスキャンして在庫を確かめる。
すると、店舗には出ていないが、在庫はあるという状態が何度も起こる。
そのたび、在庫を探しにバックルームに足を運ぶのだが、大量の段ボールが置かれたバックルームは
さながら迷路の様相を呈し、その中から客が求めている一点を探し出すのは容易なことではなかった。
しかも、「在庫(在庫の確認)」は五分以内、という社内ルールがある。それを達成することは、ほぼ不可能に思われた。
値上げが売上不振の原因であることは、二カ月後の年明けに在庫処分の半額セールを実施すると、商品が飛ぶように売れたことでも分かる。
その月の既存店売上高は前年比一四・六%増、客数も同八%増えた。
だが、柳井社長の分析は全く違っていた。
敗因はノベルティのステンレスボトルが足りなかったからだ、というのだ。十一月二十三日の部長会議ニュースで、柳井社長は「一番不満であったことは、
感謝祭に配布したノベルティ(ステンレスボトル)」とした上で、昨年(二○一四年)は五千円以上の購入で数十万点を用意していたのにもかかわらず、今年
(二○一五年)は七千円以上の購入客に約半分の数しか用意していないことを槍玉にあげた。「今回の数量ではお客様に感謝しているとは思えない」というのだ。
確かに、感謝祭の間、ステンレスボトル目当ての客が開店から押しかけ、正午にはすでに当日配布分がなくなっていた。
しかし、ステンレスボトルの数が二、三倍だったら、売上が前年を上回ったのだろうか。
私は急いでネットワークションで五色のステンレスボトルを購入してみた。ユニクロのロゴの入った赤、青、緑、黄、紫の何の変哲もないボトルであった。
二○一六年の感謝祭は、前年の反省を踏まえ、日程を七日に延ばし、ノベルティは、ステンレスボトルにバッグ、手帳の三種類をそろえ、一万円以上を購入の客に、
前年の五倍近くの数が用意されていた。 感謝祭後の朝礼で、店長代行者がこう話したのだ。
「感謝祭は全社的に不振に終わっています。結果として、経費を削っていかないと、下手したら会社が倒産してしまうという危機的状況です。
今やらなければならないことは二つ。一つは、売上を取る。二つ目は経費を抑える。そのため、今週はスタッフの皆さんの出勤日数を削らせていただきます」 (以下次号)
編集部注・本誌は横田氏の解雇理由の確認、本誌記事に対する見解などをファーストリテイリングに求めましたが、
「お答えすることはありません」(広報部)との回答でした。
本連載への感想、情報提供をi-weekly@bunshun.co.jpにお寄せください Q ねえ、パパ!ぱよぱよち〜んて なあに?
A 朝鮮語で「パヨ パヨ チング」といわれているよ!
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久保田直己(ぱよちん<59>)はセキュリティ会社「F-Secure」の社員でありながら、
個人的な政治思想に基づいて300名あまりの個人情報を収集し、 「ネトウヨ」
「レイシスト」と認定し、危害を加える、あるいは加えさせる目的で晒し上げるという、
まるでカギ屋が泥棒をやるような事件を起こし、炎上した。 75 名前: 魔神風車固め(大阪府)@無断転載は禁止 [US][] 投稿日:2016/12/13(火) 21:17:05.53
今朝の大阪ホーム突き落とし殺人未遂犯人の伝え方
NHK 朝鮮籍で無職の中川晃大、本名裴晃大容疑者(28)
産経 無職男(28)=朝鮮籍(関西版のみ)
朝日 無職の男(28)
読売 〃
時事 〃
共同 〃
毎日 続報記事なし 謝(村田)蓮舫告発されたね、帰化書類偽造?
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都内の男性が 蓮舫代表 を告発 「二重国籍」問題で
民進党の蓮舫代表の日本国籍と台湾籍のいわゆる「二重国籍」問題で
、外国籍を喪失していないにもかかわらず、虚偽の申し立てをして
戸籍簿に不実の記録をさせようとしたなどとし、東京都在住の男性が、
公正証書原本不実記載等未遂の罪で、東京地検に告発状を提出したこと
が分かった。
14日に告発人の代理人として記者会見した弁護士が明らかにした。
告発状によると、蓮舫氏は9月23日ごろ、都内の区役所で、台湾籍を喪失
した事実がないにもかかわらず、外国籍の証明と誤信させる書面を添付し
「外国国籍喪失届」を提出。戸籍簿に不実の記録をさせようとしたなどとしている。
会見した伊東大祐弁護士は「蓮舫氏の行為には大変な問題がある」と話した。
産経新聞 3 時間前 五洋建設=オッサン上司複数が縁故入社
させた娘程の年齢の女性社員の体を触
りまくり入社数年で退職に追い込む
→セクハラ訴訟されそうになると、
パワハラで訴訟封じ込め隠蔽(大阪支店)
→今更、HPで社員教育してますアピール
→野放図社風準ゼネコン セクハラは犯
罪 >大阪府三島郡島本町のイジメは被害者が全部悪い
↑
イジメの加害者を擁護し被害者を非難するなんて
島本町は鬼畜の町だな [デマ検証] 千葉麗子さんサイン会中止、「東京堂書店に抗議や脅迫はなかった」という民進党議員に反論=DHC虎ノ門ニュース [無断転載禁止]©2ch.net
1 :夕凪らっこちゃん ★:2017/01/25(水) 15:58:43.45 ID:CAP_USER9
1月12日に予定されていた東京堂書店における千葉麗子さんの「くたばれパヨク」サイン会中止については
新聞や週刊誌も取り上げるなど高い関心事となっていますが、現在の焦点はサイン会が中止となった真相はどういうことだったのかという点です。
抗議によって中止に追い込まれたと主張する青林堂や百田氏に対して、民進党の有田議員は
「脅迫のようなものはいっさいなかった、と店長から聞いた」として手続き上の問題だったとの認識をTwitterで示していましたが、
1月24日の「虎ノ門ニュース」は百田氏が複数の「証拠」を提示して有田議員に反論する内容となっていました。
百田氏は12月上旬の段階で東京堂書店と青林堂が打ち合わせしていたとする指摘や青林堂宛に届いた請求書、それに東京堂書店側
から青林堂に届いたメールの文面、更には青林堂の社内日報まで明らかにして抗議があったと結論づけています。
最も注目されるのは1月4日の夕方、青林堂宛に書店から届いたメールとされる文面で、ここにははっきりと
「軽い脅しのような内容の電話が来ました」と書かれているのです。
また1月12日の青林堂社内日報には有田議員のツイートを受けて青林堂スタッフが東京堂書店を訪れ、書店側が
有田議員に対してどのような説明を行ったのかと確認した際の報告が記されており、書店側は「クレームが相次
ぎ、万が一を考えて『書店側』の判断で中止にした」と有田議員に対し話していたと報告されています。
こうした点から百田氏と「虎ノ門ニュース」は抗議が実際にあったと結論づけているわけですが、同時に
有田議員からの反論を受け付けるとしており、今回の放送によって今度は有田議員の反応に注目が集まりそうです。
以下全文はソースで、 BuzzNews.JP 17/1/24 17:30
http://www.buzznews.jp/?p=2105593 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています