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アンチもシンパも創価ブログを語るスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/09/14(金) 12:22:38.71ID:EfmcPrAF
翁長樹子さん(62)は、静かに、かみ締めるように語り始めた。

'85年に那覇市議に初当選。以来、政治家一筋、人生のすべてを地元・沖縄に捧げてきた。'14年の知事選では、
「日本の国土のわずか0.6%の面積の沖縄に、70%という過剰な基地負担を強いられ続ける現状を看過できない」と訴え、名護市辺野古の新基地建設断固阻止を掲げて立候補し、圧勝した。

知事就任以降は、地元の民意に反して基地建設を推し進める政府と、激しく対立した。基地問題では政府に強く抗議を重ね、その数日後には予算の請願に同じ相手の元に足を運ぶ……。
常人ならストレスと重圧で参ってしまうだろう。それでも知事は「沖縄のためなら我慢できる」と話していたという。

8月8日。知事は帰らぬ人になった。
「皆、わかってるんだ。皆、心の中では、わかってるんだよ」
翁長知事は亡くなる前、樹子さんによく、こう話していた。

「それぞれ皆、立場があったり目の前の生活であったり、事情があるから、辺野古のことも『イエス』や『ノー』、いろいろ言うんだ。樹子。沖縄の基地が未来永劫このままでいいなんて思ってるウチナーンチュ(沖縄の人々)は1人もいないよ」

闘病中の知事の「それはもう、口癖のようだった」と樹子さん。
荼毘に付された11日の、ある弔問客のことを、樹子さんはうれしそうに振り返る。

「チャイムが鳴って誰だろうと思ったら、20代の若いお嬢さんが小さな花束を持って立っていたの。」
「私、思わず遺影に言ってしまいましたよ。『こんな見ず知らずのお嬢さんが泣いてくれるなんて、あなた幸せよ!』って」

そして、弔問に訪れた人のなかには、意外な顔も。

「若手のね、自民党の県議の方が来てくれたんです。その方、議場ではさんざん翁長のことを攻め立てた人なんですよ。
今度の知事選でももちろん、玉城デニーさんの対立候補を目いっぱい、応援している。その方が目を真っ赤にして泣きながら、夫の死を悼んでくれた。
『ありがとうね、翁長もきっと喜んでるよ』と伝えたら頭を下げて無言で帰られましたけど。そのとき、思いました。ああ、夫のあの口癖は本当のことなんだなって」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180913-00010006-jisin-soci&;p=2
0002名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/09/14(金) 13:45:22.80ID:RKaRDun1
創価はカルト
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