【兵庫】日露戦争で姫路収容のポーランド人捕虜 母国で手紙の保存判明[09/16]
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日露戦争のポーランド人捕虜フランチシェック・ビンケビッチ氏が家族に宛てた手紙(ビンケビッチ家所蔵)
https://kobe-np.co.jp/news/sougou/201809/img/b_11645630.jpg
フランチシェック氏の実子で唯一存命のテオジア・ベルゲーさん(コバリック・レイコさん提供)
https://kobe-np.co.jp/news/sougou/201809/img/b_11645631.jpg
日露戦争(1904〜05年)中、ロシア兵として兵庫県姫路市に収容されていたポーランド人捕虜の手紙が母国で保存されていることが、同市のNPO法人「姫路タウンマネージメント協会」の調べでわかった。手紙には家族への送金依頼や故郷を懐かしむ様子などがつづられている。戦後に帰国した捕虜の孫は「捕虜への人道的待遇に、心より感謝します」とのメッセージを姫路市民に寄せた。(伊田雄馬)
同NPOはロシア兵捕虜と姫路の交流を町おこしにつなげる活動に取り組む一方、捕虜に関係する歴史の掘り起こしも進めている。その活動を知ったパリ近郊在住の日本人女性、コバリック・レイコさん(47)が5月、「ポーランド人の夫の家系に、日露戦争中、姫路で一時期を過ごした捕虜がいた」との情報を寄せた。専門家によると、当時の捕虜の暮らしぶりがうかがえる資料は貴重という。
コバリックさんの協力で調査を進め、捕虜はフランチシェック・ビンケビッチ氏(1880〜1938年)と判明。ロシア統治下のポーランドに生まれ、ロシア軍の兵士として中国・旅順に配置された。
同地は、数カ月にわたる日本軍の激しい攻撃の末に陥落。フランチシェック氏らは大連港から船で移送され、姫路に到着したとみられる。孫のミエチェソワフ・ビンケビッチさん(68)は、祖父が日本から送った手紙や写真、日本製のアルバムなどを保管していた。
手紙では、家族に無事を告げ、感謝の言葉や日々の暮らし、同居人などについてつづっていたほか、「故郷に帰る際の服や靴の購入費用を送ってほしい」と家族に依頼。「お札や銀では手数料を両替商に取られますが、金だと手数料が要りません」と金貨を送るよう求める一文もあった。
姫路では地域住民と記念写真を撮って交流を深め、姫路城も見物した。ミエチェソワフさんは姫路市民に感謝を伝えたという。
帰国したフランチシェック氏は1909年に結婚し、5人の子を残した。唯一存命の四女テオジア・ベルゲーさん(96)は幼少期に父から日本語の1から10の数え方を教わり、今も親族の前で披露するという。
同志社大学嘱託講師桧山真一さん(日露交渉史)は「識字率の低さもあり、ポーランド人捕虜が書いた手紙や日記、回想記などは極めて少ない」と指摘する。同NPOの田中達郎理事長(90)は「ロシア軍捕虜が姫路に伝えた野菜のビーツで、ポーランド料理を開発するなど、町おこしにこの縁を生かしたい」と話す。
神戸新聞NEXT 2018/9/16 15:00
https://kobe-np.co.jp/news/sougou/201809/0011645629.shtml 日露戦争の捕虜は日本のあちこちで厚遇してやったのに大戦後の露助の日本人捕虜の扱い方のひどいこと。。やっぱ露助はクソだな >「捕虜への人道的待遇に、心より感謝します」
なぜか無関係のシナチョンが発狂して朝日新聞と一緒に国連人権委員会で反日キャンペーンやりそう >>2
ドイツ人捕虜と比べれば人道的かもしれないよ
確か20万人が5500人になってしまった。スターリングラードの捕虜は >>5
どっちみち、ロスケは非人道なクソってことではないかw 日露戦争や第1次世界大戦における捕虜への厚遇は世界的には評価されたからね。
日露戦争の際には、ロシア軍捕虜の識字率は低く、捕虜収容所で文字を習い
日本に残留を希望する捕虜も多かったと言う。
当時、ポーランドはロシアの支配下にあった。日露戦争後に、ポーランドは
独立を勝ち取る。
第1次世界大戦におけるドイツ兵捕虜収容所「坂東収容所」「習志野収容所」では
捕虜は自由に行き来して音楽会まで開催され、戦後、日本に残留したドイツ人も
多かった。ドイツ菓子「ユーハイム」ソーセージ作りで後にロースハムを
生み出す「ローマイヤー」などもドイツ人捕虜であった。
尚、シベリア出兵では、流刑地に取り残されたボーランド孤児765人を
救出。祖国に帰国させている。 日本人は白人はもてなすけど
アジア人となるととたんに奴隷扱い >>2
オレは、以前、
分厚い日記記録の「シベリア抑留記」を読んだことがあるが、
確かに、ソ連が日本兵捕虜をダマすようにしてシベリアその他に連れて行き、重労働をさせたことは怒り以外の何物でもないが、
しかし、その日記につづられてる「ロシア兵の純朴さ」や「女性兵士の優しさ」、そして庶民の差別意識なく日本兵捕虜に接する態度などから、
ロシア人に対する印象が180度変わってしまった。
この日記を書いた日本兵捕虜は、一時40度の高熱が何日も続いて倒れてしまうが、
その中で必死に看病して出来るだけの手当をしてくれたロシア人看護婦には感動しかなかったな。 >>8
そんなことはないと思うよ。第二次大戦で出征した兵士は七割以上農民で
中国文化に一目置いてるし朝鮮人にも同情的だったよ。
戦争だから悲劇は当然あったろうが南京虐殺はプロパガンダ >>2
制圧した土地はお前らの手柄だから、あとは好きにして良いよってのがロシア流。 中央大教授だった故会田氏はとにかくイギリス人を憎んでいたな。
あいつらを絶滅させてやりたいてな調子。アミーバ赤痢に罹患させようと
湿地帯に監禁するとかロシア人とは一味違う手法
確か中隊が赤痢で全滅したらしい。オーストラリアは飛行機から突き落としたんだっけかな
個人の責任もあると思う。異常者が二〜三人いれば悲劇が起きる 良かったな
ロス家の捕虜じゃなくてよ
そーだろ
朝日新聞さん 電車内、子ども抱っこした母親に「席座りますか?」断られることも... 理由を説明したマンガに反響
http://like-goof.titikpijat.com/891.html >>9
ロシア市民は情が深くて江戸っ子に通じる
スターリンとか社会主義が悲劇を生んだけど、
(ちなみにスターリンは元々ロシア人じゃないし)
一番殺されて重労働させられて悲惨な目に遭ったのはロシア人が最多 ドイツ軍はソ連軍政治将校ぶっ殺したけどユダヤ人が多かったらしい。
ウクライナ飢餓政策もユダヤ人幹部が遂行したというし恨まれるのは当然なんですね。
ホロコースト上回る虐殺やってるわけですから偉そうな口は叩かないでほしいもんです。 >>16
人それぞれかと。
ジャップジャップ言いながら中国はロシアの親友だとも英語で書いてるロシア人もいたし
ロシアハーフでロシア国籍のキャバクラ嬢が日本人はレイシストだと被害者面してる書き込みも見た。
それでもずーーーーっと日本に世話になってて祖国には帰らない。
どちらにしても若い世代の方が日本に対する差別心は少なそうだけど。
あと第二次世界大戦のことでジャップは史上最低のやつらだ、ジャップよりナチの方が断然マシだった、原爆落とされたのはカルマだと言ってるドイツ人もいたからね。 ロシアと言っても色々な民族がいる
共産主義者もいるしユダヤ系も多い
戦前の日本は亡命してきた反共ロシア系と組んでた
戦前の日本はユダヤ系もいろいろ助けてやったけど
恩を仇で返してくるだけ
ユダヤ系とアングロサクソンは事実やイデオロギーでは無く利権でしか
行動しないから話が合わないんだよな
同じ宗教を報じてるなら別だけど >>2
ソ連=ロシアじゃないよ
一般人はそこそこ優しかったらしいよ
そもそもあの時代はいろいろな民族や捕虜がシベリアやいろいろな地域に収容されてた >>8
中国人は自国のチベット人やウイグル人を強制収容所に入れてるじゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています