【岩手】雫石・全日空機と自衛隊機衝突事故から47年[07/30]
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社会
雫石・全日空機と自衛隊機衝突事故から47年
(岩手県)
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1971年の7月30日、雫石町の上空で全日空機と自衛隊機が衝突し、162人が犠牲となった事故から47年。ことしも遺族や関係者が墜落現場で犠牲者の冥福を祈った。
墜落現場となった雫石町西安庭の「慰霊の森」には、遺族や全日空、航空自衛隊の関係者などおよそ200人が集まった。
遺族代表の小山和夫さんは「この飛行機事故は天災ではない。人災だ。人の過ちでおきた事故だ。この事故のことを多くの人に語り継いでいただきたいと思う」と語った。
47年前の1971年7月30日、雫石町上空で千歳発羽田行の全日空機と自衛隊の戦闘機が衝突。全日空機の乗員・乗客162人全員が死亡した。
犠牲者162人のうち125人は静岡県富士市からのツアー客だった。当時25歳の弟を亡くした遺族代表の小山和夫さんは、この47年、悲しみを抱え続けている。
小山さん「すぐ下の弟で年齢が近かったものだから、大きくなったら一緒に何かやろうなんてことをいろいろ話してたものだから、余計思いが強い」。
また、交流事業で雫石町を訪れている富士市の小学生36人も静かに手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。
[ 7/30 19:50 テレビ岩手]
http://www.news24.jp/nnn/news88514861.html
Copyright(C)NNN(Nippon News Network) 小学生のとき 墜落する音を聞きました
今でも 忘れられません 2年位前に車で東北旅行したときに慰霊の森の駐車場で仮眠したわ
そのあとでこの事件のこと知った。あのへんにバラバラと落ちてきてたらしいね。ご冥福を。 当時はこれが世界最大の航空機事故。
このあと JAL123 やテネリフェが記録を塗り替えたけど。
全日空はもと朝日新聞系列の会社だから、 この事故の後は
朝日が自衛隊を散々叩いてたな。 この事故覚えているが日航の事故より、んーと小さい記事だったことを思い出した 当時の空自の訓練空域に、レーダー誘導を受けずに有視界飛行でANA機が侵入して起きた事故なのに、
戦闘機(F-86)パイロットに有罪判決が出るという狂った世の中だった、、とか本で読んだなぁ >>9
他の訓練空域は塞がってたので司令官が臨時に旅客機の飛ぶエアルート沿いに訓練空域を設定した。
戦闘機もANA機も訓練空域やエアルートを逸脱してたから結局裁判は、どちらに衝突回避義務があるかに争点が絞られた。
当時は現在の様に航空機を常時監視するレーダー網が整備されていなかった。 特攻ヘリとあだ名されてたマスコミのヘリはどこの会社のヘリだったのかなぁ? 今でも航空機の空中衝突はあるからなァ
日本では責任者を追求したがるが、事故の原因は様々な要因が複雑に絡み合って、誰の責任とは簡単に言えない
一人の責任にしてしまうと、システムの改善につながらなくて、同じような事故を繰り返してしまう 多分日本で最強の心霊スポットなのではないかな?
その証拠にどのテレビ局も、どの出版社も取材をしない。
ガチでガチの心霊スポット。
人がバラバラと至る所に降って来たからな 自分が死んだことに気づいてない場合地縛霊(幽霊)になりやすい。
だからここはまじやばい。 単に標的にしてただけ。八幡平へ行った帰り長い直線道路で
100m上空を戦闘機が通って急上昇して行った事が。
背筋がざわつくって初めて経験したよ。 >>14
君はその昔戦争があったことを知らないのか?空襲や原爆を知らないのか? 慰霊の森は真夏の日中に行っても空気がヒンヤリしてる。
至る所で鳴いてるセミもここだけはいない。
周辺の藪に入るといまだに小さな残骸が見つかったりする。 いまはフライトレーダーでカリアゲがシンガポールに行くのですらモニターできるのに
この当時は全然モニターされてなかったってのが隔世の感があるww ジャンボの後ろを軽飛行機で着陸しようとしたら風でふっとばされると思った。
大型機は飛ぶ凶器。 >>6
ソース出せよ。本当か?
、全日本空輸の前身の社名「日本ヘリコプター輸送 (Nippon Helicopter)」に由来する >>17
戦闘機の方が低速で、旅客機がオカマ掘った事故なんだがねえ 世界教師マ.イトレーヤは死刑廃止と民営化反対を訴えています! 慰霊の森周辺にPAXはもとよりエンジンやら胴体やら主翼やらが集中的に落ちてる。
墜落する機体が空中分解したのは確かだが、事故報告書にあるように尾翼全てが最初の
接触で失われたのではなく、垂直尾翼と片方の水平尾翼は残っていて、対気速度が増加
する中パイロットが引き起こした際に舵の逆効き現象が起きて垂直に近い角度で落下し
音速の壁を越えて空中分解したのだろう と東大名誉教授が言ってた。 余談だが事故後しばらくは、慰霊の森周辺で車を止める幽霊の目撃談が多発。
道端で手を振って通りかかる車を止め、「ここはどこなんでしょうか?」とか
「静岡に帰りたいんです、乗せてくれませんか?」と話しかけてきたそうな。
一人の時もあれば複数の時もあったって。
姿が衣服ボロボロの上血塗れなんで目撃者は正体の見当がついて、優しく諭す事が
多かったそうだ。
慰霊の森周辺の沢が血に染まって川まで変色した凄惨な現場ですよ。 >>18
戦時中、そんなに空から人間や遺体は降ってこないだろ。 >>19
BOAC機墜落事故の残骸も発掘されそうな気がする。墜落地点から20キロメートルも離れた場所からも遺品や機体の残骸が発見されてるし。 >>24
wikiには
日本ヘリコプター輸送株式会社のルーツは、戦前の朝日新聞航空部で上司部下の関係であった美土路昌一(後に全日空社長、朝日新聞社長)と中野勝義(後に全日空副社長)が中心となり、
終戦後の民間航空関係者の失業救済を目的として、1945年(昭和20年)に設立した社団法人興民社にある。
とある 空中衝突後に自衛隊機のパイロットが
パラシュートで脱出したけどその模様を
写真に収めた人っていたのかな?
全日空機の機体の一部が上空から落下して
来た写真は見た事がある。 5年間通勤で慰霊の森の下の道路を自動車で通ったけど、なんも霊的なものは見なかったよ。
もちろん夜間も走った。そんなもんだ。
それはそうと、慰霊の森は今度改称するね。森のしずく公園に。イメージ払拭の意味もあるの
だろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています