ミキシングのコツは?
『エクソダス計画』───
いいのよ
あなたたちがカウント2040に恐怖し
今目覚めて
エクソダス計画を目指すなら
(さがしてごらん)
HIDEチャンのnoteを
月額9980円のサブスクを
もちろん
”アータ方自身”で目指してもいい
ゴールはようやく見えたのだから も
っ
と
ス
レ
を
埋
め
て
く
れ
ま
せ
ん
か
? 『エクソダス計画』───
出エジプトのルートは一つだけではない
紅海を通ってもいいし、ペルシャ湾を渡ってもいい
ラクダに乗って陸路で向かってもいい
ただ
モーセはいない
誰も導いてくれない
(それだけ、覚えていて)
あなた達が自らモーセにならなきゃいけないの 『エクソダス計画 AFTER』
ゴブリンの場合───
ゴブリン
(おのれHIDEチャン!いつもいつも!聞きたくない未来のことばかり述べよって!
ボキは田舎暮らし!収入は安いが固定費も安い!大丈夫!大丈夫!
ただ、言わんとすることは分かったに。ボキとて、何もかも楽観しているわけじゃない。
日本は限界。その度合いはともかくとして、見解そのものはにっくきHIDEチャンと同じに。
ボキは共産主義を押してきた。けど難しいとも思っていた。それは「シルバー産業しかなくなる」という
一文がよく説明してくれたに。そう、結局すべては少子化でこの国の行政にはどのみち成すすべがない。
誰が悪いとかじゃなく。おのれHIDEチャン!
ただ今いち実感しづらい。この平和な世界があと20年で本当にそこまでの地獄になる?
まだ日本の国庫にはお金があるじゃない。国が搾取をやめて社会にお金が回ればいくら高齢化でもある程度産業を回せないの?
そこの計算、ちゃんとしたことはないけど。死ねHIDEチャン!
エクソダスは無理。それはHIDEチャンみたいな「根なし草」「寝ぐせ平気」な人だけ。
一番安いフィリピンだってとても払えない額の見せ金が必要だわ。
死ねHIDEチャン!)
『エクソダス計画 AFTER』
ゴブリンの場合───
ゴブリン
(まずは岸田ヤメロ。国葬なくそう。消費税減税。新自由主義。
ボキはまだ詳しいことは勉強中だけど、できることをすれば経済は回る)
(ただ───)
(1980年というきっとバブルで一番豊かだった時に2000年って想像できたのかしら?)
(できたとしたら1980年の人が描いたワーストケースが2000年よね)
(そして2000年の、まだ日本に技術と誇りがあった時代の人が描いたワーストケースが今なんじゃない?)
(むしろ描けないくらい状況は悪いわ)
(だとしたら)
(2040年はアタシたちが思う以上の地獄ってのは蓋然性としてありうる)
(また嫌な話を聞いちゃったわ)
(おのれHIDEチャン)
(中卒のくせに!) HIDE「レンタルロレと貸衣装だけでよー戦ったわい!HIDEちゃん偉い!」
↓
朝、何も無い現実に戻る
↓
無限ループ おはよう(ーωー)
ガイジが深夜まで爆ぜ爆ぜしてて(ーωー)
音楽作れない業界にコネもない人が2040年の話をしてもね(ーωー)
その時はその時で何とかなるでしょっていうのが僕らなの(ーωー)
僕の生き方を分かってくれるお嫁さんとかわいいちゃいるど(ーωー)
好きな音楽で生活できて感謝しかないのです(ーωー)
ストックNFTディスコード僕らの周り期待膨らむ未来しか見えなくて(ーωー)
朝からブリブリが止まらない感じですの(ーωー)
作曲能力ほど流動的な資産はないと思うけど?(ーωー)
円安なら海外円高なら国内(ーωー)
傾向とジャンルを押さえて作りこんでいけばいいのれす(ーωー)
未知のジャンルだと色々身について嬉しさビニョーン(ーωー)
楽しさビヨーン(ーωー)
これが一生続く幸せ(ーωー)
それが音楽で生きて行く美味しいご飯を食べるって事なのれす(ーωー) このスレはどんな名ミキサーでもミックスできねえ
音が壊れないように以前に素材自体が壊れてる 〜あとがき〜
HIDEチャンは恐れ入っていた
2040問題
ブログとnote用のアウトプット(頭の整理)とはいえ
[整理するんじゃなかった]
と思えるほど現実味を帯びて恐ろしい
読者からはさまざまな反響があった
「オイラ平気だい!(ゴブリン)」
「この国の音源はビットレートがそもそもおかしい(sage人)」
「へっちゃらだい!(のほほーん♪)」
HIDEチャンは身震いした
恐(おとろ)ろしすぎる未来はこの曲がり角まがってすぐ・・ 「オイラ、この国に残る! (残るのではなく出れないだけ)」
「老害しかいなくなった凄惨ワールド(日本)を見届けてやろうじゃないの!」
「なに、裸で徘徊する老人の1人2人」
「ドア前に落ちている人糞の1本2本」
「へっちゃらだい!」
一方エクソダス計画に成功した「日系外国人(リーシ ワイグォレン)」は
質のいい住民にかこまれた最新のレジデンスで子供に「ちゃんとした教育」を施しつつ
時々、金の時計やダイヤのチェーン買ってイキったり
イキイキしたり
してましたと
〜あとがき 終〜 もうね
もう 「俺が!」 なんですよ
「今が!」 「俺が!」 「今俺が!」
世界のすべて
そこに未来や他者は存在しないんですね
だから「花束投げちゃえ!」となる
「だって俺が!今が!今俺が!」
皆さん、想像してください
こういう老人がコミュニティの全員となる世界を
2040
です・・・
「言うてますけど」 年を取れば取るほど「今」「俺」が重要になってくるワケ
20年後、30年後どうしようと思えるのは若いからなんですね
不安がありながらも、未来に希望を託せるのは時間がたくさん残っているからなんです
初老(老人)はね
今にフォーカスする以外にないんですワ
「いや今!だって俺が!今俺が!」
これがすべてになるんです
ここで!今!俺!爪痕を残さなきゃ!今しか!
「花束を投げる」ってなるわけですよ
右を向いても左を向いてもそんな老人に囲まれる世界
無間地獄 (スキマなき地獄)
分かるかなぁ・・想像できるかなぁって話・・なんよネ
ゴブみたいに「へっちゃらだい!全部シェークスピア!」みたいに物事を単純化してとらえる事が可能ならば
その持ち前のタフな感受性できっと順応できるのだろうけど
皆さんは・・・ねえ
きっと難しいですよ・・発狂しないまま正気でいつづけるの
言うてますけど 『敦盛アフター』
それはHIDEチャンまでもが「正気を保てないだろう」と言う異次元世界
2040年の日本
大抵のことは「スンスンッ」としながら
寒い夜にもアイス食べてペルセウス座流星群を眺めてる
そんなHIDEチャンが
無理だとハッキリ言っている
「対応不可能」「イグジットするしかない」と
どんだけの
どんだけのHELLなのだろうか?
平均年齢50代超え
『敦盛アフター』
見渡す景色ほぼ老人
これは人類が体験したことのない発狂世界なんですよ 「老人は老人だけにしてはいけない」
───老子の言葉である
老子が言わんとしたのは若い世代が混ざっているから老人は節度を保っているのであり
仮に老人だけになってしまったコミュニティは凄惨を極めるということである
老人には「未来」がない
だから「今」だけが重要
「今納得できない」ならば今解決するしかないのである
その手法はただ一つ「文句を言う」である
植木鉢がはみ出ている はみ出ていない いやはみ出ていた
こうしたことが日々の争点となる
じじつ老人だけのコミュニティに数年かかわると
まともな精神は「発狂」し
しばしば凄惨な事件が起こる 「エテメゲー・・」
2040年───日本、田舎
ゴブリンはベランダに立ち、硬直したまま下あごを突き出して声を漏らしていた
「エテメゲー・・」
「はッ!ボキは何を!?」───我にかえるゴブリン
「ついついまたボケッとしてしまったに!しごとしごと。家事もしなきゃ!」
日本は2040年という「約束されし地獄(プロミスドヘル)」を迎えていた
ゴブリンは思う────あの日、HIDEチャンが言っていたことは確かに現実になっている
見渡すとどこもかしこも「老人」しかいない
毎日のように裸で徘徊者する老人もいれば、時折、「植木鉢がどうしたこうした」「ふざけるな」といった怒鳴り声も聞こえる
でもそれはそれ!ボキには幸せな家庭と、少額とはいえ音楽の稼ぎがある!だから、へっちゃら!
「これがボキの生き方ね」
「HIDEチャンめが言うほど悪い世の中にはなってないにね!」
「エテメゲー・・」
ふたたびゴブリンは体を硬直させ下あごを突き出して声を漏らす
「エテメゲー・・」 「オガジグー」
狂気は伝染する
老人だけになった痴呆自治体では、例えまともな精神を持っていても確実に浸食されてゆく
「エテメゲー・・オガジグ・・・」 「ギャメデ──!!」
ゴブリンは下あごを突き出し、笑いながら、しかし目からは涙を流していた
正気と狂気の戦い
それは正気側にとって絶望的な戦争─── ”頭がおかしくなっていく!!!”
ゴブリンも気づいていた
自分以前にも、周囲の人間が一人、また一人とエテメゲおかしくなっていったからである
とくにデイケアや老人施設に従事した人は50%近い高確率でエテメゲになってしまうことがニュースでも取り上げられた
”エテメゲおかしくしないで!”
そう叫んで40代の女性が鉄橋から飛び降りたのはつい先週だ
最後の理性は、〇するかわりに自分が〇〇するという選択
ゴブリンとて、自分にもそうなるリスクはある───そんな予感はあった
しかし抵抗は可能だと思っていた
「ボキには幸せな家庭、音楽でサブスクできる環境、なによりドーンと構える大らかさがあるに!」
「むしろHIDEチャンのような神経質の血液AAA(トリプルA)型だったらオカシクなっちゃうにね!」
「その意味ではHIDEチャンはさっさと国から逃げて正解」
「勝手に外国で野垂れ死ぬがいいに!」
「エテメゲー」
ゴブリンは体を硬直させ下あごを突き出して声を漏らす
「ギャメデ!!」
口角をめいいっぱい上げ、しかし目からは涙を流していた
3人に1人が75歳以上
僕らが思っているほど「後期高齢者はまとも」じゃない
その「まともじゃなさ」に囲まれたら
誰でもエテメゲおかしくそうなる
誰でも・・ 「孫が来る時だけ、めいいっぱい笑顔になる」
それが後期高齢者である
孫だった僕らは、そんな素敵なおじいちゃん、おばあちゃんの顔しか見てこなかった
介護型ケアハウスに従事して2年
────僕はもう限界です
「エテメゲー!」
地域で一番若い41歳の少年は「キケン立ち入り禁止」と書かれ封鎖された雑居ビルから飛び降りた
”この地獄を終わらせて!”
2040年代、日本に残った誰もがそう考えていた
40代はいともたやすく発狂した
50代60代はまだ辛抱づよくシルバー産業に従事して後期高齢者を介護した
自分たちは介護されない
それはわかっていた
後の世代はもういない、産業もない
50代60代は自分の番になったら野垂れ死ぬとわかっていてもお年寄りを背負った
そこには世代の分断を超えた、ある種の強い信念、連帯感があった
そんな彼らの頭は決しておかしくならなかった
最後まで、人間として、正気を保てたのである
幸か、不幸か────。 ゴブリンの一本野糞に必死で飛び付く腹空かした犬みたいだなw
怒りの100連騰マジ草 デカいモニスピで作って&キツいモニスピで確認
これだ プラグインは何でもかんでも良いと言うものではない。
音をよく聞け。
世の中にあるプラグインの8割は音が悪くなる。
良いプラグインを使う事やな。 >>135
はなからローカットしてるスタジオとかあるよな それはローのランブルが酷いからだよ 下手するとホームスタジオより酷いからね 元のローカットはしてるけどそこからロー成分足してることは多い 40Hzでローカットして60Hz持ち上げるとかもあるから何とも
結局欲しいカーブがどうかによる 結論から言うとみんなベースとか以外はローカットしまくってるよ
ただ極端なことはしてないだけ 下手なローカットは中域の太さやコシ、存在感を損なうからね
ピアノで言うとこのC3~C4辺りの音も70~80Hzが太さを決めてる 確かにね
でもピアノが低音出過ぎてるとベースと当たるからムズイのよね
周りの音数との兼ね合いを意識してAメロBメロサビでトラック分けて処理するとうまく行ったりするけど結構面倒
みんなどうやってるのかな >>142
それ普通にやってるわ
あと伴奏からソロの切り替えの時とか
エフェクターのオートメーション組むよりそのままトラックコピって必要なエフェクターの調整だけしてる やっぱ手間かけてやってるのか
マルチバンドコンプかけて他のパートのサイドチェイン入れて〜みたいなのを入れ子構造みたいにしたら時短できるかなとか思ってやったこともあるけど、結局トラック分けた方がシンプルに見やすいし早かったわ 分ける分けるw
トラックは無制限だからね
どんどん分けてグループでまとめちゃう 実際、周波数=音程だから
色々な音域の楽器が共存するというのはその時点でもう理にかなってるはずなんだよね
よく見る「この楽器は○○hzをカットorブーストしましょう~」みたいな確定的な言い方の記事は参考にしない方が良い
曲や演奏によってそれが大きく変わってしまうから
実音を大事にしろということで
ギターの5弦開放=220hz
ベースの3弦開放=110hzみたいな
440hzを基準にした大まかな周波数と音程の関係を頭に入れとけと教わってから
ミックスが大分楽にこなせるようになった ラップボーカルのコンプのリリースタイムってやっぱりはやいほうがいいですか? ラップにコンプなんかダリーよガッツリテープにつっこんで歪ませろ ミックスのコツなんかなくて、結局オートメーションでその都度カーブ書きまくるのが一番クオリティ上がるように思う オートメーションがまだ無い時代にも素晴らしいミックスはたくさんあるのだよ 現代でも生一発で質感やバランス整ってるのもあるのでそれは分かるけども オートメーションてのは本来自然では起こらない事よね
一定の強さで弾いてるピアノの音量が可変したりなんてしない
だけど他に大きな音がそこに加わればかき消されて小さく聴こたりする
それは人間の耳という受け手側の挙動であり自然な現象
その人間の耳の挙動はコンプレッション効果であり単にボリュームの変化だけではなくアタック感や音色までもが同時に変化する
それがナチュラルな音楽(音の聴こえ方)だと思うし、そんなナチュラルな聴こえ方に人間は本能的に心地良さを感じるんじゃないかとも思う
だからと言ってオートメーションを否定するわけではなく、その人工的で不自然な効果はある意味近未来的であったりコラージュ的であったりして録音芸術作品に於けるひとつの表現方法だと思う
要するにケースバイケース
どちらかが全てではないと思う デジタル的な打ち込みにそれは言えるとは思う。
音に関してはコンプの時点で自然な音じゃない いや、コンプは自然現象(生体反応)のシミュレート
人間の耳はコンプ機能が付いてるんよ
その機能が発動しない音量でも発動してるかの様にシミュレートしてる(つまり実際は小さい音でも大きく鳴ってるかの様に聴かせる)のがコンプ
耳元で大きな声(や音)を出されたら鼓膜が「キュン」と閉じる様に圧縮される現象 人間の耳は鼓膜に入ってくる音量を一定に保とうとする
だからライブ会場ではトータルコンプは要らない
でもその音声をそのまま収録してテレビやオーディオで控えめな音量で聴くとデコボコに聴こえる
その理由は人間の耳に備わってるコンプのスレッショルドを越えていないから 引き算
つい足したくなるけど悩んだら引き算
判断間違えても引き算なら悪化しないから コンプとマイクのプリアンプはこだわる価値がある
コンプとプリ通した時点でイマイチだったらその後いくら加工しても個人的に満足いく音にはならないなあ