【語学】英語の達人が社内公用語に賛成しないワケ
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グローバル化に対応しようと、英語を「社内公用語」とする日本企業が増えている。しかし導入でコミュニケーションにトラブルが起きることもあるようだ。英語とはどう関わるのが正解なのか。NHKラジオ「実践ビジネス英語」講師を務めている杉田敏さんに、イーオンの三宅義和社長が聞いた――。(後編、全2回) 【三宅義和・イーオン社長】ラジオというのは、依然として英語・英会話学習に役立つメディアです。テレビもそうでしょう。最近では、ITやAIといったテクノロジーの進歩によって、いろいろな学習方法が選択できるようになりました。 日本を訪れる外国人観光客も急増し、2020年には東京オリンピック・パラリンピックがあります。それに伴って、英語への関心も高まってきています。 【杉田敏・NHKラジオ「実践ビジネス英語」講師】世の中には、英語の学習熱が高くなるタイミングがある気がします。自国でのオリンピック開催はその典型でしょう。20年近く前、カルロス・ゴーンさんが日産自動車にCEOとしてやって来た時には、銀座地域一帯の英語学校が満員になったと言われました。 外国人がトップになったら、まずやるべきことは英語でのコミュニケーション能力のアップだというわけです。おそらく、スクール以外にも、オンライン英会話とか、やはり手近なところでラジオやCDを活用した人もいることでしょう。 私は、英語の学習のためには「サンマ」、つまり3つの「間」が必要だと、近著『成長したければ自分より頭のいい人とつきあいなさい』に書きました。それは「時間、空間、仲間」のことで、この3つ間を利用して努力することです。とにかく、勉強するための時間をつくり出さなくてはならない。そして、英会話学校に行くか、自宅なのか、あるいは勉強をするのに適した「第三の空間」(例えばスターバックス)を見つけなければならない。そして一緒に学ぶ仲間も大切です。私の番組のリスナーの集いなどもあり、同じ教材で勉強している人たちが一緒に勉強に取り組んでいます。 英語を学ぶ学習者もいろいろ変わってきています。ラジオの魅力も再評価されています。いろいろなものを組み合わせて、その人にあった勉強法を見つけるべきです。もちろん英語学校にいって勉強をしたほうがいいという人は学校に行くでしょうし、時間がないから電車の移動中しかできないという人もいます。 【三宅】まったく同感です。どうも日本人というのは、何事も二者択一になりやすい。つまり、英語の勉強なら英会話学校に通うのがいいか、家で独習するのがいいか。外国人の先生か日本人教師かといったようなことです。そうではなく、いろんなやり方があって全然かまわないわけです。講師と向き合って会話することも力がつきますが、ゲーム感覚で英語にチャレンジするのもいいでしょう。要は、どれだけ本気になって、あきらめずに続け、英語の実力を身につけられるかが大事でしょう。 【杉田】その通りです。 【三宅】ところで、杉田さんはずっとビジネスの最前線で英語を使い続けてこられました。そこで、お聞きしたいのですが、いくつもの日本企業が英語を社内公用語にし、英語資格試験を昇格・昇級の条件にしています。その動きは東京だけではなく、地方にも拡大しているようです。こうした動向をどう見ていますか。 【杉田】私はあまり賛成しません。例えば、中国に進出している日本企業の中にも、英語を「公用語」にしているところがいくつかあります。日本人と中国人がいるから、英語を共通語にして、仕事をはかどらせようということだと思います。ところが、それでどれだけコミュニケーションが達成できているかとなると非常に疑問です。 拙い英語に日本語と中国語が混じり合って、かえって意思の疎通を阻害している。一番の弊害は、英語の不得意な人はまったく蚊帳の外に置かれてしまうことです。これは人材を活用するという面からも残念なこととしか言いようがありません。 やはり母語としての言葉が、ビジネス上で戦略的思考をするための重要な武器です。日本語できちんと考え、正確な文章を組み立てるということがまずは大事ではないでしょうか。 以下ソース http://president.jp/articles/-/23613 >>765 >所有している状態を表すからこそ、対象と強く結びつき >一体化し対象をこそ指し示す現行の用法になったのだろう。 >これにしても所有の「状態」を付け加えるものであり >「動作」を表す語ではない。 >だから「が」を動詞とするのは間違いである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E8%A9%9E >動詞(どうし)とは、品詞の一つで、主に動作や状態を表し、 >項として主語や目的語などの名詞句をとる語である。 「が=持つ」は状態を表している。 だから立派な動詞でしたね。 >あなたの主張は意味だけを取るならあながち間違いとは >言えないから困るのである。 何が困るのw >悪性の癌のようなものですっぱりと正常な組織と切り分けられない。 >また、「は」も存在の意味を帯びている。 >だからあなたが「あり」という(be)動詞だと >主張するのも意味としては否定しにくいが、 >用法として動詞ではないのである。 癌呼ばわりとはねえ、必死だなw 意味として「は=あり、が=持つ」であるならば それは、実態としてそういう風な日本語だったということ。 それで意味が通るならば、よりよく日本語が理解出来るならば、 それが日本語の正当な解釈、とらえ方だよ。 「は=あり、が=持つ」ならば、そのことで お前の身の上に、深刻な事態が生じるとしか思えないな。 利権でもあるのかw >「が」を所有を表す語とする用法は現代では「我」のように >一語になっていたり古い用法として痕跡的に用いられているだけである。 >「が」の所有を表す用法は今では「の」に置き換わっているので、 >あなたの説明は「の」にも適用できるはずであるが、 >「象は鼻の長い」ではあまりに不自然で理解は得られないのじゃないかな。 「君が代、我が家」は一番古い用法が、今でも現役ですね。 塞翁が馬、逃げるが勝ち…いっぱい現役で使われている。 それと「の」は「が」と音が違いすぎるんで 出自が違うし、意味が違うと書いたはずだ。 「象は鼻の長い」と言わないのは 「の」は動詞アガリじゃないからだろう。 前にも書いたが、意味のとらえ方は良いとして、 「は、係り助詞」、「が、格助詞」と誤認したのが悪いんだ。 お前が悪いんじゃ無いよ。 先立って間違った人間が悪いんだ。 男は黙ってサッポロビール。→A man is Sapporo beer in silence. ????? >>772 >これから象の話したいと思っているかどうか、 あなたの説によると、話者は「象あり」と言っているんでしょ。 で、そのあとに象についての蘊蓄が続く。どう考えても象の話が したいんじゃないか。 >それが何の意味があるの? だから、ふつうは「象は」→「象のことなのね」であり 「象は」→「象あり」→「象のことを言おうとしてるのかな」ではない。 「象は」と言っただけで「これから話す事は、象の話しですよ」とわかる。 >言葉は変化しないはずだからね。 ん、同じ心象風景が浮かんでもそれをちょっと洒落て使ったり、言葉遊び したりして、その用法が定着すると変化していくでしょ。 >この人達のは、たぶん日本語はSOVだと言う人達だが この人たちも日本語を欧米語の文法で何とか説明しようと努力したんだね。 でも日本語はそのような構造になってなかった。今に至るまで誤用の元になっている。 >>709 日本人は日本人とコミュニケーションできるの? 話し合い、ができるの? 本音ぶっちゃけるとドンビキしないか? テレパシーで交流してるように見えるのだが >>774 男は黙ってサッポロビール (を飲む) (を飲め) (を飲んだ)等が略されてる 自分の価値が消滅するからでしょ 多国語の翻訳とか通訳みたいな隙間産業で生きてた人が無価値になると >>773 >だから立派な動詞でしたね。 状態を表す動詞はbe動詞だけでしょ。英語はSVが基本構造。だから 存在を表すbeも動詞として扱った。でも、これを動詞と言うと、動作 じゃないのに動詞かいといちゃもんつけられそうなので、わざわざ be動詞と名前を付けて納得しているだけ。 で、わたしの言っていることは「が」は排他的限定を表すであり、来歴から 所有の意味があると言っても >これにしても所有の「状態」を付け加えるものであり なので動詞ではない。あなたは「は=あり」としているので「は=be」で 「は」はbe動詞だから立派な動詞でしたね、とは言えるかもしれないが この解釈は「俺はコーヒー」を「I am coffee」と誤訳するもとになる。 あなたの説明は意味と用法が入り混じっているので、どう不都合な部分を 説明しても、都合のいいところから攻めてきて食い止めにくくて困るんだ。 >何が困るのw >癌呼ばわりとはねえ、必死だなw で、上記のことが困る。悪性の癌は、癌組織と正常組織が入り混じっていて 良性の癌のようにきれいに切除できないでしょ。その類推で癌と言っただけで 他意は無い。確かに不適切な表現ではあったが悪く思わないでね。 >お前の身の上に、深刻な事態が生じるとしか思えないな。 うん、背中がむずむずする。 >塞翁が馬、逃げるが勝ち…いっぱい現役で使われている。 それを痕跡的に用いられていると言っている。ところで逃げるが勝ちは「の」と 同じ用法か? >>768 あれ、英単語を使ったインド方言って感じだけどな ピジン英語の聞き取りに慣れている人には通じやすいが >>1 >>『成長したければ自分より頭のいい人とつきあいなさい』 これも可笑しいわ 相手もバカとは付き合いたがらない みんながこれを実践すれば、おいかけっこして終わる 大阪の会社なのに標準語が公用語になってる会社なら知ってる。 >>775 >あなたの説によると、話者は「象あり」と言っているんでしょ。 >で、そのあとに象についての蘊蓄が続く。 >どう考えても象の話がしたいんじゃないか。 全然違うよ。 「象は」と言った時点では「象あり」としか言っていない。 次にどんな言葉が続くかは、話者のmindを透視出来たり、 占い師か予言者でも無い限り、分からないはずだ。 みんながみんな、占い師や予言者、透視家じゃないよ。 >だから、ふつうは「象は」→「象のことなのね」であり >「象は」→「象あり」→「象のことを言おうとしてるのかな」 >ではない。 これも違うな。 「象は=象あり」の時点では 「象のことを言おうとしてるのかな」というのは たまたま、そういう人がいるかもしれないというだけだ。 蟻かもしれないよ、言いたいことは。 >この人たちも日本語を欧米語の文法で >何とか説明しようと努力したんだね。 彼らが、どう努力したかは、わからない。 でも結論としては「日本語はSOV」になったようだ。 俺の場合は、たまたま「日本語はSVO」になった。 理由は、さんざん書いた通りで、どこにも間違いがない。 >>780 >態を表す動詞はbe動詞だけでしょ。英語はSVが基本構造。 >だから存在を表すbeも動詞として扱った。 >でも、これを動詞と言うと、動作じゃないのに動詞かいと >いちゃもんつけられそうなので、わざわざ >be動詞と名前を付けて納得しているだけ。 そうそう、動詞の定義↓ >動詞(どうし)とは、品詞の一つで、主に動作や状態を表し、 >項として主語や目的語などの名詞句をとる語である。 > 時制がある言語では、一般に動詞が時制を示す。 だから「は=あり」だから、助詞に見えるかもしれないが もちろん動詞だ。 たまたま、英語で言えばbe動詞だね。 >わたしの言っていることは「が」は排他的限定を表すであり、 >来歴から所有の意味があると言っても >>これにしても所有の「状態」を付け加えるものであり >なので動詞ではない。 状態を付け加えてるんだから、動詞の資格は十分だね。 お前によると、形容詞も状態を表して「あり」の意味が あるんだったな。 活用もするし、形容詞は動詞だよな。 因みに名詞も状態を表していて、 名詞がアタマに浮かんできたら「あり」の意味がある。 名詞も動詞の資格は十分すぎるくらいにある。 >この解釈は「俺はコーヒー」を「I am coffee」 >と誤訳するもとになる。 google翻訳してみると 「俺はコーヒー = I am a coffee.」 となって、どこにも間違いが無い、どこが誤訳なんだ? >ところで逃げるが勝ちは「の」と同じ用法か? 何度も書いているが、「の」は「が」と出自が違う。 だから根本的な意味が違うんだよ。 「逃げるが勝ち」=「逃げる 持つ 勝ち」 逃げるが持っている、逃げるクンが何かを持っている、 何を持っているかというと勝ちを持っている。 そういう意味だ。 google翻訳だと 「逃げる 持つ 勝ち = Winning with escape」 俺が英訳すると 「escape has win. escape gets win. escape is win.」 google翻訳すると全部「エスケープは勝つ」になるね。 >>784 >蟻かもしれないよ、言いたいことは。 何で象について以外のことが続くかも、と考えるのか解らないな。 じゃ、「象は」に続けて蟻について言っている例を示してよ。 >>785 >だから「は=あり」だから、助詞に見えるかもしれないが >もちろん動詞だ。 私としてはbe動詞は例外扱いなんだと言ったつもりなんだけど。 いわば、なんちゃって動詞。これを普通の動詞だと言うと話が 無茶苦茶になる。 >状態を付け加えてるんだから、動詞の資格は十分だね。 >活用もするし、形容詞は動詞だよな。 >名詞も動詞の資格は十分すぎるくらいにある。 ほらね。形容詞も名詞も動詞だなんてことを平気で言い始める。 無茶苦茶でんがな。 >となって、どこにも間違いが無い、どこが誤訳なんだ? 「お飲み物は何にいたします?」「俺はコーヒー」の状況で 「I am coffee」と答えることのどこが正しいんだ。 まるでgoogle翻訳を神のように思ってるんだな。ここは機械翻訳の 未熟さを感じるところだろうに。 ま、googleさんも悩んだと見えてaを付けているところがかわいい。 >逃げるが持っている、逃げるクンが何かを持っている、 >何を持っているかというと勝ちを持っている。 バタ臭い。 君が代 → 君の代 我が家 → 我の家 塞翁が馬 → 塞翁の馬 以上、所有の「の」に置き換えられる。一方「逃げるが勝ち」は 排他的限定の「が」だ。「の」で置き換えると不自然になる。 英語なんて日本語の1万倍の語彙があるんだが(格変化とか地域idiom含めると) あんなの全部覚えないとアメリカ方言とかBBC方言全く理解できないから凄まじい 単語量だよ >>786 >じゃ、「象は」に続けて蟻について言っている例を示してよ。 簡単だ、「象は蟻」、これでわかったか? >>787 >私としてはbe動詞は例外扱いなんだと言ったつもりなんだけど。 >いわば、なんちゃって動詞。 >これを普通の動詞だと言うと話が無茶苦茶になる。 んじゃ動詞と呼ぶのはやめようよ、紛らわしい。 >ほらね。形容詞も名詞も動詞だなんてことを平気で言い始める。 >無茶苦茶でんがな。 あのさ、英語では動詞と名詞は同じだよ。 全部じゃ無いけど、動詞=名詞、名詞=動詞だ。 日本語でもこれは同様で、動詞の連用形は名詞だ。 形容詞にも「あり」の意味があるんだろ? 活用もあるし、だったら動詞で別におかしくない と思うけどね。 >「お飲み物は何にいたします?」「俺はコーヒー」の状況で >「I am coffee」と答えることのどこが正しいんだ。 「俺はコーヒー」と単独で言われたら[i am coffee]で正解だよ。 「我が輩は猫」と単独で言われたら[i am cat]しかない。 でも「お飲み物は何にいたします?」という前振りがあるなら 「俺(の注文)はコーヒー」で[my order is coffee]になる。 同じく「お飲み物は何にいたします?」という前振りなら 「我が輩(の注文)は猫」で[my order is cat]になるんだよw >君が代 → 君の代 >我が家 → 我の家 >塞翁が馬 → 塞翁の馬 >以上、所有の「の」に置き換えられる。 >一方「逃げるが勝ち」は排他的限定の「が」だ。 >「の」で置き換えると不自然になる。 何度も繰り返すけど「が」と「の」は出自が違う。 本来は意味も違う。 「の」の出自が何か、まだ分からないけど。 だから機械的に「が」を「の」に置き換えるのは間違いだ。 「が=の」は間違いだ、「が≠の」だ、「が=の」じゃない。 もし単純に、機械的に置き換えたいならば「が=持つ」だ↓ 君が代 → 君 持つ 時代 我が家 → 我 持つ 家 塞翁が馬 → 塞翁 持つ 馬 逃げるが勝ち → 逃げる 持つ 勝ち これらの文言は、結果として全てSVOだ。 よく見てみれ、SOVじゃない、日本語は。 >>790 > >私としてはbe動詞は例外扱いなんだと言ったつもりなんだけど。 > >いわば、なんちゃって動詞。 > >これを普通の動詞だと言うと話が無茶苦茶になる。 > > んじゃ動詞と呼ぶのはやめようよ、紛らわしい。 動詞と同じ所がたくさんあって ただ特殊な所もあるから 分類を細分化しただけ 呼び名はあくまで呼び名に過ぎず 「動詞」と付けなければ 動詞と共通の属性がなくなるわけじゃない 体より名を取る命名バカに陥ってる >>790 ここの書き込みは意味を成してないぞ。自分で言ってておかしいと 思わないのか?おふざけが過ぎる。 >簡単だ、「象は蟻」、これでわかったか? それ、象についての叙述だ。 >んじゃ動詞と呼ぶのはやめようよ、紛らわしい。 動作を表さないのに動詞のように使ってるんだ。そうすると 全てSVで説明できて具合がいい。でも、気持ち悪さが残るので be動詞(存在動詞)と名付けて区別してるんだ。 >日本語でもこれは同様で、動詞の連用形は名詞だ。 象、犬、花、これらは名詞だよね。これらは動詞が連用したもの だそうだから連用する前の動詞があるはずだよね。それは何? >形容詞にも「あり」の意味があるんだろ? 意味が付帯するのとそのものズバリとは違う。 >「俺はコーヒー」と単独で言われたら[i am coffee]で正解だよ。 正解ではない。日本人は決して[i am coffee]と言う意味にとらない。 >「我が輩は猫」と単独で言われたら[i am cat]しかない。 「我が輩は猫である」な。[i am cat]しかないことはない。状況によって 「I like cat」になったりする。それは日本語の構造がSVOで表せないからだ。 >何度も繰り返すけど「が」と「の」は出自が違う。 出自が違うのは>>611 で >「が」と「の」についてはややこしいね。元々は別のものだったのが、似たような と返答済み。もう少し付け足すと「が」は密着性が高く「の」は低い時に使われている。 古典的表現で所有を表す「が」は現代表現で所有を表す「の」で置き換えても不自然にならない。 >よく見てみれ、SOVじゃない、日本語は。 私は日本語がSOVであるなんて一言も言ってない。もちろんSVOであるとも言ってない。 そのような西洋式の構造になってないと言っている。 もう、まじめに答える気も無いようなのでいいです。 >>792 >>よく見てみれ、SOVじゃない、日本語は。 >私は日本語がSOVであるなんて一言も言ってない。 >もちろんSVOであるとも言ってない。 >そのような西洋式の構造になってないと言っている。 >もう、まじめに答える気も無いようなのでいいです。 SVOか、SOVか、どっちなのか、わかりにくいなw 最近の数年、2chで私の主張を繰り返してきた。 極たまに、賛成の人もいるかなと思う時があるんだ。 ぐらついているのかw いいと言うから、これだけにするよ。 >>何度も繰り返すけど「が」と「の」は出自が違う。 >出自が違うのは>>611 で >>「が」と「の」についてはややこしいね。元々は別のものだったのが、 >似たようなと返答済み。 んじゃ同じ主張だ、それでOKだ。 >>「我が輩は猫」と単独で言われたら[i am cat]しかない。 >「我が輩は猫である」な。[i am cat]しかないことはない。 >状況によって「I like cat」になったりする。 >それは日本語の構造がSVOで表せないからだ。 ここは一言、 「我が輩は猫」と「我が輩は猫である」は全然違うぞ。 意味的には酷似しているけど「である」が違うよ。 「である」=「で+ある」 「我が輩は猫」=「我が輩 あり 猫」 「我が輩は猫である」 =「<我が輩 あり 猫> で+ある」 =「<我が輩>S ありV 猫O」 で+あるV 「ある」に「で」という役が付いている。 まあ、役付の「あり」だ。 もう一方の見方として 「<我が輩 あり> <猫 で+ある>」 もある、これだと重文かな。 もう一つ 「「<我が輩 あり 猫> で+ある」」 これだと文が二つだが、複文かな。 入れ子になっている。こういうのは時枝文法だったかな。 <我が輩 あり 猫>が主語、名詞句Sだ。 「我が輩」=「我 持つ 輩」で複数な気がするけど単数だな。 複数だから自分に対する尊敬、つまり自尊の気持ちかな。 「我が輩は猫」は[i am cat]しかない。 [i am cat]と[i like cat]は全然違う。 BBCは国外の公共テレビ局や公共ラジオ局にコンテンツを提供する前提で作っていて ニュースやドキュメンタリー系は海外の非英語圏の人でもわかりやすいように難しい単語や表現は使わない わかりやすいようにわざとゆっくりしゃべっている 英語学習者が参考教材として使うことも念頭に わかりやすいゆったりとした英語を使っている 完全国内向けのコンテンツは早口でリアルなネイティブの英会話が多い >>792 >>「俺はコーヒー」と単独で言われたら[i am coffee]で正解だよ。 >正解ではない。日本人は決して[i am coffee]と言う意味にとらない。 そういう意味に取るよ。 >>日本語でもこれは同様で、動詞の連用形は名詞だ。 >象、犬、花、これらは名詞だよね。これらは動詞が連用したもの >だそうだから連用する前の動詞があるはずだよね。それは何? 「象、犬、花」の動詞は「象する、犬する、花する」だよ。 昔からの動詞は連用形が名詞だ。 新しい言葉には、例えば、 「説明する、手術する、通電…する」とか、あと 「ドライブする、フライトする、プランする、チェックする…」 「する」を付けると、日本語では全部動詞になる。 違和感ないだろ、「権威」と共だったから、慣れが早かった。 >>んじゃ動詞と呼ぶのはやめようよ、紛らわしい。 >動作を表さないのに動詞のように使ってるんだ。そうすると >全てSVで説明できて具合がいい。でも、気持ち悪さが残るので >be動詞(存在動詞)と名付けて区別してるんだ。 動詞の定義をよく読め↓、気分の問題じゃないよw >動詞(どうし)とは、品詞の一つで、主に動作や状態を表し、 >項として主語や目的語などの名詞句をとる語である。 >時制がある言語では、一般に動詞が時制を示す。 >>簡単だ、「象は蟻」、これでわかったか? >それ、象についての叙述だ。 象だけじゃ無い、蟻もあるぞ。 >>793 せっかく書き込んでいるので答えます。 >SVOか、SOVか、どっちなのか、わかりにくいなw SVOでもSOVでも、どちらでもないと言っている。そのような解釈は 間違った翻訳を招く。 >極たまに、賛成の人もいるかなと思う時があるんだ。 そりゃ居るでしょう。あなたもその説明でしっくり来たわけだし。同じ感性 の人もいる。でも、しっくりこない個所を指摘してものらりくらりと話を かわしたり、あさっての返答をされれば面倒になって放置されるだけ。 >意味的には酷似しているけど「である」が違うよ。 ああ、「である」とか「が好き」なんかが省略されているよね。 「我が輩は猫」はあなたとしてはSVCとなって具合がいいのだろうけど これは省略だ。だから日本語として中途半端な感じがするでしょ。 >「ある」に「で」という役が付いている。 猫に「で」がついて動物という集まりの中の猫という限定された種の一つの 要素である、という意味が付加されている。で、「I am a cat」になる。aが 付くんですな。 「で」はある領域の限定された範囲を意味する語だ。このように先行する語に くっついて意味を加える語を助詞と言う。もちろん「は」も「が」も助詞である。 だからあなたの、動詞であるという解釈は間違いである。あなたに倣って区切れば 「<我が輩は><猫で><ある>」とでもなるのか。SCVの構造に見えるかもしれないが 題目 範囲限定対象 存在 という構造である。対応する記号が無いのでそれらしき語 を使って表現した。 >複数だから自分に対する尊敬、つまり自尊の気持ちかな。 これは長い用法変化の過程がある様に思われる。 輩は元々仲間の意味だが、悪いグループを指すように変化した。あいつらとかこいつらが 悪い意味を持つように。これに我がをくっつけて私のようなやからと自分を卑下する表現が できた。これを偉そうな人間が謙譲語としてよく使うようになった。それで吾輩と聞けば ああ、あいつは自分を偉い奴だと思っているんだなと了解されるようになった。と推測する。 >>796 >そういう意味に取るよ。 なんでこういう返答をするかな。何、コーヒーが自分の視点から 人間社会を風刺する小説でも書くのか?「私はコーヒーである まだ飲まれていない」って。漱石も胃痛が酷くなりそうだな。 [i am coffee]は「私はコーヒーという何者かであるぞ」とでも言う ような意味だ。[i am a coffee]なら「私はコーヒーと呼ばれる存在だ」 を表す。どちらにせよどういう状況でこのような言葉が発せられるのか 知りたいよ。 >「象、犬、花」の動詞は「象する、犬する、花する」だよ。 「象する、犬する、花する」って何だよ。意味は?これをふざけていると言うんだ。 これは名詞に「する」、最近では「る」を付けて動詞のように使う用法だ。 動詞が連用して名詞になるのではない。 >違和感ないだろ、「権威」と共だったから、慣れが早かった。 「プランする」って何だよ。まだ聞いたことないな。一部の部署ででも使われているのか? これは頻繁に使われているから定着しているだけ。使い初めには違和感があったろうさ。 「たばこする」なんて未だに違和感ありまくりだ。たばこ吸うという言い方があるからね。 名詞の動詞化も省略の一種なんだと思う。 >動詞の定義をよく読め↓、気分の問題じゃないよw これは定義ではなく解説だよ。動詞の定義は動作を表す言葉だ。 その解説にわざわざ状態をも表すと付け加えてあるのは、be動詞があるからだ。文法上 beを動詞ということにしておけば説明が簡単になって都合がいい。でも動作を表してないから 動詞と主張しづらい。それなら状態も表すと書いておけば問題ない。ということ。 何度書いても納得しないようだからもういいよ。ああ、間違っているところを指摘するなら 考える。ないと思うけど。 >象だけじゃ無い、蟻もあるぞ。 だからふざけるな。まじめに言ってるのなら理解力が無いと判断する。 >>798 >SVOでもSOVでも、どちらでもないと言っている。 >そのような解釈は間違った翻訳を招く。 ほう、これは非常に珍しい考え方・解釈の持ち主だよ。 んじゃ、どう捉えているの? >でも、しっくりこない個所を指摘してものらりくらりと話を 。かわしたり、あさっての返答をされれば面倒になって放置されるだけ。 どこがしっくりこないか、そこを詳しく頼む。 >「である」とか「が好き」なんかが省略されているよね。 >「我が輩は猫」はあなたとしてはSVCとなって >具合がいいのだろうけど >これは省略だ。だから日本語として中途半端な感じがするでしょ。 >>792 ではこう書いていたよね。 >>「我が輩は猫」と単独で言われたら[i am cat]しかない。 > >「我が輩は猫である」な。[i am cat]しかないことはない。 >状況によって「I like cat」になったりする。 >それは日本語の構造がSVOで表せないからだ。 「我が輩は猫」の文章に勝手に「である」を付け加えて 「我が輩は猫である」にしたのは俺じゃ無いぞw だから俺が 「我が輩は猫」と「我が輩は猫である」 とは違うと指摘したんだ。 >もう少し付け足すと「が」は密着性が高く「の」は低い時に使われている。 >古典的表現で所有を表す「が」は現代表現で所有を表す「の」で >置き換えても不自然にならない。 古典的表現でも現役だよ。 「君が代、我が家、わが闘争、我が母校…」 いっぱい有る。古典的かどうかは無関係だ。さらに 「逃げるが勝ち、ビールが美味い、明日が山…」 比較的最近でもよく使われているのもある。 これらの「が」に、一律に「の」を当てはめると、意味が変わる。 「逃げるが勝ち ≠ 逃げるの勝ち」 「ビールが美味い ≠ ビールの美味い」 「明日が山 ≠ 明日の山」 これじゃおかしいから、一律に機械的に置き換えるならば 「が=持つ」だよと言っているんだよ。 「逃げるが勝ち = 逃げる 持つ 勝ち = SVO」 「ビールが美味い = ビール 持つ 美味い =SVC」 「明日が山 = 明日 持つ 山 = SVO」 こう置き換えると、意味が通る。 その結果として、非古典的表現でも、古典的表現でも 「日本語はSVC、SVO」だと主張している。 日本語はSOVじゃない、「日本語はSVC、SVO」なんだよ。 >>665 けっきょくたどり着くのは移民労働者か。 2 beer or not 2 beer, that is a question 酒は大関 → Sake is Ozeki. ??? >>800 >んじゃ、どう捉えているの? レスをよく読んでね。 >SCVの構造に見えるかもしれないが >題目 範囲限定対象 存在 という構造である。 と書いた。 >どこがしっくりこないか、そこを詳しく頼む。 私が書き込んでいるのは、ほとんどがしっくりこない部分についてだよ。 何でしっくりこないのか、それについて私はどう思っているのかを 書いてるつもりなんだけど。いろいろ例まで上げてね。 >「我が輩は猫である」にしたのは俺じゃ無いぞ 「我が輩は猫」は明らかに「吾輩は猫である」から持ってきているでしょ。だから 引用が不正確だと指摘したまで。ここも違和感があった例だね。 で、あなたの言う「我が輩は猫」については「我が輩は猫である」とか「我が輩は猫が好き」 などが省略されたものなので、 >>[i am cat]しかないことはない。 >>状況によって「I like cat」になったりする。 と書いた。で、くどい説明を付け加えると、「我が輩は猫」はあなたの解説ではSVOに 見えるかもしれないが省略した部分を元に戻すとSVOに見えなくなるでしょと >>それは日本語の構造がSVOで表せないからだ。 と書いたんだ。 >古典的表現でも現役だよ。 だから>>765 で >古い用法として痕跡的に用いられているだけである。 と書いている。これをどう取ると現役じゃないになるんだ。 >「君が代、我が家、わが闘争、我が母校…」 これらは痕跡的に使われている所有を表す「が」の用法。だから 現在の、所有を表す「の」で置き換えても不自然にならない。 >「逃げるが勝ち、ビールが美味い、明日が山…」 「明日が山…」については意味不明(あすがやまって何?)だが これは排他的限定を表す現代の「が」の用法だ。。だから >これらの「が」に、一律に「の」を当てはめると、意味が変わる。 は当たり前。それをあなたは一律に機械的に置き換えようと無理をするので >「逃げるが勝ち = 逃げる 持つ 勝ち = SVO」 >「ビールが美味い = ビール 持つ 美味い =SVC」 >「明日が山 = 明日 持つ 山 = SVO」 というバタ臭い(日本語はこのようなイメージから発せられない)説明になる。 >こう置き換えると、意味が通る。 意味が通る様に解釈したのだから当たり前。で英語風に翻訳した文を >「日本語はSVC、SVO」だと主張している。 わけだ。 言うまでもなく、これもしっくりこないあなたの主張に対する私の考えだ。 >>805 >>「我が輩は猫である」にしたのは俺じゃ無いぞ >「我が輩は猫」は明らかに「吾輩は猫である」から >持ってきているでしょ。 >だから引用が不正確だと指摘したまで。 >ここも違和感があった例だね。 >で、あなたの言う「我が輩は猫」については「我が輩は猫である」 >とか「我が輩は猫が好き」などが省略されたものなので、 いったい何を根拠に引、用だとか、不正確だとか言えるの? 提示している「我が輩は猫」に集中しなよ。 もともと「俺はコーヒー」と言ってきたから それに対して、同じ文形で「我が輩は猫」と書いただけだよ。 「猫が好き」なんてどこにも書いていない。 「である」とも書いていない。 「俺はコーヒー」には、「好き」とか「である」と書いてないよな。 そう自分で書いていて、不自然に思わなかったか? >>>[i am cat]しかないことはない。 >>>状況によって「I like cat」になったりする。と書いた。 >で、くどい説明を付け加えると、 >「我が輩は猫」はあなたの解説ではSVOに >見えるかもしれないが省略した部分を元に戻すと >SVOに見えなくなるでしょと >>>それは日本語の構造がSVOで表せないからだ。 >と書いたんだ。 省略してもしなくても変わりない。 「である = にてある = だ」、関西では「じゃ」だそうだ。 取りあえず、これが本当だと仮定して 「我が輩は猫である」=「<我が輩> あり ねこ にてある(だ)」 「にてある」は「である」、「だ、じゃ」に変化する一体の言葉だ。 「にてある = である = だ、じゃ」 室町時代に変化を起こし始めて、 しかも「だ」は助動詞になって活用まである。 主に体言に接続する、体言を受けるそうだ。 なんでこんな変化を起こすかというと、 「にてある」が話者には一体に感じるからだ。 これも何度か書いたと思うが 「<我が輩> あり ねこ にてある」 = 「SVSV」 この文章は二通りの見方があり、それぞれ 「<我が輩> あり ねこ + にてある(だ)」 = 複文 「<我が輩> あり + ねこ にてある(だ)」 = 重文 複文に分ける見方・考え方は時枝文法だったと思うな。 いずれの見方・考え方でも、 「<我が輩S> ありV + ねこS にてある(だ)V」=「SVSV」 となってしまう。因みに 「我が輩」=「我 持つ 輩」=「SVO」 なのは、すぐに分かるはずだ。 この例はSVSV…の入れ子になっているんだな。 >>805 >>「逃げるが勝ち、ビールが美味い、明日が山…」 >「明日が山…」については意味不明(あすがやまって何?)だが >これは排他的限定を表す現代の「が」の用法だ。。だから 「明日が山(山場)、昨日は初日、今日は二日目」と言うだろ。 これらは、それぞれ 明日が山(山場) = 明日 持つ 山(山場) = SVO 昨日は初日 = 昨日 持つ 初日 = SVO 今日は二日目 = 今日 持つ 二日目 = SVO 「が=持つ」の方が、<排他的限定を表す現代の「が」>よりも、 しっくりきて、わかりやすいし、 日本語を統一的に、深く理解できるだろ。 その理由は、もともとの日本語の作りが、そうなっているからだ。 >>808 ×昨日は初日 = 昨日 持つ 初日 = SVO ×今日は二日目 = 今日 持つ 二日目 = SVO ○昨日が初日 = 昨日 持つ 初日 = SVO ○今日が二日目 = 今日 持つ 二日目 = SVO >>807 >いったい何を根拠に引、用だとか、不正確だとか言えるの? ん、引用じゃないの?ww >提示している「我が輩は猫」に集中しなよ。 しているよね。下のように >>で、あなたの言う「我が輩は猫」については「我が輩は猫である」 >>とか「我が輩は猫が好き」などが省略されたものなので、 と、「我が輩は猫」について書いてある。「我が輩は猫」についての叙述 であって「吾輩は猫である」についての叙述ではない。 >もともと「俺はコーヒー」と言ってきたから >それに対して、同じ文形で「我が輩は猫」と書いただけだよ。 だから何で見え透いたことを言うかな。まあ、同形だから書いたというなら それでいいよ。>>790 で >「俺はコーヒー」と単独で言われたら[i am coffee]で正解だよ。 を正当化するために >「我が輩は猫」と単独で言われたら[i am cat]しかない。 と書いたのは明らかに漱石の「吾輩は猫である」が想起させる俺は猫という存在である という意味を利用しようとしているからだろうに。 引用だろうが同形文だろうが、 「俺はコーヒー」と単独で言われたら[i am coffee]で正解だよ という主張はおかしいことに変わりはない。理由は>>799 で >なんでこういう返答をするかな。何、コーヒーが自分の視点から >人間社会を風刺する小説でも書くのか? >どちらにせよどういう状況でこのような言葉が発せられるのか >知りたいよ。 と書いた。これもしっくり来てないことについて書いたものだ、と 当たり前のことをくどくど指摘するのは疲れる。 >「猫が好き」なんてどこにも書いていない。 >「である」とも書いていない。 省略されているんだから書いてないのは当たり前である。と 当たり前のことをくどくど指摘するのは疲れる。 >「俺はコーヒー」には、「好き」とか「である」と書いてないよな。 >そう自分で書いていて、不自然に思わなかったか? もう、子供の反撃だな。痛くも痒くもないよ。 「俺はコーヒー」と単独で言われたら[i am coffee]で正解だよ。と 自分で書いていて、不自然に思わなかったか?と初めの疑問に戻す。 >省略してもしなくても変わりない。 変わりある。あなたの説によると「我が輩は猫」はSVCであるらしい。 で、「我が輩は猫である」をSVCに準じた型だと言いたいために、あさっての 方角に長い説明をして、何とか「SVSV」とそれらしき結論に導いただけ。 これで変わりないとはよくぞ言う。 >>808 >「明日が山(山場)、昨日は初日、今日は二日目」と言うだろ。 ああ、山って山場のことね。了解。じゃ、これも排他的限定を表す現代の「が」だ。 >明日が山(山場) = 明日 持つ 山(山場) = SVO >昨日は初日 = 昨日 持つ 初日 = SVO >今日は二日目 = 今日 持つ 二日目 = SVO だからバタ臭いと何度も言ってるでしょ。日本人に「明日 持つ 山」なんて 言ってまともな返事が返ってくるか? それは「明日が山場」の意味を英語風に表現したものだ。だからSVOに見える。 何度も言っているように「明日が山場」の文型ではなく「明日 持つ 山」の文型だ。 文法は用法の規則の学問である。解釈ではない。 俺がもし英語公用のキチガイ会社に入ったら なだきみたいなアホ外人のりで上司に接するな 完全に馬鹿にして表情とかもコントの外人みたいにして >>811 ww文法なんて要らねえよ。会話が出来りゃ金が儲かる、と言うスレだからね。 くだらない議論がダラダラ続いているな 英語をじゃっぷ語に置き換えている時点で負けだから 日本に来たネイティブの英語講師が驚くことは 日本の英語教師が英会話ができないこと 英文法の本を出している英語で食っている人間ですら英会話ができないこと >>810 >>>で、あなたの言う「我が輩は猫」については「我が輩は猫である」 >>>とか「我が輩は猫が好き」などが省略されたものなので、 >と、「我が輩は猫」について書いてある。「我が輩は猫」についての叙述 >であって「吾輩は猫である」についての叙述ではない。 何を言ってるのか、もう全然分からないw 繰り返し確認すると… 「吾が輩は猫」≠「我が輩は猫である」≠「我が輩は猫が好き」 この三つは文章が違うよ、それは分かるよな。 「我が輩は猫」=「<我が輩S> ありV 猫O」=SVO 「我が輩」=「我S 持つV 輩O」=SVO この文章はSVOが入れ子で、二重になっている文章だ。 かたや 「我が輩は猫である」=「<我が輩S> ありV 猫O にてあるV」 =SVOV=SV+SV=SVO+V こういう構造になっている。 SV+SVだと重文だ。 SVO+Vだと複文だろうな。 因みに、「にてある>である>だ、じゃ」 と室町時代から変化しだしたとのこと。 こう変化を起こした理由は、 話者が「にてある」が一つの動詞と感じているからだ。 こういう一体感の例は、他に多数ある。 「俺はコーヒー」と単独で言われたら [i am coffee]がその英訳だ。 わかったかw 同様に 「我が輩は猫」と単独で言われたら[i am cat]しかない。 「我が輩は猫」と言われて、漱石の「我が輩は猫である」とか 「我が輩は猫が好き」を思うのは勝手だが、 それはお前の妄想・夢想だ。 >>822 「あり」は自動詞だね。 英語でもbe動詞は自動詞だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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